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風俗と白衣の天使
その日は結局、バイトには行けなかった。
二日酔いというわけではなく、ずっとモヤモヤとした気分で、インフルエンザにでもかかってしまったように頭がぼーっとしていた。
夢の国に魂の半分を置き忘れて来てしまったようだ。
ベッドの上で横になりながら、れなこの笑顔がずっと頭の中に居座っていた。
もう二度と会うことはない。
それは彼女へのけじめだし、れなこの意思でもある。
そもそもお互い想う相手が違えば、生活も、住む世界も違うのだ。
けれども、今日も、これからも、その先も、れなこが風俗で働きながら心をすり減らしながら生きていくのかと思うと、胸が締め付けられた。
風俗で働いている理由は聞いた。
家庭環境も。
夢のことも。
M君のことも。
全部、悪い方向に進んでいて、もがいて、足掻いて、諦めて、それでも前に進もうと空回りして・・・・・・。
ああ、そっか。だから自分を見ている気がしたのか。
その日の夕方、また池袋に戻ってきた。
池袋西武横のポストでは今日も見知らぬ男女が待ち合わせをしていた。
普段通ることのない路地裏のような道を抜けて、一見するとオフィスビルのような、けれど息が詰まるような狭い鉛筆ビルに入りエレベーターのボタンを押す。
「いらっしゃいませー」
エレベーターの扉が開くと、石鹸のいい香りが流れ込んできた。
降りてすぐ目の前に受付があり、まだエレベーターを降りる前から、優しげなお兄さんが愛想の良い笑顔を向けてくる。
もっと怖い人が待ち構えていると思っていた分、なんだか拍子抜けした。
「あの・・・」
「ご指名の子はいらっしゃいますか? この子とかおすすめですよ」
俺が声を発しようとするのを遮るように目の前に写真が貼られたアルバムが差し出された。
すぐに分かった。写真の中でも上手に笑っていた。
「この人で、お願いします」
「初めてですか?」
「あ、はい」
「お時間はいかがいたしますか?」
「えっと・・・」
店員が指さした料金表を確認する。
頭の中で手持ちのお金を割り算して確かめながら「4時間で」と答えた。
「え・・・?」
店員の表情が一瞬固まる。
「・・・4時間って、だめですか?」
「ああ、いえ。大丈夫ですよ。ではコースとオプションをお選びください」
その後適当にコースとオプションを選び、料金を払い、待合室に案内された。
「準備ができましたらお呼びいたしますので少々お待ちください」
店員が笑顔でカーテンを閉め去っていく。
他には誰もおらず、店の中は静かだった。ギラギラした照明や装飾があるわけでもなく、黒ベースの至ってシンプルで小奇麗な内装。
想像とは全然違った。
ほどなくして店員に案内され、個室に入った。
待合室をもう少しだけ広くしたような、同じく黒ベースの小奇麗な内装の部屋に半分占領されたベッドが一つ。
その隣にお風呂場の扉。
静まり返った部屋には石鹸のいい匂いが外より強く漂っていた。
その部屋の中心、ベッドの上に、白衣を着た天使が目隠しをして座っていた。
俺は息を殺してそっとベッドに近づく。
ベッドの縁に手が触れた瞬間、彼女の肩がピクリと動いた気がした。
思わず吹き出す。
「え? え?」
客に取っていいと言われるまで目隠しは取れないのかもしれない。
彼女は目隠しに手を添えたまま、見えない視線で辺りを見渡していた。
「目隠し、取っていいよ(笑)」
目隠しを取り、俺の顔を確認すると、れなこのタレ目が大きく見開いた。
「は? え? なんでここにいるの?」
そのリアクションが可愛くて、抱きしめたい気持ちになったけどぐっと堪えた。
「来ちゃった」
「え、嘘? 若い男の子が4時間指名って、スタッフの人が言ってたけど、まさかリュウのことだったの?」
「ごめん、迷惑だった?」
「え、嬉しいけど・・・いいの?」
れなこの言葉に彼女への気遣いが含まれていることはすぐに分かった。
「良くないけど、どうしようもなくて」
「どうしようもなくてって、それであたしなんかに4時間も・・・お金どうしたのよ?」
「貯めてたお金、全部下ろしてきた(笑)もう金ない」
「馬鹿・・・」
れなこの小さな手が、俺のパーカーの袖をギュッと掴む。
俯いている彼女の小さな肩をギュッと抱きしめた。もう気持ちが抑えきれなかった。
「あーあ、昨日会わなきゃよかった」
「ほんとだよ。ほんとに。後悔しても遅いよ?」
「うん。後悔しないように今日一日考えて決心してからきた」
「ほんと馬鹿・・・」
一生懸命バイトしてようやく貯めた貯金の4時間はあっという間に過ぎた。
多分、今朝のロスタイムの2時間よりもずっと短く。
その間、何をすることなく話をした。
二人のことと、二人のこれからのことを。
お互いの胸に空いた穴を埋め合うように。
それだけで体を重ね合うよりも何十倍も気持ちが満たされた。
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