引きこもりと日記

1/1
前へ
/16ページ
次へ

引きこもりと日記

それからしばらくはバイトを休んだ。 予備校にも行かず、家で勉強することもなく、ただ引きこもって彼女がちゃんと勉強できていることを願いながらずっと自問自答していた。 夢を諦め彼女を守ると決めたのに、勉強もせず、親に金を使わせ、無駄に時間を浪費している自分は、一体どこに向かおうとしているのだろうと。 その間何度か自宅に彼女からの電話があったが居留守を使って逃げた。 しばらくすると電話も掛かってこなくなった。 何もしないまま時だけが過ぎて行く焦り。 どうしようもない自分への憤り。 ざわつく心を押し込め、ただ引きこもる日々。 彼女に会いたいけど会う資格のない自分。 孤独を紛らわせようとパソコンを立ち上げインターネットを開く。 日記サイトの広告が目に留まった。個人が好きにページを作成し、そこに日記を書いてコメントを貰えるブログの前身のようなサービスだ。 今までは興味がわくようなサイトではなかったが、その時はなんだか気になり、気晴らしにと個人アカウントを作成して他人の日記を覗き見ることにした。 そこにはごく普通の人たちが日常の出来事や思ったこと、感じたことを明け透けなく書き綴り、それを見た別の人たちが思い思いのコメントを書いていた。 日記一つ一つに小説とは違うリアルな物語が公に晒されていて、いつのまにか貪るように色々な人の日記を読み漁っていた。 そんな中、一つの日記に目が留まった。 題名は荒くれ日記。 日々の生活でいかに自分が荒くれているかを書いてあるだけの日記で、内容は本当にくだらなかった。 ただ、多くの日記が他人に共感してもらうために自分のことを綴っているのに対して、その人の日記だけはただ人を笑わせるためだけに書いてあった。 荒くれ日記を読んでいると、不思議と嫌なことを全部忘れられた。 自分がいかにちっぽけかなどどうでもよく感じられた。 その人はそんなに深く考えずに、ただくだらない日記を書いているだけなのだろうけど、この日記で少しだけ心が救われた人がいるのだということを伝えたくて、初めてコメントを書こうと思い立った。 『拝啓、荒くれ先生。不覚にも笑わせてもらいました。勝手に先生と呼ばせていただきます。早速ですが俺も先生の弟子として荒くれたいと思い、今玄関の鍵を開けっ放しにしています。これからも更新楽しみにしています』 投稿ボタンを押してすぐに、恥ずかしい気持ちと、どんな反応が返ってくるのか楽しみな気持ちでむず痒くなった。 書き込んですぐに何度もページを更新した。 そんなに早くコメントが返ってくるはずがないとわかっていたが、けれど予想に反してコメントの返信はすぐに返ってきた。 『ウケる(笑)泥棒が入ってくるから鍵締めたほうがいいよ。荒くれも人に悪影響与えるな(笑)』 相手は荒くれ先生ではなかった。 「れなこ」という人からのコメントだった。 この人は過去の荒くれ日記にもコメントを残している常連の人だった。 れなという名前は彼女と同じ名前だったのでなんだか他人じゃない気がした。 それにコメントを返してくれたことが嬉しくなって俺はすぐにれなこさんのページを開いてみた。 「風俗嬢れなこの日記」というタイトル。 「風俗嬢・・・」思わず声に出して呟く。 れなこの日記は、酒とタバコと漫画をこよなく愛する風俗嬢りなこの自称じだらくな日々が書いてある日記だった。 その中に、M君という同級生の元彼がよく登場した。 過去に遡ってみると、どうやら彼は彼女がいるくせに、れなこさんとも頻繁に会っていて肉体関係も続けているようだった。 日記からは、れなこさんが彼を好きなのかまでは読み取れなかったが、すごく大事な存在なのだということは分かった。 風俗という世界で働いていて、自分が思うがままに自由に生きているれなこさんの日記を読み、大人な女性という印象を受けた。 それと比べて俺は、夢を諦めたのに勉強もせず中途半端な上に彼女を傷つけ挙句に引きこもって逃げている。いかに矮小なことか。 『れなこさん、コメントありがとうございます。日記も読ませていただきました。なんだか大人な女性って感じがしてかっこよかったです。アドバイスもありがとうございます。玄関の鍵は危ないので、明日からは窓の鍵をかけずに出かけることにします』 またすぐに返信がきた。 『窓の鍵も危ないから(笑)日記読んでくれてありがと。大人な女性って(笑)大したことは書いていないけど、気が向いたらまた遊びに来てね』 『はい。また遊びにいくので窓の鍵は開けっ放しでお願いします(笑)』
/16ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加