第3話

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バタン、と重苦しい音を立てて、重厚な部屋の扉が外界を遮断した。明かりのついていない部屋の中を照らすのは、ごく僅かな月明かりだけ。 部屋の主人であるリヒャルトが慣れた様子でベッド脇のサイドテーブルに置かれたランプを点けると優しい灯りが視界を明るくしてくれたが、背を向けたリヒャルトの表情は伺えない。 マシューがドアの前に立ち尽くしていると、ゆっくりと振り返ったリヒャルトがふっと苦笑いしておいでと手招きしてくれて、マシューはリヒャルトと並んで大きなベッドに腰掛けた。 「すまない、嫌な思いをしただろう。ジークハルト兄様はグスタフ先生の弟子で素晴らしい医者なんだが、いかんせん頭が堅くてね。しきたりを大切にしておられるんだ。」 「しきたり…」 王族としてのしきたり。マシューはまだその内容を何一つ知らないが、ある程度は想像がつく。王族ともなれば、生まれたその時から伴侶が決められていてもおかしくない。その相手はきっと、同じ人間の女性。高貴な生まれの美しいお姫様だろう。 百歩譲って人間でなかったとしても、奴隷商の下で盗みを働きながら生きてきたマシューとは違う。リヒャルトに釣り合うのは、政に携わることができる高い教養と知性をもつ、あるいは高い身体能力をもち戦で名を挙げた、いずれにせよ彼の子をその身に宿すことが出来る者だろう。それは男のβであるマシューでは願うだけ無駄なことだ。 母国サスキアを出る折、戦に出る必要も世継ぎも必要ないと言ってくれた。側にいてくれるだけでいいと。それを信じて来たものの、ここに来て不安になる。 リヒャルト本人が許しても、周りが許さないだろうということが。 マシューは胸元をキュッと握った。リヒャルトから貰った小さなアメジストの指輪がそこにある。一度は切れてしまった麻の紐に代わり、ラビエル王国に来る道中でリヒャルトが用意してくれたチェーンにかけられていた。 マシューの何か不安を感じるとそれを握る癖を、リヒャルトは当然のように見抜いていた。俯いてしまったマシューの顔を下から覗き込む紫水の瞳は薄暗い中でも神々しい。ラインハルトやジークハルトも同じ色の瞳をしているが、こうも輝きが違うものかとマシューはその場に似つかわしくない感想を抱いた。 「マシュー、ジークハルト兄様は頭は堅いが話の通じる相手だ。だけど王宮の中にはそうもいかない馬鹿もいる。そういう奴等はきっと君に辛く当たるだろうと思う。…耐えられないようなら、どこか遠くに離宮を用意するよ。君が静かに暮らせるように。年に何度行けるかわからないが、俺が会いに行く。」 リヒャルトはそっとマシューの手を引いた。抗わなかったマシューの身体は簡単に傾いて、リヒャルトの腕の中へ飛び込んだ。 「すぐに答える必要はないよ。明日でも一年後でも十年後でも、いつだっていい。…まぁもちろん、俺はここにいてほしいけどね。」 ゆっくりと髪をすいて額にキスされて、マシューは漸く笑みを浮かべることができた。 リヒャルトはそれを見てホッとしたように微笑むと、マシューをベッドに横たわらせ布団をかけてくれた。ふかふかの布団は、とても温かいのに羽根のように軽い。 「明日は時間があるから、君の服を仕立てよう。街へ出てもいいしね。そうだ、絵本を買いに行こうか。」 「絵本、ですか?僕…」 「読んであげるよ。絵を見ているだけでもいいものだしね。絵本でなくとも、画集なんかもいい。買い物をしなくても、美味しいものをたくさん食べに行くのもいい。どうだい?」 マシューは途端に心が踊り始める。 あの賑やかで楽しい街。リヒャルトが育った街。どんなものを見て聞いて育ったのか、リヒャルトが直々に教えてくれる。なんて魅力的なんだろう。 マシューの瞳が輝きだしたのを見たリヒャルトが、そっと頭を撫でてくれる。すると不思議な力でも使われたように、マシューは眠気に襲われた。 「リヒャルト様は、眠らないのですか…?」 「俺は少しやることが残っているから。大丈夫、君が眠るまではここにいるよ。」 リヒャルトはベッドの中にあるマシューの手を取り、指を絡めて優しく握った。指先まで温められて、マシューはいよいよ眠気が強くなる。瞳を閉じると、夢の世界はすぐそこに思えた。 「…おやすみ、マシュー。」 優しい声に安心して、マシューは意識を手放した。
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