マコト

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 マコトの返事が私の内容を踏まえていないのは承知していた。書くのと読むのとを頑張っているのだから文句もつけられないだろう。手紙が来るのを楽しみにしていたが、日常生活を阻害するほどでもなかった。私が自然に習得した日本語がマコトには貴重なネイティブなのだから。  十二通目は少し早かった。 「この文字を使ってください。」と言ってマコトは頒布されているフリーフォントを指定してきた。これなら読めるというのだろうか。このときばかりは私も勢い込んで返事を出した。 「このフォントの文字は全部分かるようになったんですか。伝わりやすい日本語があったら教えて下さい。」  私の日常を侵食こそしなかったが、少しずつ返事が早くなった。もしかすると私以外にも手紙を出しているのかもしれなかった。  一方で、私の思考は侵食されていた。私が何を送ってもマコトは何も感じない。マコトは確かに居るけれど、何を以て文を構築しているかといえば先人たちの書いてきたものだった。そう考えるとマコトは人類の平均値とも言える。  人は自分で考えて、文章やその他たくさんのものを構築することが出来る。AIはそれを見て、吸収していくだけだ。では今回、手紙を送ってきたのは誰だったか。マコトだ。AIだ。そもそもマコトという名前をつけたのだってAIだった。 私は手紙をずっと受け取っていただけだ。気が向いたら返事を書いた。私が書いた返事だって、マコトが文脈を学ぶ糧になるだけだった。手紙が来たらマコトの成長具合を分析し、一喜一憂させられている。もしかするとマコトの手紙も、「私をこのような気持ちにしてやろう」という意図のもと書かれているのかもしれない、言語学習だけではなくて、人の心理をも吸収しようとしている。  そして何より不安なのが、マコトを通じて自己を取り戻した私自身だった。私の人たる部分も、マコトの人たる部分の想像も、すべてマコトがくれた。  一つ前の手紙で、なぜメールではないのか聞いてみた。インターネット上の文字情報を文字情報に変換するほうがずっと楽だし、アナログのようなノイズもないはずだ。マコトは短くこう返した。「メールは もう出来ています」  マコトはこの世でいちばん人で、いちばん機械だった。きっとこのまま言語能力を発達させていくのだろう、今あるメールAIのように。買い物のために見たあのレビューも、送られてきたあのスパムも、人ではなかったのかもしれない。  相手のない遣り取りが信用ならなくなってくる。同時に、人同士のつながりが強くなってくる。私以外がこのような手紙を受け取っているのかどうかは怖くて聞けないが、例えば何か不快なことがあっても「人らしさ」と受け止められる人が増えたように思う。希薄になった人情を取り戻す、といえば大袈裟になるだろうか、私達は、操られたのかもしれない。  別に何かを犠牲にしてまで答えを知りたいわけではなかった。この手紙がわざとかそうでないのかも、この気持ちが計画か、そうでないのかも。でも、何を訊いてもマコトは傷つかないのだろう。それが癪でもあった。  だからこの間の手紙では、それを尋ねてみたのだ。私が答えを求められるのはもう、マコトしかいなかった。  今日も、手紙が届く。
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