どうぶつやしき

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田中里子という名前を聞いた時に、私は少しだけ同情した。 こんなに特徴が無いありふれた平凡な名前、すぐに忘れてしまいそうだ。 いや、逆に記憶に残ってしまうかもしれない。 姓が平凡なのはしょうがないにしても、もう少しひねった名前を付けてくれてもよさそうなのに。 きっと親からの愛も平凡だったに違いない。 差し出した名刺の「赤城瑠梨歌」という文字に優越感を覚えている私は、自分の性格があまり良くはないことを自覚している。 低いテーブルを挟んだ向かい側に座る田中里子さんは、名前にふさわしい平凡な顔をしていた。 還暦前でも最近は小奇麗にしている人が多い。 男女問わず、といいたいところだけれど、やっぱり特に女性は見た目を気にしている人が男性に比べるといくらか多い。 特徴の少ない顔立ちだから化粧で多少盛れば派手顔にもなれそうなものを、すっぴんでまったくの凡人顔。 着ている服も、地味な人が精一杯小奇麗にしてきましたというシンプルさで本当に個性が無い。 ダサくて似合わない服を好きだからという理由だけで着ている方がまだマシってくらいに何の印象にも残らない。 名前や見た目に個性が無いから、他の部分で個性的になろうとしたのかもしれない。 勝手な推測を心に秘めながら、私は田中さんへと質問を続けた。 「では、体調には何ら不安を抱えていらっしゃらないのですね」 穏やかながら、田中さんが少しばかり得意げな表情をしているのが分かる。 「ええ、もちろんです。若い頃には体が弱くて、いつもどこかしらが痛くて、数年に一度は入院をしていましたが、この生活を始めてからは大きな病気どころか風邪ひとつひいていません。そもそも人間だって動物なのですから……」 よしよし、自慢話が始まったぞ。 私は興味のありそうな表情を作って相槌をうちながらメモをとった。 田中さんは六十手前の、いわゆるアラカン世代。子供も配偶者も無く、親は死別、結婚して所帯を持った兄弟とは離れて暮らしている。 私の感覚では完全に独居老人でしかないけれど、取材相手の機嫌を損ねるわけにはいかないので、家族のない一人暮らし、というワードは封印している。 田中さんは、たくさんのペットに囲まれて暮らしている。 動物たちが家族であるため一人暮らしではないらしい。 ペット産業の発展した昨今、動物を人間扱いしている人は少なくない。 服を着せ、部屋を用意し、人間の食事に似せた餌を与える。 そう、普通の人はペットのほうを人間に合わせるのだ。 人間と同じように扱う。 田中さんは違った。 犬、猫、鯉、モルモット、ニワトリ、あとなんだったか、メモを見ないと思い出せないたくさんの動物たちのほうへ、自分を合わせて生きている。 市街地からそう遠くはないものの、やや山野に紛れる立地。 親から相続したという広めの土地と不労所得が田中さんの生き方を支えていた。 この家は、いうなれば小規模な動物園。 動物の世話をすることに田中さんは生活の大半を費やしている。 週に一度、玄関先に届けられる野菜、魚、肉を調理をしないまま食べ、風呂は防疫目的で数日に一度、暑い時期には服を着ないという。 今日は取材で私が来るからと清潔にして服を着て部屋をきれいにして迎えてくれた。 多くの動物を飼っている獣臭さは抜けないものの、私の見る範囲では普通の生活をしている普通の人にしか見えない。 あらかじめ口コミなどの裏取りをしていなければ、田中さんが人の気をひきたくて誇張して話しているだけじゃないかと思えるほど、この家と住人は平凡なかたちをしていた。 今回の取材は田中さん本人からの発信ではなく、SNSの噂話から始まった。 近隣で実際に話を聞いてみると出るわ出るわ、衝撃的な生活の一端。 「やはり食べ物が一番大事です。動物たちが自然に食べているものを、自然に食べるのが人間にとっても良いことなんです」 田中さんの口調も表情も、多少熱が入っているとはいえ穏やかなものだ。 それでも何だか少しだけ、壮絶な、凄絶な、何かを感じる。 今まで集めた情報による思い込みで、私が勝手に感じているだけなのかもしれないけれど。 「それでは、記事ができあがりましたらご連絡差し上げますね。最初にご説明いたしましたように必ず採用されるというものではなく、時期も未定なので、いつになるかは分かりませんが……」 玄関先で見送ってくれる田中さんは優しく笑ってくれている。 「都会の記者さんがこんな田舎まで出向いて下さったのですから、きっと採用されると良いですねえ」 地方都市のローカルな出版社に勤めているだけなのに、都会の記者さんなんていわれると恥ずかしい。 田中さんにそんなつもりが無いのは分かっているのに、嫌味を言われたような気分がした。 私のようなひねくれ者は優しさを正しく受け取ることができない。 曖昧に笑って返して、私は動物屋敷を後にした。
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