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じっと見つめていた瞼が持ち上がった。アークはふうと押し殺していた呼吸を吐いた。
「やっと目が覚めましたか、フェデル様」
「わたしは随分と眠っていたか?」
「あと一刻も過ぎれば陽が沈み始めます」
「そうか…しまったな」
眉を少し落としてフェデルはアークの肩に身を預けたまま、ぐいと伸びをした。寝起きの身体からは微かな熱が伝わってくる。
「まあ、帰りは遅くなるが、予定通り行くとしよう」
「承知いたしました」
「ところで、アーク、何故そんな慇懃な話し方を?」
揶揄う様な笑いを堪える様な顔で皇子が尋ねた。
アークはそれを気にしないふりをして、そっぽを向いて淡々と答えた。
「領主になりたてのフェデル様が、家臣に見下されていると思われては困りますからね。領地に出る時は殊更に丁寧にと仰せつかっておりますので」
「二人きりなのに、律儀なことだね」
「どこで誰が耳を立てているとも限りませんので」
くすくすとフェデルが笑うと、アークは表情を崩して憮然とした面持ちでそれを睨めつけた。
「城のみなが見たら、さぞ驚くだろうね」
「うるさいですよ」
「あの、アレクセイアが、こんなにも立派に成長したものかとね」
静かに笑い続ける主人を仏頂面のまま見つめることしか出来ず、アークは黙り込んだ。
確かに自分は成長した。肉体的にも、精神的にも。
拾われたあの日から、フェデルの城で何一つ不自由なく、それは物心両面で、充実した日々を送らせてもらった。
何故かこの皇子にいたく気に入られて、側近になれるようにと手厚い教育を受けもした。
もとから筋の良いのもあって、皇子付きに相応しいと誰もが認める武力もある。そして、エルフだ。
エルフは先天的に人間には使えない魔力を操ることができる。
国の要人にとって、信頼のおけるエルフを側近に据えるのが身辺保護のために一般的だ。
フェデルにとってそれがアークだった。アークにはそれが認めたくはないが嬉しかった。
孤児で、信じるものが一つもなかった自分にとって、絶対的に信じ得る絆だった。
でもそれが、苦しい時もある。
「アーク?怖い顔がさらに怖くなっているよ」
「おまえなぁ!」
「舌の根も乾かぬうちに、主人に向かっておまえって」
「もう知るか!!」
フェデルが身を捩ってアークの振り上げた腕をかわして、あははと破顔した。
「やはりアークはいくつになってもアークだ」
あの日と変わらないフェデルの笑顔に、安らぐのと同時に苦々しい思いが湧いてくる。
フェデル、あの日おまえは美しい世界を見せてくれると言ったよな?
確かに、連れ出してくれた世界には美しい物事が溢れていた。
でも、それだけじゃない。
身を焦がす様なこの苦々しい、重く渦巻く感情はなんだ?
世界は美しい、だけじゃない。
こんなことまで教えてくれずとも、俺は良かったんだ。
アークはそうひとりごちた。
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