七 裏切りと呼ぶには

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七 裏切りと呼ぶには

 それから翌年にかけて、家にいることの少ないブランウェルですら気付くほど、姉妹は忙しく日々を過ごしていた。特にシャーロットがそうで、ブランウェルが居間の前を通りかかると、よく彼女が手紙を書いているのが目に入った。興味はあったが、自分がもはや詮索出来る立場でないことくらい、ブランウェルは分かっていた。  ヒースがくすんだ紫色の花をつけ、荒野に貴重な色を添える季節のある日、ブランウェルはいつもより早く目を覚ました。といっても、父親はとうに仕事をしている時間だ。ブランウェルは自分の棚から酒瓶を取り出し、一口あおると、何をするでもなくホールへふらりと出ていった。柱時計が、いつものように小さな音を立てて時を刻んでいる。階段を降りようとしたとき、階下から、シャーロットの声が耳に入った。 「あなたが来ないのは残念だわ、エミリ。三人で行く方がいいと私は思うのだけど」 「しょうがないわよ、姉さん」アンがなだめるような声で姉に言った。「エミリが行きたくないのだもの。それに、ひとりは残った方がいいわよ。お父様とブランウェルのためにも」  最後の方は、少し声が小さかったが、ブランウェルにははっきりと聞こえた。 「道中気を付けてね」エミリの声がした。「スミス氏によろしく」  次いで、玄関の扉が閉まる音が聞こえた。ブランウェルは柱時計の横で立ち止まって、台所に入ろうとしているエミリに声をかけた。 「スミス氏って?」  エミリはびくりとしたが、逃げようとはしなかった。どのみち逃げるところもない。ブランウェルは階段を降り、エミリと向かい合った。 「シャーロットとアンはどこへ」  命令するような口調でブランウェルは問いただした。エミリはしばらくの間ためらい、小声で答えた。 「ロンドンへ。出版社の社長と会いに」 「ロンドン……」ブランウェルは玄関の扉を見やった。「出版社? どういうこと。なんで連れ立って行くんだい」 「いろいろと事情があるの」 「説明しろよ。それとも、僕なんかには知らせる必要もない?」  エミリは振り返って、父親の書斎を見た。「上に行きましょう」  ブランウェルと父親の寝室で、エミリはベッドに、ブランウェルは椅子にそれぞれ腰かけた。ブランウェルは黙ったまま、エミリが説明を組み立てるのを待った。 「ブランウェル。あなたが読んだ、『ジェイン・エア』、覚えてる?」 「覚えてるよ。カラー・ベルだろ」 「それ、シャーロットなの」  ブランウェルは驚きというよりも、腑に落ちた感じがした。言われてみれば、主人公のジェイン・エアは、どことなくシャーロットに似ていたし、ベルはこの辺りではよくある名前だ。筆名に使っていてもおかしくない。  エミリの説明はこのようなものだった。自分たち三姉妹は、「ベル」という筆名でそれぞれ小説を書いた。シャーロットはカラー・ベルとして『教授』を、エミリはエリス・ベルとして『嵐が丘』を、そしてアンはアクトン・ベルとして『アグネス・グレイ』を書き、出版してくれるところを探した。いくつもの出版社に断られた後、『嵐が丘』と『アグネス・グレイ』はニュービー社という出版社に引き受けられた。シャーロットの小説には引き取り手が見つからなかったが、次に書いた『ジェイン・エア』はスミス・アンド・エルダー社から出版された。  結果的に売れたのは『ジェイン・エア』だけだったが、これが問題を引き起こした。出版界では「ベル」はひとりの人物だと考えられており、その「ベル」の次作の出版権がニュービー社とスミス・アンド・エルダー社との間で争われたのだ。それで、スミス・アンド・エルダー社から「ベル」、つまり三姉妹に連絡がなされ、シャーロットとアンが自分たちの正体を説明しにロンドンへ向かったという。  エミリが話している間、ブランウェルは一言も発することはなかった。ほとんど動くこともなかった。エミリが説明をし終わると、ブランウェルは大きなため息をついた。 「それで、君たちはあれこれ忙しくしてた訳だ。ご苦労様だよ」 「隠すつもりはなかったのだけれど」 「隠すつもりはなかった?」ブランウェルは立ち上がった。「じゃあ、僕が『ジェイン・エア』を読んでたとき、どうして言ってくれなかったんだ。言ってくれても良かったじゃないか。きょうだいなんだから」 「それは……そうだけれど」 「ああ」ブランウェルは天井を仰いだ。「それとも、僕はもうきょうだいじゃないのか。兄でも、弟でも。それはそうだな。こんな飲んだくれの男だもの、居たって恥にしかならないな」 「ブランウェル、そんなことを言わないで」 「いくら貰った?」 「え?」 「『ジェイン・エア』は売れたんだろう。シャーロットはいくら貰ったんだ」  エミリはためらいつつ答えた。 「少なくとも、二百ポンド」  ブランウェルは目を見開いた。昔彼が、少しの間鉄道員として働いていたときに得ていた年棒が七十五ポンド。その軽く倍以上にもなる。 「なるほどね」ブランウェルは椅子の後ろに回って、背凭れを指で小刻みに叩いた。 「じゃあ君たちは、僕が知らないところでこそこそ小説を書いて、人気作家になってた訳だ。ついでに家計を大いに助けてね。シャーロットとアンはロンドンでさぞ歓待されることだろうな。謎の天才作家ベル、ついに正体を現すか。しかもその正体が、紳士でもなく教養ある婦人でもなく、北イングランドの田舎娘ね。良い筋書じゃないか。大したもんだよ。大したもんだ!」 「ブランウェル、それは違うわ」エミリの声は静かだったが、白い手はきつく組み合わされていた。「売れたのはシャーロットだけよ。姉さんだけ」 「ああ、それでも……」ブランウェルは右手を挙げたが、どこに振り下ろせばいいのか分からなかった。長い間言葉を探して、ようやく、小さな声を絞り出した。 「せめて僕には言ってほしかった」  ブランウェルはそれだけ言うと、背凭れに両手を置いて、じっと、椅子の座面を見つめた。 「ごめんなさい」  エミリの声が聞こえたが、妹の方を向くことはブランウェルには出来なかった。もしまた顔を見れば、裏切られたという逆恨みにも近い感情が、頭をもたげてくることがブランウェルには分かっていた。何か言葉を継ぐのは、あまりに恐ろしかった。  妹はそっと立ち上がり、静かに部屋を出ていった。雲雀の高い鳴き声が、風の音に混じって聞こえてきた。
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