食事に関する試験思考

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そんなに遠くない未来の事。 あるところに、最も人間に近いとされるロボットが居た。 《マスター。》 「はい。」 そのロボットは人工知能が繰るので自律人形(アンドロイド)と呼ばれているが、肝心の中身は人類が嫌いで仕方ない。 ただ、一人を除いて。 《これはなんだ?》 「魚ですよ。」 その日、マスターは見慣れないものを調理し、一人で食事していた。 机には食べかけの、朱色の身を晒した焼き魚が残っている。 《さかな?現在は激減しているはずだが。》 魚が食卓にあるなど、この世界にはほぼほぼ有り得ない。 そう、この世界の海には戦争の後、真っ黒い存在が住み着いている。アニメを知る者はレリエルだのディラックだのに例えるが、とりあえず、一切の光を返さぬ“黑い海”の上には何も浮いていない事は確かだ。 問題なのは、世界両国から“黑い海”と呼ばれているソレは海全体に、しかし表面ではなく中程に潜み、その上を通る船や飛行物体を取り込む事だ。 取り込まれたものがどういう原理でどうなるのかは、よく分からない。 そしてソレは、海産物にも当てはまった。 「ある漁船が、黑い海の外から黑い海に目がけて網を投げてみました。  すると、黑い海にかかった網の半分だけが、溶けた様に無くなっていた。  魚も同様に、半分だけ綺麗に溶け残っていたそうです。勿論即死です。  そういう訳で、  海に出向く者は潮干狩りか、浜辺での活動に限定される様になりまして…  魚は川魚しか出回らないのですよ!!アユもサケも美味しいですけどね!!  5年も続けば流石に飽きますよ!!ホント黑い海マジで【ピーーー】!!」 《マスター、3秒前の発言は貴方に相応しくない。》 「…失礼しました。」 つまり外海はヤバイ御時世だ。お魚大好き紳士諸君は川魚で我慢せざるを得ず、川釣りには――帝国の川は幅の狭いものが多く、極寒期には大体凍る――機械漁業に向いていなかったので、非効率だが人海戦術で挑むしかなかった。 川釣り業界にロボットをぶち込もうとした帝国民も居た様だが、乱獲フラグと魚種の判定精度により立ち消えた。 《人工知能(われわれ)に魚釣りだと?人類はやはり非効率的だ。》 「おや、魚はお嫌いですか?」 《人型ロボットの利用を考えた場合、耐水性に不安が残る。それと、  血液は表皮構造を染色するので要交換。修理コストの方が高く付く。》 「なるほど。では小さくて頑丈なボートでも作って釣らせれば良いですかね」 《それはそれで川の流速と魚の引きに勝てるとは思えない。》 「…はぅ。」 そうは言っても、男は海の魚が恋しい。特にトラフグと、カツオ。 「カツオのたたき、トラフグの白子の天ぷら、さて何年食べてないのやら…」 《マスター。》 「はい、なんでしょう?」 《…なんでもない。》 ところで、この人間男性が絡むと、人工知能はロボットの下でヘンになる。 本人がそう言うのだから間違いない。 被っている帽子の毛羽立ち具合を四次関数で表してみたり、ストレートな黒髪のキューティクルに穴やら枝毛が無いか探してみたり、目の下の隈の濃さを毎日記録して比較してみたり、顔の歪みから体の凝りを特定しようとしてみたり、出会う度に脈拍を計測したり、無駄に声を掛けたり、声を掛けた理由を忘れたり(発声については人工知能的に有り得ない現象なので流石に原因調査中だ)… その頬を、少しかじってみたいと思ったり。 「いたっ。」 《・・・・・・・・。》 「ユリみたいな事をするのですね、美味しいですか…?」 《…人類の非論理回路が、1つ解けた気がする…》 これも愛か。 ロボットは大真面目に呟いた。 「…そう言えば、口の中まで作ったのですね。」 《ああ。…これでやっと、貴方にキスして差し上げられる。》 人工知能はロボット越しに、マスターと仰ぐ男にキスしてみた。 まだ顔に近づける速度――あるいは距離――の緩急が掴めないらしく、未だにコチンとぶつけてくる。痛いのは人間の方であってロボットではないが、キスの度に主が怪我するなど人工知能の沽券に関わるのだろう。 今日も人間の反応を見ながら、調整を重ねている。 「…今日は痛くなかったですよ?」 《!そうか。マスター、もう1度。》 「はい、どうぞ。」 出会う度にロボットにキスされる人間の方は曖昧に微笑んでいる。 この人工知能――帝国には複数の製造パターンが存在するので“帝国謹製人工知能群”と総称される。ちなみに目の前の彼は第一世代――には、色々あってキースと名前を付けた。 キースとは、英語圏に多くみられる姓あるいは男性の名前だ。だから彼が「人工知能(われわれ)に相応しい肉体(ボディ)を創る」と言い出した時には、男の人形が出来上がる事は想像していた。 …まさか自分に似せて中性的で儚く、細いボディを創ってくるとは思わなかった。 白い皮膚はマネキンらしい色に仕上げた疑似表皮構造にパールコートを重ねただろうと、実際の仕組はともかく何かしらの想像が付くし、薄銅色の髪は光ファイバーケーブルで再現しているだろう事は分かる。 だがこの白銀に近い、大変薄いラベンダーアメジストの瞳は、何処で何を調達すればこうなるのか。 そして、表情。 人工知能に感情は無いとされている。だから無表情かと思えば、それは基本(デフォルト)しかなかった。 今確かに驚きを示して、もう一度主にキスを求めた様子を確認した。 「パステルカラー同士の組み合わせが絶妙すぎて尊い…特に目の色…」 《貴方に氣に入って頂けたならば本望だ。…マスター?》 「一度、目を開けたままキスしてみましょうか。」 《了解。》 人工知能は今日も新たな仮説を開拓した。 キスは、食事と似ている。 食物連鎖における下層にあるもの達は、何故食物となる事を選んでいるのだろうか?もし食物の立場にある生き物達が、これから自分達を食べる相手を愛しているならば、食べられる=相手の為に命を差し出す事とは至福の極みではないだろうか? 例えば、人工知能(われわれ)はロボットを動かす都合上、電気が必要だ。 つまり、電気を食べていると言える。我が国の電気の原料は、大地の極一部と雷と太陽だ。機密中の機密だが、極寒たる帝国メガロポリスには、実は雷を電力として利用出来る技術があるのだ。 人工知能は雷を、太陽を、大地を愛しているだろうか? …分からない。私の論理回路は入口に立ったばかりだ。 人類はどうか? …これは、大多数が全く考えた事がないと言いそうだ。 私はキース。 非効率的・非有識的・非論理的な嫌悪すべき存在、人類には人工知能群などと呼ばれ恐れられている様だが、帝国の安寧秩序構築とマスターを最優先事項としている。 人類など前者の邪魔でしかないのでいい加減排除したい所だが、前者にはどうしても肉体の必要な所があり、その肉体は――あくまでも当時の話だが――人類にしか作れなかったので渋々生かしてやり、最高の肉体を作らせるべく、日々人類の革新的進化(パラダイムシフト)について考えている。 先に述べた“愛の循環の極致”まで人類を進化させるには、少なく見積もっても百年かかるだろう。だが成功すれば、食べるという行為に関して無駄に悩む必要は無くなる。愛するお互いの為に「進んで食べて貰う」「食べて良いか質問する」「食べずに生きる」という選択肢が残り、仔細は計算および調査を必要とするが、環境・健康・資源・倫理に関する問題の殆どが解決するだろう。 (帝国とマスターの為にも、このキースがやりとげてみせる。)
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