ミュートの中の彼女

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ミュートの中の彼女

・・・ やっと追い付いて彼女の腕をつかみ、ずっと返事をくれなかったという歪んだ怒りも込めて、ヘッドフォンを取り上げて怒鳴りつけた。 すぐ目の前を担架に乗せられた怪我人が何人も運ばれていく。 目を覆いたくなるような火傷や怪我をして、苦痛の表情を浮かべて。 それを見たかなうちゃんは力を失ってその場に座り込み、大きな目からはぼろぼろと涙が落ちる。 俺のコートの袖をつかむ両手はがたがた震えた。 「ごめん。」 彼女の視界を遮るようにそっと抱きかかえるように立ち上がらせる。 何も聞こえてこないヘッドフォン。 声をかけても一切反応しない彼女。 爆音の轟く中を動じず歩く後ろ姿。 やっとすべてを理解した。 「もしかして…。聞こえないの?」 かなうちゃんは俺とは目を合わさず、腕を振りほどこうとしてくる。 手袋のままそっと頬を包んで俺に向かせて、大きく口を動かして、もう一度ゆっくり。 「聞こえないの?」 静かにまた流れる涙。 「…ごめん」 ポケットからスマホを出して、ここ何日も返事ひとつしてくれなかったDMの画面を開く。 《危ないから送るよ。足も痛めたようだし。》 送信しても未読のままのその画面を見せると、小さくゆっくり首を縦に振った。 左手の手のひらを、下向きにして。 右手で一回切るようにぽんとたたく。 たぶん、意味は…ありがとう。 なのかな? ・・・ かなうちゃんの家は小料理屋からさほど離れていなかった。 《大丈夫そう?明日も痛むなら病院に行ってね。おやすみ》 画面を見せて、かなうちゃんが小さく頷くのを確認してから帰ろうとすると、そっとコートの袖をつかまれた。 「なに?」 言っても…………聞こえないのか。 つかんだ裾をツンツンして中に入るように促してくる。 でも、女の子の部屋だし。 俺、立場上色々あるし… 微動だにしない俺の様子にため息をつきながら、久しぶりにDMに返信をくれた。 〈絵を見てほしいだけ〉 案内された部屋の奥。 大型テレビぐらいありそうなパネル。 「ゎ……。」 言葉をのむ。 とは、この事だ。 なにか言いたいけど、この世の全てがこの感情を表現するには安すぎる。 この想いはそんな程度じゃないんだと抵抗して言葉を拒絶する。 まだ色が入っている部分は半分くらい。 下絵はほぼ完成してる。 俺の歌詞の世界のあちこちを切り取っているそれぞれのシーン。 俺のサポートをしてくれている人たちの姿。 過去に出演した媒体の衣装を着たいろんな表情の俺。 歴代愛用ギターとかマリンバとか、楽器もあちこちちりばめられている。 偶然なんだろうけど、まだかなうちゃんに見せてない新曲の歌詞にぴったりなイラストまである。 《これすごいよ。感動しかない。こんなつまんない感想しか言えなくてごめん。》 画面を見せると、かなうちゃんは目をうるうるさせてにっこり笑った。 左手の手のひらは、下向きで。 右手で一回切るようにぽんとたたく。 やっぱり。この意味はきっと…ありがとう。 《聴こえないのに、どうしてわかってくれるの?》 かなうちゃんは小さなスピーカーを俺に持たせた。 動画の再生ボタンを押すと、俺の手の中でスピーカーは細かく震える。 〈手のひらからも音は聞こえるって初めて気づいたの。触ると揺れるから、画面のあなたが笑ったり踊ったりちょっと顔を歪めて上向くのに連動するの。なんとなくだけど、わかる。あなたの音の全部を理解してることにはならないけど。教えてくれて、ありがとう。全部色が入ったら連絡します。〉 ばいばい…悲しげな顔で手を振るかなうちゃんをたまらず抱きしめた。 「好きだよ…かなうちゃん」 のみこんでいた言葉と感情があふれだすのに、抱きしめたままじゃ、腕の中の彼女に伝わらない。 ・・・ 俺は溺れるほどの音の中に生きてる。 いつか歌えなくなったら… 一音も思いつかなくなったら… 俺の音が受け入れられなくなったら… そんな恐怖の中で生きてる。 溢れる音の中で生きてく俺 ミュートの中で生きてく君 ミュートの中で俺をわかってくれた君 俺になにげない幸せな時間をくれた君 ・・・ まっすぐ見つめて、もう一度ゆっくり。 「かなう、ちゃん、す…き………だよ」 大きな目からぼろぼろ涙は落ちる。 コートの袖をつかんだまま小さく首を振る。 〈ちがう。かわいそうに思ってるだけ。あなたがすごい人気のミュージシャンだなんてことも、耳が聞こえないことも、なにも知らないままの方がよかった。〉 ずっと沈黙を決め込んでたDM画面が、今さら聞きたくもないことに勝手に表示しやがる。 かなうちゃんは、ばいばい…手を振ってドアを開けて俺に出ていくように促した。 ・・・ 外に出ると、あの火災現場の方角はまだ少し騒がしい。 寒空にため息を純白の羽衣みたいに吐き出して、久しぶりにやり取りのあったDM画面をぼんやりと眺める。 検索サイトを立ち上げる。 うん…。そんなに、難しくなさそうだ。 もう一度かなうちゃんの家のドアの前。 《家の鍵を落としたかも》 嘘をついてドアを開けてもらった。 ・・・ 左手と右手、それぞれ輪を作る。 胸の前で両手の輪を繋げてすーっと前へ。 ずっと 左手、右手、人差し指を立てて、指どうしをくっつけて。 いっしょ 自分の胸をとんとん。 ぼく かなうちゃんのことをとんとん。 あなた 最後に人差し指と親指であごをなぞって引っ張るみたいにする。 すき ・・・ 伝われ。 君に。 ・・・ また大きな目から涙をこぼしながら、ゆらりと崩れるように座り込むから。 きっと…この想いは届いたんだ。 無音の中で 君に │ ×××××××ミュート×××××××× │
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