音の中の彼

1/1
11人が本棚に入れています
本棚に追加
/6ページ

音の中の彼

小学校からの腐れ縁の亜澄はメロンアレルギーで、今の彼氏は耳が聴こえない。 元カレは聴こえる人だったけど。 私の元カレも聴こえる人。元々カレは私と同じ完全ミュート。 私の家でお菓子を広げて、せわしなく両手で話しながら、話題はいつもおなじ。 学校の頃の馬鹿話。 仕事の話。 安くて使えるコスメの話。 それから、歴代彼氏たちのノロケ混じりの愚痴。 付き合うなら聴こえる人と聴こえない人のどっちがいいかって話になるけど、結局耳がどうかじゃなくて、尊敬し合えるとか、わかり合えるとか、ノリがあうとかだよねってことに落ち着く。 だって、耳が聴こえないって良くある話じゃない。 そういう子たち集めて学校ができるほどメジャーなんだもん。 メロンアレルギーの学校なんてたぶん人が足りなくて成立しない。 だから…要するに? 音に避けられて生きていくことなんて、特別な食材を一生避けて生きていくアレルギーとたいして変わらないと思うのよ。 そうはいってもね。 やっぱり普通とはちがうから、私。 人に話しかけられても気づかなくて、不親切だと思われて不機嫌にさせちゃったり、必要以上に申し訳なさそうな顔されるのはうんざり。 誰にも話しかけられないようにヘッドフォンをするようになったのは高校生の時から。 それになんかかっこいいじゃない。 ヘッドフォンして颯爽と歩いてると、音楽通って感じがするじゃない。 聴いたことないんだけど。 言いたいことあるのに、わざわざ文字数削って急に英語混ぜたりして、難しそうな楽器を従えて音楽にする、その意味もわかんないんだけど。 でもね、言葉に表せない感情とか、からだの奥で根を張って花が咲く名のない想いがあるのはわかる。 私の場合は、それを絵にするの。 最初は自分のノートに書いてただけ。 亜澄がすごいすごいって褒めちぎるから、インスタ立ち上げて、誰宛でもなく投稿するようになったら、同じマンガや映画を好きな人にたくさん出会えたの。 貴女は耳が聴こえないの? なんて誰も聞いてこない。 どのセリフが好き? どの映画が好き? あのシーンをイラストにしてよ。 今日のpost超カッコ良かった。 とかね。 リスペクトが溢れて、わかり合えて、ノリが合う。 いいね👍 いいね♥️ それだけでいいじゃない。 だから彼も。 お互いのことは何も知らない ただ仲良くなって気になって 返事が嬉しくて、 文字が優しくて 感受性のアンテナがとても繊細な彼を もっと知りたくて。 でも… 知らなきゃ良かった。 よりによって。 音に自分を捧げてる人。 わかり合いたくても できるわけないじゃない。 手のひらにスピーカーを。 小さな画面で楽しそうな彼が揺らいで踊って歌ってる。 声ってどう響くんだろう。 優しいんだろうな。 彼の音を知りたいけど、その願いは叶わない。 私に彼がわからないなら 彼も私がわからないまま そっと静かに終わればいい。 その願いすら叶わずに彼は私のことを知った。 そして私を好きだと言った。 知ってるの。 そういう人、よくいるから。 かわいそうだね 助けてあげたいよ それを間違えて好きっていう人。 かわいそうなんかじゃない。 助けも要らない。 私、生まれたときからずっとだから。 せめてほんの少しの間だけ。 お互い何も知らずに過ごせた、この何気なく幸せだった時間を刻むように。 手のひらからわくわくする楽しさを、感じ取る喜びを教えてくれた感謝を刻むように。 この絵は完成させなくちゃ。 私に音を聴くことはできないけど、 この絵に色が入ったら、 彼の音楽は音が聴こえるメカニズムを越えて、 鼓膜を越えて届くんだよって伝えられる。 でも… この絵が完成したら、彼と私をつなぐものは何もない。 =家の鍵を落としたみたい= スマホの画面が白く光る。 ドアを開けると外の冷たい空気が頬をかすめる。 慌てて走ってきたらしい彼は、息を弾ませて眉を困らせて、今にも泣き出しそうな顔をしてる。 玄関から一歩下がって部屋に入るように促すのに、全然その素振りもない。 〈…??〉 どうしたの?って顔をして見せるのに、目も合わないし切羽詰まった顔をしてる。 《ふぅ…》 …って音はしたのかな? 口をすぼめて息を吐くみたいな動きのあと、目の前の気流が少しだけ乱れた。 彼の右手 彼の左手 頼りなげに輪を作る。 まっすぐ、前につきだす。 …!! ずっ…と…? 《ずっと一緒にいたい。僕は君が好きです。》 たくさんの音を作り出すための彼の手が、音のない私のために囁いた。 さっきと同じ“好き”だけど、さっきのは私に届かない声の“好き”。 いまのは彼の世界とまるで違う私の世界の言葉の“好き”。 彼の言葉はやっぱり鼓膜を越えて届くんだ。 ゆるゆるとその場に座り込んだら、ふわりと優しく包まれた。 おでこの横に触れてる彼の喉が振動してるからきっと何か話してくれてるのね。 その声が聞けたら良かったのに。 その願いはきっとこれからも叶わない。 ずっと一緒にいたい。 私もあなたが好きです。 この願いはこれから叶うのでしょうか。 溢れる音の中のあなたと、ミュートの中の私。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!