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左利きの彼女
・・・
いつもの大きなヘッドフォン。
乱暴に取り上げて怒鳴りつける。
「いつもこれ付けて周りの音聴かないから危ない目にあうんだろっっ!」
両目から涙がぼろぼろ溢れ出す。
俺のコートの袖をつかむ両手はがたがた震える。
……大きな声で、怒鳴りすぎたな。
「ごめん。怖かったよね。もう大丈夫。」
膝を震わせている彼女に肩を貸して立たせたら、顔を歪めてふらついた。
倒れた拍子に捻ったらしい左足首がほんのり青く変色して痛々しい。
「立てる?」
…。
「ねぇ…。」
…。
「なんか言えよ!」
…。
黙ったまま、ただ痛みに顔を歪めて、突き放すみたいに俺をそっと押しやった。
目を見て誠実にお礼言ってくれ、なんて思わないけど、心配してんのにだんまりはないだろ。
対人恐怖症なんだか、高機能自閉症なんだか知らないけどさ。
頭ちょっと下げるぐらいできんだろ。
人として、の話だろ。
はぁ…
ため息は純白の羽衣みたいに空に舞った。
「あのさぁ…いつもこんな夢中に、何聴いてるの?」
加速させる意味を持たないイライラが昂らないように、自分の気を紛らわすため彼女のヘッドフォンを装着した。
…そこからは、何も聞こえてこなかった。
│
×××××××ミュート××××××××
│
家の近くの行きつけの。
こぢんまりした小料理屋。
閉店時間は23時。
オーダーストップは10分前。
流れるBGMはいつもオールディーズ。
店長は翌日の仕込みのために遅くまでお店にいるから、常連になった俺は閉店時間を過ぎてもその店のドアを秘密のリズムでノックすれば中に入れてもらえる。
メニューにも載ってない、俺の好き嫌い度外視の、栄養満点のおいしい食事を提供してくれて、最近乱れた食生活を正すために料理を始めた俺にとっては師匠でもある。
今夜は。
………あれ?
先客がいる…。
まじか。
しかも女の子。
勘弁してよ。
これっぽっちのことに尾ひれがついて、羽まで生えて、あることないこと加わって、伝説の幻獣みたいに語られるんだよ、俺の場合は。
彼女は大きなヘッドフォンをして、テーブル席のいちばん奥、4人テーブルの壁寄りに座ってる。
おいしそうに湯気の上がるトマトパスタは遠くに追いやって、テーブルに覆い被さるみたいにひたすら左手を動かしてる、少し不思議な女の子。
左利きなんだ…
ちょっと親近感。
でも、これは困るよ店長。
俺、今そういうとこ、いちばん気ぃ使ってんだからさ。
・・・
カウンターのいちばん端、彼女から死角になる位置に陣取る。
「ねぇ…誰かいるなら言ってよ。俺来なかったのに…。」
「ん?あ、あの子たぶんもうすぐ帰るよ。それにあの子はダイジョブ。てか論外。」
「何を根拠にそんなこと言うの…」
「あの子、よく来るけど、ずっとヘッドフォンしてんのよ。目も合わせない、話しかけても答えない。オーダーするときもメニュー指差すだけ。ずっと絵を描いてて、一段落すると一気食いして、会計のときちょっと会釈して終わり。」
「変なの…」
「対人恐怖症とか、高機能自閉症みたいな感じなのかな。イメージだけど。」
「ふーん…。」
「バイトの子が、オーダーとるとき見た絵の下書きで気づいたらしいんだけどさ…」
玄米と自家製梅干し
とろろ昆布のお吸い物
根菜と豆腐つくねの煮物
山菜のおひたし
今日もまた一段と地味なプレートをカウンター越しの俺に差し出したあと、続けてタブレットの画面にイラストを表示して差し出した。
細かい。
とにかく細かい。
曼荼羅みたいだ。
ウォーリーみたいって言った方がいいのか。
絵の細かい中に物語がいっぱいあって、小ネタがあって、可愛いのと写実的なのとグロいのが混在してる。
・・・
右下に小さく漢字が四つ。
刀 祢 叶 羽
・・・
「なにこれ?暗号?」
「とねかなう。っていうんだって。歌い手とかボカロのMVニコ動で上げてたり、マンガの同人誌出してたりしてるみたいね。インスタのフォロワーは一万手前。」
とね
か な う…。
一心不乱に手を動かす左利きの彼女の顔は、ここからだとまったく見えない。
あごのラインまでまっすぐ伸びる栗色の髪。
隙間から見える首や手の甲は透けるように白い。
「ふーん。…ぁ、うま。このおひたしおいしぃ。」
「えー?本気でいってるそれ?」
「はい。ホント、うまいっす。」
「…っふっふ。それ…パクチーはいってる。」
「ぅうぇ…」
「気づかなかったくせに。」
「…あとから来た…パクチー…」
「うそつけぃ!好き嫌いするなっ飲みこめっ」
店長は凍ったジョッキに冷えたノンアルコールビールを出してくれた。
とね
かなう…。
・・・
検索したらイラストがたくさんヒットした。
構図はどれも凝って細かくて、仕掛けがたくさん潜んでて、いつまででも見ていられる。
俺、これ好きだ…。
インスタのプロフィール画面にはリンクが貼ってある。
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カチリ…👆
《はじめまして。イラストステキです。描いてある人みんなにストーリーが滲み出ていて、いつまででも眺めていられます。過去の作品にも感想書いてもいいですか?新しい作品も楽しみにしてます。》
返事…来るかな…。
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