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第57話
「私には、プログラムの中にもぐり込んで、数値を書き換えるだけの能力がある。それを行使して書き換えているだけなのに、それが評価されないだなんて、おかしいじゃない」
「公平なルールの上で評価しないと、正しい評価はできない」
「だから、それが面倒くさいって言ってんの!」
目の前に、愛菜が立ちはだかった。
「だから、そんな方法で勝って、楽しい? うれしい? 面白い?」
「楽しいわよ。私は他人とは違う能力で戦って、相手の裏をかいて勝利する。負けてばかりの試合なんかより、勝ち続けてる方が、いいに決まってるじゃない」
「本当の実力じゃないのに?」
「『そうすることが出来る』っていう、私の実力よ」
「負けた試合でも、それを楽しめるようじゃないと、本当に好きだって言えるの?」
愛菜の手が、私の髪をつかんだ。
持ちあげられた首筋に、直接スタンガンが押しつけられる。
「それって、あんたが言うセリフじゃないよね」
「どういうこと?」
「あんたがPP局でかわいがられてんのは、あんたがこの仕組みを作るきっかけになったからでしょ、だって、楚辺山高原誘拐事件の、被害者なんだもん」
愛菜は、知っていたんだ。
個人情報保護法で守られてるだなんて、大嘘。
ちょっと調べれば、すぐに個人の住所も過去も、特定されてしまう。
「あんたみたいに、なんの技術もない女が、簡単にPP局に入れる? あの事件のおかげじゃない。それが理由なんでしょ? 私ですら、正規ルートでは入れなかったのに!」
つかまれていた髪の毛が、ふっと彼女の手から開放された。
「だから、脅迫状を送ったの?」
「そうよ、ネット上のハッカー軍団はね、知識と技術は持っていても、実行する勇気という能力がないの。だから、私は彼らの知識を利用して、それを実際にやってみただけ」
彼女は振り返って、にやりと笑った。
「おかげで、憧れのPP局にも入れたわよ」
「なのに、爆破事件まで起こして局を追い出されることになったのは、どうして?」
愛菜の指が、引き金を引いた。
「キャア!」
全身に走る強い痛み、心臓の鼓動が異常に激しくなる。
脳全体が、頭蓋骨の中で振動している。
鼓膜の張り裂けそうな痛みに、体中がきしむ。
「入ってみたら、案外つまんなかったのよ、退屈で、もう飽き飽きした。こんな物に振り回されてた自分が、バカみたいに見えて、よけいに腹がたったのよ」
「ズルして勝って、もう飽きたの? そしたら、また最初っから、今度は初めからちゃんとズルしないでやり直してみようって思うのが、本当なんじゃないの?」
「なによそれ、この私に、更正しろって言ってんの?」
動けない体で、愛菜を見上げる。
彼女は微笑んだ。
「あんたって、本当に頭悪いわね」
「友達になろうって言ってくれたの、うれしかった。あなたの家を訪問して、初めて会った時には、怖いと思ってた。それからのメール攻撃も、ずっと迷惑だと感じてた。だけどそれが急になくなると、寂しくなったの。愛菜がPP局に入局して、仲間になったときには、本当にうれしいと思った」
「あっそ」
愛菜の手は、再び私の髪をつかむ。
「私はあんたがうちに乗り込んできた時、無性に腹がたった。なんで私より頭の悪いコイツが、堂々と他人の経歴を覗き見て、外を歩けてるのかってね」
彼女の手に、さらに力がこもる。
「それで調べたの、あんたの経歴。それで納得した。『あぁ、コイツは特別枠なんだ』って、だから私も、その便利な特別を手に入れたかったのよ!」
頭が地面に叩きつけられる。
「私は、そんな経歴に関係なく、私自身を見てくれる人が、ほしかった」
頭が持ちあげられた。
もう一度叩きつけられたら、本当に気絶するかも……。
「そこまでだ!」
霞む視界の向こうに、鳴り響く足音が聞こえる。
横田さんが銃のようなものをこちらに向けていた。
その後ろには、市山くんとさくらの姿もある。
「手を放せ。両手を挙げて、後ろに下がるんだ」
愛菜は私から手を放した。
ゆっくりと立ち上がり、放電式のスタンガンの先を、横田さんに向ける。
彼女の方が、先に引き金を引いた。
空中をまっすぐに走った放電流が、横田さんの手前で失速して消える。
それを冷静に見届けた彼が、今度は引き金を引いた。
ドンッ!!
強い衝撃波が、周囲の空気を壁のように押す。
愛菜はその強力な力に吹き飛ばされて、地面に転がった。
「今だ!」
それを合図に、市山くんは愛菜の腕を後ろ手に絞り上げた。
横田さんが、私のそばに駆け寄ってきてくれる。
「大丈夫か!」
よろよろと立ち上がろうとした私を、彼は支えた。
拘束具をかけられた愛菜は、地面に伏せられている。
「いつかあんたを、絞め殺してやるわ」
そう言った彼女の表情は、私にはどうしようもなく悲しげで淋しげで、誰かに必死に助けを求めて、もがいているように見えた。
「あなたみたいな人を救うためにも、PPがあるということを、証明してあげるね」
ここまでが限界だった。
足に力が入らない。
くらりと地面が揺れて、意識を失った私の体を、横田さんの腕がすくい上げた。
「保坂! 大丈夫か、しっかりしろ!」
「明穂さん!」
「明穂!」
視覚は失われても、なぜか聴覚だけは生き残っていて、私の名前を必死で呼ぶ彼の声を、ずっと聞いていた。
遠くでサイレンの音が響いて、警察車両と救急車が到着する。
私はさくらと一緒に救急車に乗せられて、その場を後にした。
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