いじめ

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いじめ

 みんなの髪は黒いのにボクだけは茶髪だった。顔立ちも日本人とは違い西洋風でクラスで一人浮いていた。それがいじめの原因だった。日本人はなぜ自分達と違う者を受け入れられないのか?それを攻撃対象にしてしまうのか?なぜ同じでなくてはならないのか?日本では、ボクの小学生時代はまだ個性を尊重できていなかった。先生でさえボクのような他の子供と違う発想や外見の子供を認めようとしなかった。  最初はクラスメイトによって物が隠されたりゴミ箱に捨てられたりといった嫌がらせだったが段々それがエスカレートしていった。給食の時間は必ずロッカーに閉じ込められて給食が食べられなかったし、休み時間は勿論放課後まで数々のいじめにあった。  ある時は誰かの尿を無理やり飲まされたり、またある時には学校近くの真冬の川に突き落とされその後直ぐに学校の屋上に連れて行かれ翌日まで閉じ込められた。寒さに震え凍死しそうになり朝鍵が開けられた時には高熱が出て立ち上がれなくなっていた。そのままボクは誰かに家まで連れて行かれ監禁され死なないように点滴を受けた。こんなことがあっても学校の誰もが見て見ぬふりをしたし上級生や先生までがいじめに加担していった。まるでいじめがウイルスのように伝染しボクは罪人のように扱われた。  小学校に入学し3ヶ月後には、本来学校で授業を受ける時間もいじめの時間になっていた。全校集会でボクはここに居てはいけない存在でボクを調教することは正義の鉄槌であると校長先生は述べた。ボクは母以外の誰を信じて生きればいいのか分からなくなった。この頃からいじめはさらにエスカレートし、しつけと言う名のいじめが始まった。  誰かに教科書を破かれたのに先生は「物を大切にしなさい。」と、ボクをクラスメイトの前で叱りつけ土下座させたり、しつけとして放課後にグランドをボクが倒れそうになるまで何周も走らせた。めまいを起こし嘔吐してようやくその日は走ることから解放された。一人で学校中の掃除をやらされた事もあった。時間内に掃除が終わらないと当然のようにバツが与えられた。  そのペナルティは冬には冷たいプールに3時間入らされたり、夏の炎天下にはグランドを走らされたりといった季節によって異なるモノだった。また、ボクが産まれて来たことについての反省文を毎日何十枚も書かされもした。その反省文はほとんど誰も読まず捨てられていたらしいが当時のボクは毎日自分の存在を否定しなければならなかった。ボクは産まれて来てはいけなかったのだろうか?生きているだけで罪に値するのだろうか?  上級生にバット等で殴られ骨を折ったのは何度もありその度、父は満足な治療もせずにボクを監禁した。骨が折れた状態でも走れるように足が折られることはなかったが腕やあばら骨が折れた状態で炎天下の中グランドを走らなければならず意識が朦朧とする中、必死に生きて来た。なぜこんな目に遇わなければならないのか?ボクは高熱にうなされ身体中の痛みにひたすら耐えながらどうしたらみんなのように普通の暮らしができるか考え続けた。それでも答えは出ず辛い生活が続いた。  ボクがいじめられるようになってから母は良く泣くようになった。自分がイギリス人である為にボクがいじめに会い苦しんでいることに責任を感じ助けることの出来ない無力さを呪っていたようだ。ボクはそんな母の前では良く笑っていた。母には笑っていて欲しかったしボクの事で苦しんで欲しくなかったからだ。「ママ、ボクはね。ママがいるから生きていられるんだよ。だから泣かないで笑ってよ。」そんなボクの言葉に母は泣きながら優しくボクを抱きしめ「ありがとう、レイ。ありがとう。」と頷いた。そう、ママがボクの生きる希望なんだ。ママがいるからどんなに辛くても生きようと思えるんだ。  書斎に監禁されている時間、熱にうなされながらもボクは本を読み学校で学べない勉強をひたすらした。将来生きて行く為に必要なことは何だってやって来た。ボクは人間で命は簡単に捨てて良いものではないのだと自分に言い聞かせた。
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