キミの文字《こころ》を見せて

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 去年の、四月だったか。それを見つけたのは、偶然だった。偶々その踊り場に風が吹き、捲れた広告の裏に潜んでいた、茶封筒に出会った。  緩く留められていたのか、些細な揺れでその封筒が風に乗って宙を舞い、中身がするとと床に落ちる。  些細な好奇心から、飛び出た中身を手に取る。その文面は、はっきり言って酷いものだった。  例えるなら、ミミズがのたくったような字が紙の上を這いずり回っていて、とても読めたようなものじゃなかった。  それを見て、最初に湧き上がったのは。酷すぎる字面と、これを書いた輩に文句をぶちまけなければ、という感情だった。  私にとって、この双眸に見えるものが全てだ。だから、こういった下手な字面は不協和音のようなもので、実に度し難い。  私は一日と一晩を掛けてその下手くそな字を何とか解読した。手紙の内容を要約すると、こうだ。 『…これを見た人に、お願いします。どうか、ワタシのことを、覚えていて欲しい』 …意味不明、というのが率直な感想だ。私はそれの返答を、手紙を見つけたのと同じ場所に留める。  それから一週間程経ったある日、その事を殆ど忘れそうになった時、偶々その踊り場に立ち寄り、それとなく捲れば、新しい封筒が留められていた。  少しの迷いよりも期待が勝った私は、息を呑みながらそれを手に取る。中身に書かれていたのは、相変わらず不細工な字面だったが、多少はマシになっていた。 …正直に言うと、滅茶苦茶失礼なことを書き連ねてしまった。具体的には、《マトモな字を書けるようになってから出直せ》と、あからさまに喧嘩を売っている。  余計なことを言ってしまったか、ショックを受けてしまったか、などといった懸念は杞憂に終わってくれた。  それどころか、今後とも薫陶を受けたい、とまで言い出す始末だった。 …先程、偶然だったと述べたけれど、この出会いは、ある意味では必然だったのかもしれない。  もしこの時、些細な悪戯心と好奇心が湧かなければ。  もし、あの酷い文面に文句を着けたい、というお節介と憤慨が無ければ。  私は今こうして、この《MY》と文通をすることはなかっただろう。  それから、()と《MY》のやり取りは続いた。些細なミスを教えるところから、その日あったことを語らったり。  何か特別な事を並べるでもない。私は、この《MY》との繋がりに心地よさを覚えていた。  私にとって、この眼球が映す世界が全てだ。喉を震わせたところで聴こえない何かを、指先を通じ文字として受け止めることができる。 ──それはまるで、恋する乙女か、或いは母親の温もりを求める獣か。僅か紙切れ一枚の文字列に、強く心を動かされている。  月が移ろう度に、《MY》の文字はどんどん流麗になり、夏休みを迎える頃には私よりも上手になっていた。  それが誇らしいという気持ちはあった。と同時に、もう話すべきことが無くなる少し寂しさを覚えてもいた。 …変な話、どんな顔をしてこれから先のことを綴ればいいのだろう。もし、これからすべきことが無くなれば、この繋がりの意義が失われてしまう。  共有できる目線を、友と言っても過言ではない相手と語らう。そんな、自分勝手な理由を見つけて、強い嫌悪感に身を捩る。  そう思っていた。夏休みを明けて、久しぶりに交わされたその字は、定規で書いたような、直角の字体だった。 『この休み中に指を怪我した。しばらく不自由な字体になることと、リハビリに付き合うことを許して欲しい』  それはまるで、夢の終わりを認めようとしない、私の心境を窺い知ったかのようだった。 ──まだ、繋がれる。そう過った思考を、強い拒否感を覚えながら、口元は醜く歪んでいた。
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