0人が本棚に入れています
本棚に追加
『何を書いているのですか?』
そう質問されれば、私は咄嗟に隠してしまう。別段恥ずかしい物ではないけれど、頭より身体が先に反応するのだから仕方ない。
夕焼けが《文芸部》と書かれたプレートの下がる寂しげな部室棟の一角に射し込んで辺りが橙に染まるなか、私は簡潔に説明を連ねる。
『文通? それはまた、古風ですね』
そう物珍しそうな顔をした。確かに、SNS全盛のこのご時世に、手紙のやり取りなんてやる奇特な輩はまずいない。
『因みに、いつからです?』
『…去年から。我ながら、物好きね』
目の前でニコニコとしている、染め直した黒髪が特徴的な彼は、去年から赴任した新米教師の前田葉。
理系科目担当なのに、今年からこの畑違いの寂れた部活の顧問を押し付けられた、所謂貧乏クジの人だ。
彼の白衣からにわかに煙草の臭いがする。大方HR終わりにいそいそと吸いに行ったのだろう。私はこの臭いはあまり好かないから、自然と顔をしかめてしまう。
『…ごめんね。次は気を付けるよ』
表情の変化で気がつくと、申し訳無さそうに平謝りする前田先生。私はそれを無視して、微動だにしない出入り口に目を移し、ため息を漏らす。
『…今年で廃部ね』
橙に照らされる、読み手のいない本の山を見て、小さく並べる。
『…僕個人としては、初めて顧問をやった部活だから、潰したくはないけど』
『でも、人が居ないんじゃ、金の無駄でしょ』
…先生の事もわかる。仕方ないという気持ちとは別に、惜しいと思う気持ちも確かにある。
私はあまり人とワイワイするのは好まないけど、同じくらいこの寂れた部屋が恋しいとも思っている。
加えて、去年卒業した三年生に対する申し訳無さもある。出来れば、卒業する一年後までは延命させてあげたい。
が、ここに属しているのは、私を除くと幼なじみの森紫だけで、彼女は苦学生故にバイトが忙しく、実質名を貸しているだけだ。
部の存続には最低三人必要だ。生憎、人付き合いには長けていない私では、他のクラスメイトに声を掛けるのは些かハードルが高い。
じゃあ、他に誰が。……そう考えた時、一人だけアテがあった。
…いい案だ、と思い当たったと同時に。心苦しさも胸中を染み渡る。その、名前も知らないささやかな友人を、私の勝手で利用するみたいで後ろめたい。
余程露骨に顔に出ていたのか、先生は私の顔を覗き込んでその色を窺う。
『大丈夫かい?』
…心配はありがたいけれど、あまり顔を近づけるのは感心しない。何よりニコチン臭い。
『セクハラですよ』
『これでも? 手厳しいな』
『あと臭い。消臭剤頭から被れ』
『喫煙者に辛い時代だなあ』
頭を掻きながら、穏やかな笑みを崩さない前田先生。まだ若い、今風の男性なのにヘビースモーカーなのだから、ギャップのある人物である。
最初のコメントを投稿しよう!