59秒の魔法

1/1
7人が本棚に入れています
本棚に追加
/4ページ

59秒の魔法

「働く気、ある?」  ありませんけど。 「俺さーお前のATMじゃないんだけど」  プロポーズはなんだったん。 『そんな腕前でウメキチ投稿とか恥さらしw』  料理くらい自由にさせてくれ。  あとウメキチって何だ、ウメッシーキッチンって言え。 「大丈夫? 仕事も彼氏もってしんどいよね……分かる。私も仕事しんどくてさー……ほら、私も先月彼氏と別れたばっかりじゃない? もう限界! って感じで……」  話しすり替えんなや。  もう無理、もーーーームリ!! 「お前らのご機嫌取りで生きてんじゃねえんだよ!」  まず友達にブチ切れ。 「仕事辞めます。退職届です」 「あー……退職ー、ね……今辞めるなんて困るよ。休みのことならほら、明日休んでいいから……」 「休んでも辞めても居ないの同じですよね? それとも1日で回復すると思ってんの。防御力ゼロの脳みそでしっかり考えてみ? はい。おしまい! さよーならー!!」  翌日職場でブチ切れ、強引に辞め。 「てめえの着てる服はなんだ? 先月私がプレゼントしたやつ。うーん、その手首に輝く腕時計、あげくにここのお茶代まで! ぜーんぶ私持ち! アハッ! 私が頼んだのって結婚指輪くらいですけど~! 私、あんたのATMじゃないの~ぉ。結婚前提だから許してたけど、もーームリ! 今すぐ脱げ。さあ、脱げ!! そしてすべてを置いてここから出てけ下半身攻撃力ゼロマンが!」  そのままフリータの彼氏を呼びつけブチ切れ、警察の厄介になり……ウメッシーキッチンを退会した。 「仕事を辞めた? 吉平(きっぺい)くんと……わか、れた? おま、それでこれからどうして行くんだ!」  父さんの言葉にはこれが続く「出てけこの恥さらし!」。  しかし、今の私に響くものはかけらもなかった。  だからこう返したのだと思う「いいの?! わーい!」。  この1ヶ月、長かった。  32連勤目にして、完全に労基違反の会社をやっと辞めたことの方が偉大だった。  警察に厄介になったことに関してはついさっき怒られたので割愛する。  まあ父さんの言うことも分かるのだ。  26歳で転職を3回した私は、これが最後だからと言い切って入社した会社が3度目のブラック企業だった。まあ絶望した。  思い出にふけりながら部屋に戻り、タンクトップと短パンの部屋着に着替えると髪をお団子にしつつ「さて家どうすっかな~」とノートパソコンを開けた。 『長かったわ~4時間しか1日にプライベートない中で友達との時間! 彼氏との時間! 趣味の時間まで大事にしてきたけどやっと全部辞めた!』 『草』 『そりゃ”これからどうしてくんだ”じゃね』 『世の中にはもっと休みがない人もいるのに失礼』  発散の場所が、ネット掲示板の”見ちゃんねる”しかなくて投稿したけど、結局どこもストレス社会よな。  タバコを吸いながらズレた眼鏡をかけ直して画面を閉じかけた時、突然掲示板に広告が表示された。 『ドナワン・ハイム 緑あふれる平屋で一緒に暮らしませんか? 家賃 無料 家具付き・ワケアリ物件 入居条件 やりたくない症候群の方 合言葉 「ドーナツワンツー」』  0時ちょうどに表示され、1分経とうかという瞬間に、この広告は消えた。 『何何?』 『家賃無料とかw』 『今のトピ主にぴったりだな』 『なんだっけあれ』 『やりたくない症候群w』 『主さん見たー?』  話題はそれで持ち切りだ。  30分ほどそれでからかわれていたけど、私は無視し続けていた。  ドナワンハイム……それで頭がいっぱいで。  なんだっけ、なんだっけ合言葉。 『つかバグでは』  私が放置してるのを見かねたのか飽きたからか、あの広告の話題は一文で終了した。 「ドーナツ……ドーナツ、ワンツー?」  ブルーライトに疲れた目をつむると、タバコで満ちてた部屋の空気が変わった。  目を開いたら、一面に広がる緑。  私は姿勢を保てなくて、尻もちをついた。イスが消えてる。  視線の先には古い平屋。  それと、エプロンを着た黒髪の青年が立っていた。 「いらっしゃい」  口元がにっこり笑っている。  甘く優しい声にまばたきが止まらない。 「え、え?! 私の部屋は?!」  青年が近づきながら唇を開こうとするより先に、私は困惑を口にした。  近づいた青年は前髪が長くて、私を見てるのかもわからない。 「タバコの火、消してね。火事になるから」 「は、」  見てたのはタバコだったのか。  思わず握ってしまったタバコは熱くてちょっと痛かった。 「ごめん、驚かせたね。手当てするから、おいで」  手を伸ばしてくれる彼からは、カボチャのような香りがした。
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!