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午後の授業はそれというだけで眠いのに、つまらない先生の授業だと眠いでは済まされない。船を漕いでいる生徒がちらほら見られる。普段はそこそこ意識を保っていられる秋桜も昨日今日の疲れが溜まっているのか瞼が重い。ただ話を聞いているだけでは眠ってしまいそうだった。
苦肉の策としてノートの隅に落書きを始める。ありきたりな三頭身のイヌやネコを描いてみるが、絵が得意ではない秋桜は満足のいくものが出来なくて何度も線を描き直した。しかし描き直すほどに絵がイメージから遠ざかっていく。やはり絵は難しいので早々に諦めた。
やっぱり文字がいい。文字と音符。多少書く人によって癖は出るが万人に共通の記号だ。きちんと読めるものを書けば誰にでも通じる。それが文字と音符の魅力だと秋桜は思っている。
ノートの隅の僅かな余白。そこに、何を綴ろう。
そう思った瞬間、視界が一気に広がるような感覚を覚えた。物理的な視覚ではない。三百六十度を越えて、教室全体や廊下、外の景色、匂い、気温、風や空模様すら秋桜には視える気がした。長らく忘れていた感じに触れる。そう。空白を自らの意思で、自らの思考で、自らの言葉で、自らの文字で埋めることはこの上なく自由なことだ。詞は簡単に出てきた。
しかし、膨らませた風船が口を結ばなければ凋むように、秋桜の気持ちは一気に消沈した。消したい。消さなければいけない。恐怖感さえも混じった焦燥感に駆られた。
「――――」
すかさず文字の上に二重線を引いた。線だけではあまり意味がなく、消しゴムを探す。
消しゴムは丁度肘の先にあった。動いた拍子に小突いて床に落ちる。使い込んでだいぶ丸くなっていた消しゴムはころころと転がっていった。
上半身を曲げて自分の周りを捜す。自分の机を少しずらしてみるがその陰にもない。
「足元に転がってるよ」
困っていたところだが、言われて足元を見る。イスの足にぶつかって止まったのか、捜していた物はそっちにあった。秋桜はさらに身体を屈めて消しゴムを拾う。
「あり――」
謝辞は自然と出てきた。だが今まさに床にはらはらと落ちる桜の花弁を視界の端に捉えて、慌てて言葉を引っ込める。
顔を上げて正面にいたのは、しゃがんでいる桜花だった。
はろー、と顔の横で手を振り、にこにこスマイルを飛ばしてくる。
「…………っ……」
彼女の登場で落書きどころか授業どころではなくなって、この時の落書きは結局、消しゴムで消されることはなかった。
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