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4.
暗闇に桜の花弁が舞う。
次の瞬間、花弁は消えていた。秋桜は暗闇の中に一人で佇んでいる。
周囲を見回した。不思議と焦りはない。自分の姿が見えているからだろうか。物理的な暗闇とは異なる空間のようで、何もない暗闇かと思えば、足元に靴底が浸る程度の僅かな水が張られていた。水面に生じた波紋が光を帯びて、周囲を淡く照らしている。その果てはない。光はどこまでも広がっていく。
不意に背後から、ふわりと小さな光の球体が現れた。ふよふよと秋桜の顔の前を浮遊する。そして、ついて来いとばかりにゆっくりとある方向へ移動し始めた。
「そっちに行けばいいの……?」
秋桜は躊躇うが、光が少し離れたところで自分を待っていた。ここにいても仕方がない。秋桜はその光について行くことを決める。
光の後を追ってしばらく進むと、突然水の中から巨大な物体が突き出した。秋桜は追って仰け反るように見上げる。
それは顔のない白蛇だった。秋桜を感知したのか、こちらを向いて大きく口を開けた。鋭い牙が露わになる。逃げないと。そう思っても足がすくんで動けない。
秋桜が白蛇に飲み込まれる瞬間、白蛇の頭部に閃光が迸った。
「!」
間一髪で現れたのは守桜だった。彼は秋桜と白蛇の間に割り込む。その手には片刃の太刀が握られていた。白蛇は悲鳴を上げて悶える。
「大丈夫か?」
白蛇と向き合う守桜が横目にこちらを振り返る。秋桜は突然のことに声も出せず、こくんと頷いて返事をした。
「あ、あれは……」
「見ての通りただの化物だ。おまえの精気を喰らいたくて来た化物の、千匹目」
守桜は顔を白蛇に戻し、太刀を身体の正中線に構える。
「行けよ。奥で桜花が待ってる」
背中越しに守桜が言う。白蛇は斬られた痛みから立ち直り、耳をつんざく怒号を発した。
「これ片付けたら俺も行く」
こんな時まで彼は飄々とした物言いで、緊迫した気配を微塵も感じさせない。
ここにいても守桜の邪魔になるだけだ。秋桜は彼を気にかけながらも、光の目指す方向へ駆け出した。
白蛇が咆哮をあげる。守桜が斬ったところの細胞がぶくぶくと膨張し、みるみるその形状を変え、最終的に八つの頭を形成した。さながら日本神話に登場する八俣大蛇の如き形相となって、殺意に満ちた牙をむく。
「ラストは格別でけーな。……お約束か」
光は秋桜を急かすようにどんどん進んでいく。見失わないように懸命に走っていると、秋桜の前方に大きな光が灯った。
躊躇っている場合ではない。秋桜は恐怖を押し殺して、走っている勢いのまま光の中に飛び込んだ。
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