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チチの秘密 2
結花の父が経営する不動産屋の顧客で、玄武の犯行と思われる空き巣事件の被害者宅は、荒間駅から車で十五分ほどの閑静な住宅街にあった。
荒間市内でも古いエリアで、もう少し離れると田園風景が広がるのどかな地域だ。しかしそののどかさは住民の目が届きにくい、というデメリットにもなり、近年は空き巣被害が増えた地域でもあった。
そんな住宅街の中でも特に大きな邸宅が、大輔たちが訪ねた洞口(ほらぐち)家だ。
庭師が定期的に通っているとわかる立派な日本庭園があり、敷地をグルリと瓦屋根のついた木の塀が囲っている。その奥に立つ母屋の客間に通された大輔は、慣れない豪邸に居心地の悪さを覚えながら、革張りのソファに勧められるまま腰を下した。
隣には晃司がいる。いつもだらしなくスーツを着崩す晃司だが、さすがにこの豪邸の門を潜る前にはネクタイを締め直していた。背筋もいつもより伸びている気がする。
「……林さんのこと、聞いてますよ。行方不明なんですって?」
上品な初老の婦人が、大輔と晃司に冷たい緑茶を持ってきてくれた。この家の主人の妻だ。主人は趣味の釣りに出かけて不在だった。
「はい。それで……林さんを捜すためにいくつか伺いたくて、突然押しかけてしまいました。失礼をお詫びします」
晃司のいつもの何倍も丁寧な言葉遣いに驚く大輔だが、気持ちはわかった。大輔たちの前にお茶を置いた後、正面の一人掛けソファーに座った夫人は、思わず居住まいを正したくなるほど品のある女性だった。
「なんでも協力しますよ。……林さんには本当に良くしていただいてるの。それにお嬢さん……結花さんも心配されてるでしょう? 何年か前にお母さんが亡くなったばかりなのに、お父さんまで、なんてねぇ」
洞口夫妻と孟徳は、仕事上だけでなく付き合いが深かったらしい。夫人の話しぶりと、客間の飾り棚に飾られたいくつもの写真の中に、洞口夫妻とおそらく何年か前の孟徳、まだ中学生ぐらいの結花、それに在りし日の孟徳の妻らしき女性も写ったものがあったので、そう推察できた。写真はどこかの河原でバーベキューをしている、親しげなものだ。
(結花さんのお父さん……ホントにイケメンなんだ……)
写真の中の結花も、結花の母らしき女性もそれぞれ美少女と美人だが、孟徳は背が高く、切れ長の目が印象的なかなりの美丈夫だった。それに妙に色気というか、雰囲気もある。話には聞いていたが、初めて孟徳の写真を見た大輔は場違いな感想を抱いてしまった。
「洞口さんと林さんは、家族ぐるみでお付き合いを?」
同じように写真を眺めていた晃司が夫人に訊ねる。晃司は大輔と違って、写真の中の孟徳にアホみたいに見惚れてはいなかった。
「ええ、うちは孟徳さんの前の社長の頃からお世話になってましたから。先代の社長も大変真面目な方だったけど、娘婿の孟徳さんも本当に真面目でよく働く方で……。それなのにどうして失踪なんて……あんな可愛いお嬢さんを一人残していくなんて、よっぽどなにかあったのかしら? お店が上手くいってない、てことはなかったと思うんですけどねぇ」
「そうですね……経営状況を見るかぎりは、お店に問題はなかったようなので、我々はなにか事件に巻き込まれたんじゃないかと」
晃司がそう伝えると夫人は、まぁ、と心配そうに声を上げた。晃司が続けてなにか訊ねようとしたが、夫人の様子がおかしいことに気づいて一度口を噤む。
「なにか……心当たりがおありですか? 林さんが巻き込まれたトラブルとか」
晃司が優しく訊くと、夫人は少し考えてから重い口を開いた。
「……やっぱり、あの時警察に通報するべきだったのよねぇ」
「あの時?」
「刑事さんは、うちが何カ月か前に空き巣に遭ったことはご存じでしょう?」
晃司は真剣な面持ちで、はい、と頷いた。
「その後……一カ月ぐらい前なんですけど、お恥ずかしいことに……今度は詐欺に遭ったの」
ええ?! と大きな声を出してしまったのは大輔だ。晃司に軽く睨まれる。
大輔を視線で諌めた後、晃司は努めて静かに夫人に問い直した。
「詐欺、とはどういった?」
「いわゆる、投資詐欺です。新しい会社に投資してくれないかって。かなりの高利回りでとってもいい話だったんですよ。その話を持ってきてくれたのが、林さんなんです」
「もしかしてその会社って……」
晃司が、内海組が関わっているとされる投資詐欺の架空の会社名を伝える。夫人は悲しそうに、そうです、と頷いた。
大輔は愕然とした。予想はしていたが、やはり孟徳は詐欺に加担していた。それが決定的になり、ショックを受ける。
「言いにくいと思うんですが……被害額は?」
「社債を……二千万円分、ほど」
さらなる衝撃的な事実に、大輔でなく晃司も動揺を隠せなくなった。
「それは……大金ですね。でも……警察に届け出てないですよね? どうしてですか?」
「ごめんなさい。正確に言うと……詐欺に遭いかけた、んです。社債を買って数日後、林さんがあれは詐欺だった、てすぐに連絡をくれたんです。それに、お金も全額返してくれて……うちは被害はないんですよ」
「あの……ちょっと見てください。その投資を持ちかけられた時、この男に会いませんでしたか?」
少し早口になった晃司が、スマートフォンを素早く捜査して、一枚の画像を見せる。大輔が横から覗いて見えたのは、三崎、と名乗った内海組構成員の写真だった。
「……ええ、林さんから紹介された、投資先の会社の社長さんです。写真が白黒なので、絶対にそうかと聞かれたらわからないですけど……」
「お金を返しに来た時は、林さん一人でしたか?」
「はい。それは間違いないです。ひどく慌てて……自分もその男性に騙されたって平謝りされました」
おそらく大輔だけでなく、晃司も混乱していた。孟徳は昔の仲間――玄武に手を貸し、内海組とも繋がった。そして自ら顧客に投資詐欺を持ちかけておきながら――全額返済して、自分も騙されていたのだと謝罪した。
あまりに一貫性のない孟徳の行動に、大輔の頭はフリーズしそうだった。
「それで、林さんが自分で証拠を揃えて警察に通報するから、私たちには黙っていてほしいって仰ったんです。その時も、そんなことしたら危ないんじゃないかって、主人とも話したんですけど……林さんは大丈夫だって」
孟徳と、洞口夫妻との信頼関係はよほど深かったのだろう。洞口夫妻は孟徳も被害者だと今も信じている。そしてそのせいで失踪したと、孟徳の身を案じていた。
しかし大輔はそうは考えられなかった。孟徳が三崎と知り合ったのは、玄武の誰かに紹介されたに違いない。それならば、三崎が持ってきた投資話がまともじゃないことは、孟徳だって最初からわかっていたはずなのだ。
それなのになぜ、孟徳は家族ぐるみの付き合いがある古い客を騙し、その後金を返したのか。
「洞口さん、その話、うちの刑事課に伝えてもいいですね? それから……ご主人と二人で、またお話を伺わせてください」
冷静さを取り戻した晃司が、事務的だが丁寧に夫人に訊ねる。
「ええ……はい。きっと林さんを捜す手がかりになりますものね。……林さん、無事なのかしら?」
夫人は心苦しそうだった。詐欺に遭いかけた時、孟徳に止められても警察に届けるべきだったと、後悔しているのだろう。
「……我々はそう信じて、全力で林さんを捜しています」
晃司は肯定も否定もせず、真摯にそれだけ答えた。
それからもう少し孟徳のことや、今後のことを夫人と話してから、大輔たちは洞口家を後にした。夫人は玄関まで大輔たちを見送ってくれ、ずっと孟徳の心配をしていた。
広い邸宅の外に出ると、晃司はすぐに颯太郎に電話した。二人が荒間署から乗ってきた車は近くのコインパーキングに停めてあるので、そこまで歩く途中、晃司は颯太郎だけでなく、桂奈やおそらく合田にも連絡していた。
大輔はその間、考えた。孟徳の不可解な行動について――。けれど、大輔にわかることはなにもなかった。
「……大輔、わかったぞ」
電話が一段落した晃司にふいに話しかけられ、驚いて隣を振り向く。
「なにがですか?」
「結花の親父さん、失踪する前に金を下してただろ? それが二千万だった」
「え? じゃあもしかして、洞口さんに返したお金って……」
「親父さんが自腹で払ったんだ。洞口さんから騙し取った金は、すでに内海組のものになってたんだろ」
考えても考えてもわからない謎は、深まる一方だった。孟徳は騙した相手に、自分の金を返していた。しかも二千万もの大金を。
「どういうことですか? 結花さんのお父さん……なにがしたかったんですか? いなくなったのはなんで?!」
「……俺だってサッパリわかんねぇよ。ただ……時系列を颯太郎とすり合わせないと絶対とは言えないが、親父さんのことが玄武にバレたのは……奴らが洞口さんの家に空き巣に入った時だな」
晃司の話も大輔にはサッパリだった。眉間に深く皺を刻んで晃司を見つめる。
「ほら、俺らがいた客間に夫妻と結花や親父さんが一緒の写真があったろ? 玄武の奴ら、あの写真見て結花の親父さんの存在に気づいたんだよ」
「でも……孟徳さんが玄武のメンバーだったのは二十年以上前、ですよ? 昔の顔馴染みが空き巣の現場にいても、あの写真で確信なんか……」
大昔の知り合いを、たった一枚の写真で特定するなんて無理だ、と言いたかったが、大輔は途中で続きを飲み込んだ。
そこらのオジサンだったらそうかもしれないが、孟徳は一目見たら忘れようがない、人目を引く相当な美形だ。しかも数年前の写真でもかなり若々しかったから、数十年前の面影を今も強く残していて、昔の知り合いが気づいてもおかしくないのかもしれない。
「洞口さんは有名な資産家だし、知り合いを探るのはそんなに難しくなかったんだろ。それで、親父さんは奴らに居所を知られて……利用されたか、また悪い仕事に引き戻されたんじゃねぇかな」
「だけど、悪い仕事に引き戻されたなら、なんで孟徳さんは自分のお金で返済したんでしょう? てゆうか、最初から全部警察に通報してれば……」
「だよなぁ。やっぱ……まだ謎だらけか」
晃司が落胆する。なにか一つ手がかりを掴んで進んだ気になっても、結局孟徳のもとにはたどり着けないし、謎は深まるばかりなのだ。
刑事二人がうんと難しい顔をして、あーでもない、こーでもない、と話しながら、車を停めたコインパーキングにたどり着く。そのまま車に乗り込み、大輔の運転で荒間署に戻るはずだったが、大輔のスマホが着信を知らせ、エンジンをかける前にスマートフォンを確認した。
画面に表示された名前に、大輔が目を瞬かせる。
「……マヤさん?」
久しぶりで、意外な人物だった。北荒間にあるニューハーフヘルス――ピーチバナナの名物店長からの着信だ。
「……マヤ、か。……大輔、さっさと出ろ。きっと役に立つ話だぞ」
「え?」
助手席の晃司を見ると、キレ者刑事の不敵な笑みを浮かべていた。戸惑う大輔に顎で、さっさと出ろ、と促す。
大輔は促されるまま、通話ボタンを押した。
「……はい、堂本です」
『あら~、大ちゃ~ん、ひっさしぶり~』
しばらくぶりのマヤの声は、酒の飲み過ぎか風邪でも引いたのか、記憶にあるものより大分ガラガラで、思わずスマートフォンを耳から遠ざけた大輔だった。
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