チチの秘密 4

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チチの秘密 4

荒間署には、会議室が三つある。第一会議室が一番広く、捜査本部など大人数の捜査員が招集された時に使われ、保安係御用達の第三会議室は会議室とは名ばかりの、倉庫、休憩室、として使用されている。 残りの一つ――第二会議室は、第一会議室の隣にあり、第一会議室よりは一回り小さい。もっとも会議室として使いやすい広さで、署内の各課ごとの会議や課長クラス以上の会合などに使用される。 ピーチバナナから戻った大輔は、その第二会議室にいた。室内の中央に集められた長机の周りに、大輔、晃司、一太、合田、それに結花がそれぞれパイプ椅子に座っている。そこでは少し前まで、合田と刑事課の課長を含む刑事、それに生活安全課のこちらも課長を含めた数名が打ち合わせをしていた。 結花の父――林孟徳の失踪に関わる事案について、が議題だった。孟徳と玄武、玄武と内海組、そして内海組と孟徳の繋がりについて情報共有が行われ、結果、孟徳は内海組の投資詐欺事件の重要参考人として捜索されることになった。 こうなってしまっては、さすがに結花に父の秘密を隠してはおけない。結花は行方不明者の家族としてではなく、事件の重要参考人の家族として事情聴取を受けることになる。事情聴取を担当するのは刑事課だが、その前にこれまでずっと一緒に父を捜していた合田や保安係からそのことを伝えるべきだろうと、合宿生活の家主――合田が提案し、大学が終わった後の結花を荒間署に呼び出した。 言いにくい話を伝えたのは、その合田だった。晃司の方が結花と親しいと思うが、合田はこのメンバーの中では自分が一番責任ある立場だから、と辛い役目を買って出た。大輔は、合田の見た目にそぐわない、責任感の強さと誠実さに少し驚かされた。 孟徳が関わった投資詐欺――昔からの知り合いの洞口夫妻に、内海組の三崎と組んだ孟徳が詐欺を仕掛けた話をすると、結花は大きな目をさらに大きく見開いて、嘘です! と強く抗議した。 「洞口さんは、私も可愛がってもらってます! おじいちゃんの代からの古いお客さんで、お客さんてだけじゃなく、家族ぐるみで親しくさせてもらってるんですよ? 私が大学に合格した時もお祝いくれたりして……お母さんが亡くなった時もすごく気にかけてくれて……そんな人を、父が騙したっていうんですか?! ありえません!」 「それほど親しいから、洞口さんは安心してお父さんにお金を預けたんだ。だけどね、お父さんは騙し取ったお金を、全額返済してる。自分のお金からね」 合田がそう伝えると、結花は少し安心したようだった。 「じゃあ……お父さんは洞口さんを騙してなかったんですね。お父さんも、詐欺だって知らなかったんじゃないんですか?」 父もまた被害者だったと、娘が信じたいのは当たり前だろう。けれど事実は残酷なことを結花以外は知っているので、結花が喜ぶ姿が余計に辛かった。普段はニヤけた合田も、今はずっと硬い表情のままだ。 「残念ながら、それはありえないんだ。お父さんはその三崎っていう詐欺犯と、玄武を通じて知り合ってる。三崎の投資話がまともじゃないことぐらい、察しがついたはずだ」 「でも……お父さんはお金を返したんでしょう? それって、騙すつもりはなかったってことじゃないんですか?」 「騙すつもりはあったと思うよ。ただ、お金を返したことからも、お父さんの本意じゃなかったことは推察できる。もしかしたら、弱みを握られたりして、無理やり詐欺の手伝いをさせられたのかもしれない」 「きっと……きっとそうです! 昔のこととかで、脅されたんですよ。だってお父さん、詐欺なんか……まして、あんなにお世話になった人を騙すなんて……」 結花が俯き、細い肩が震える。大輔も、その場の刑事たちも皆、胸が痛かった。 重い沈黙が流れた第二会議室。そこに少し乱暴なノックの音が響く。出入り口の扉は開いている。そこから顔を覗かせたのは、ノートパソコンを手にした颯太郎だった。 「……お話し中すいません、ちょっと結花さんに確認してもらいたいんですけど、いいですか?」 颯太郎は合田と晃司を交互に見て訊いた。合田が頷くと、颯太郎は早足で入ってきて、結花の前の机にノートパソコンを置いた。 「今、お父さんが失踪したと思われる日の自宅近くや、荒間駅周辺の防犯カメラ映像を調べてたんだ。そしたら……駅の近くのカメラでお父さんを見つけた」 颯太郎は説明しながら手際よくノートパソコンを操作し、防犯カメラ映像を再生した。 「これ、お父さんだよね?」 颯太郎が太い指で画面を差す。大輔の位置から映像は見えなかったが、結花が潤んだ目で画面を見つめ、大きく頷いた。そうです、と答えて。 合田と晃司が結花の後ろに立ち、ノートパソコンの画面を確認する。 「そっか。でね、聞きたいのは……こっちの男。お父さん、若い男と話してるでしょ。お父さんがこの男と一緒に電車に乗ったところまで確認してるんだ。結花さん、この男のこと知ってる?」 結花が画面に顔を近づける。しばらく見つめ、結花は首を傾げた。 「……知りません。こんな若い男の子、父の知り合いだとは思えないんですけど……」 後で聞いた話だと、失踪当日に荒間駅から電車に乗った孟徳は、結花と同い年ぐらいの若い男を連れていたという。しかしその若い男に、娘の結花は見覚えがなかった。 「結花さんもわかんないか……。もし、この男のことでなにか思い出したら、なんでもいいから教えてくれる?」 颯太郎は結花にそう頼むと、慌ただしく第二会議室を出ていった。本格的に孟徳の捜索が始まった刑事課は忙しいのだろう。 「結花、本当に知らないか? 今は色々動揺してるから、頭が回んないだろうけど」 晃司が優しく訊ねる。結花は間を置かず、小さな頭を大きく横に振った。 「知らないです、あんな男の子。……てゆうか、お父さん、なにしてんの?」 そう言った結花の声は、不安のせいか――怒りのためか、震えていた。 「お父さんがマフィアだったとか……詐欺してたとか……若い男の子と逃げてるとか……もうあの子がお父さんの隠し子だって言われても驚かないです!」 結花の父――孟徳はいくつもの秘密を抱えていた。その中でも最大の謎は――。 「なんで……どうして、お父さんはあたしになにも教えてくれなかったんですか? どうして……どうして、あたしを一人にして、いなくなっちゃったの……? お父さん、あたしのことはどうでもよかったの……?」 最愛の娘を、たった一人残していなくなったことが、大輔には理解できなかった。孟徳にとって結花は、この世で最も大切な存在ではないのか。 結花も、そのことが一番辛いだろう。父に見捨てられたように感じられて――。 結花が両手で顔を覆う。父がいなくなってから張り詰めていた糸が、ついに切れてしまったのだ。結花は、声を上げて泣き出した。 晃司が結花のそばに立ち、震える華奢な肩を優しく抱く。結花は座ったまま晃司に抱きつき、泣き続けた。 いくら自分勝手な大輔も、今の結花に嫉妬する気持ちは起きなかった。ずっと気丈に振舞っていた結花の涙に、ただただ胸が痛む。 「……結花さん、俺は、あんたに謝らなきゃならないことがある」 泣きじゃくる結花に、合田がすまなそうに語りかける。結花は涙を拭いながら、怪訝そうに合田を振り返った。 「結花さん、お父さんはあんたを守ろうとしてたよ」 「……なんの話ですか? なんでそんなこと、合田さんがわかるんですか?」 「実はな、お父さんが失踪する直前に、お父さんから連絡があったんだ」 突然の合田の告白に、一同は面喰った。 「合田さん、結花の親父さんと面識があったんですか?」 晃司もなにも聞かされていなかったらしい。本気で驚いている。 「何年か前、日本に進出したばかりの玄武を調べてる時に、県内に元メンバーがいるって知ったんだ。それが、孟徳さんだった。とはいえ、孟徳さんもその時点で組織から離れて何十年も経ってたから、聞ける話はほとんどなかった。だから、何度か会っただけなんだが、一応俺の名刺は渡してあった。なにかあれば連絡が欲しいって」 その名刺の連絡先に、つい最近、数年ぶりに連絡があった。合田も驚いたらしい。 「孟徳さんは、ひどく慌ててた。自分の身に危険が迫ってるから、娘を……結花さんを保護して欲しいって連絡してきたんだ。すぐに孟徳さんと会う段取りをつけたんだが……会うことはできなかった。その前に孟徳さんは失踪して、携帯も繋がらなくなってしまったからな。孟徳さんが巻き込まれたトラブルも気になったが、孟徳さんがなにより心配していたのは結花さんの安全だった。だから、結花さんと連絡を取りたかったが……孟徳さんになにがあったのかもわからなくて、どうしようか困ってたんだ。そしたら、桂奈から連絡がきた」 偶然にも父を捜す結花と大輔たちが知り合い、そこから合田に繋がった。 「だから合田さん、いきなり結花を自分ちに泊めるなんてメチャクチャなこと言い出したんですね」 晃司が呆れたように言う。あの奇妙な提案は、結花の保護を孟徳から頼まれていたためだったのだ。 「それにしても、もっと早く教えてくれればよかったのに。結花だって、合田さんが親父さんの知り合いで、親父さんが合田さんに結花のこと頼んでたって知ってたら、もっと安心できましたよ」 「悪かったと思ってるよ。けど、初めは半信半疑、というか不信感もあったんだ、孟徳さんに。孟徳さんがなにに巻き込まれたのか、もしくは孟徳さんが自ら犯罪に手を染めたのか、さっぱりわからなかったからな。だからもう少し事情がわかってから、お前らにも結花さんにも打ち明けようと思ってたんだよ。それでも、娘を助けてくれってのだけは、最初から本気だとわかってたから、結花さんの保護は優先させた」 結花さん、といまだ動揺が収まらない結花に、合田が優しく真剣に語りかける。 「お父さんと知り合いだったこと、黙ってて申し訳なかった。だけど、お父さんはあんたを心配してたのは本当だ。お父さんは、結花さんのことをどうでもいいなんて思ってない。むしろ、あんただけはなにをしても守りたかったんだ。だってさ、自分の知られたくない過去……マフィアのメンバーだった過去を知ってる警察官なんて、孟徳さんにとっては二度と会いたくない存在だろ? その俺に頼ったんだよ、結花さんを守るために。結花さんを守るためなら、お父さんはきっとなんでもしたはずだ」 合田の言葉で、結花の涙が少しずつ乾いていく。合田は地顔のせいか、こんな時でも妙に色気のある甘ったるい笑顔だったが、優しさと温かさは伝わってくる。 「だからさ、結花さん、お父さんが帰ってきた時、あんまり怒らないでやってくれよな」 まだ濡れた瞳で、結花がぎこちなく微笑む。その笑みに安堵したのは大輔だけじゃないはずだ。 大輔は、合田の人となりに触れ、合田への見方が変わった。よくわからない性格だが、思いやりのある誠実な人なのは間違いない。晃司があれだけセクハラを繰り返されても、無下に扱えない、嫌いにならない理由がわかった気がする。 結花の濡れた目が、合田への信頼感を映しているのも、合田という男の優しさの証拠だ。それは男女の情の類ではなかったが、結花が誰か――自分以外の男――を見つめるだけで気が気でない男が、そこに一人いた。 「そんな優しいお父さんが詐欺犯なんて、やっぱり信じられないですよ」 漢(おとこ)――一太が声を上げる。結花の目がオジサンたちにばかり向けられるのが、とうとう我慢できなくなったらしい。 「一太ぁ、そうは言っても、親父さんが詐欺に関わったのは間違いないだろ。本人の意思はともかく」 「無理やり詐欺に加担させられたなら、お父さんも被害者ですよね? 詐欺で起訴されることはないですよね?」 「それは……親父さんを見つけないとなんとも」 「なんで、お父さんが積極的に詐欺した前提で話してるんですか? 俺、それがさっきから気に入らないんです。結花さんのお父さんは、絶対にイヤイヤ犯罪に関わらされたんですよ!」 一太は必死だった。毎晩のように結花に張りついているのに、いっこうに成果が表れない、どころか結花の目はオジサンたちばかりに向いているのだから、そろそろ本気で結花にいいところを見せたいのだろう。 「でもそれなら、最初から俺に全部話してくれればよかったんじゃないか? 俺じゃなくても警察に通報してるはずだろ」 合田が冷静に突っ込む。けれど必死な一太は負けない。 「きっと……なにか弱みを握られてるんです。協力しないと娘の命はない、とか」 「そんなストレートに強迫されてたら、絶対に警察に駆け込んでるだろ。脅迫の言質が取れれば、結花の親父さんが抱えたなんらかのトラブルに俺らも介入できる」 一太の本心を見透かしている晃司が呆れ返って言う。ぐぬぬ、と黙りかけた一太だが、さらに食いついた。 「警察に言えないような……弱み、ですよ。もしくは日本の警察の手の及ばない弱み……中国に残してきた家族を人質に取られたとか!」 大輔は一太の考えそうなことが、手に取るようにわかった。なぜなら大輔と一太は、大好きな海外ドラマや刑事ドラマネタで、二人でよく盛り上がっているからだ。 「孟徳さんは、日本の親族以外に身寄りがない。中国には親戚はいないよ。これはもう調べてある」 合田がそう言うと、一太は一瞬折れそうになったがまだ食い下がる。 「それなら……あっ! あの空き巣!」 「空き巣?」 「結花さんの実家に入った空き巣、玄武の仕業だったんでしょ? 一体なにを探してたのか、まだわかってないですよね」 「バーカ、あれは親父さんが隠した詐欺の証拠を探してたんだろ」 「バカは小野寺さんですぅ。なんで被害者からすでに提出されてるだろう、社債の原本だとかパンフを玄武や内海組が探すんですか? 俺は、もっと他になにかあるはずだと思います」 それは誰もが考えていた。そもそも加害の証拠を、加害者がご丁寧に隠し持っているのが不自然だ。 「あれはきっと、玄武が探しに来た時の目くらましですよ。本当に隠したいものは違うはずです。……小野寺さんたち、本当にちゃんと探しました?」 「探したっつってんだろ。床下にはそれしかなかった」 「床下の、さらに床板まで外しました?」 「はぁ? お前、海外ドラマの見すぎだ」 一太と晃司の言い争いが続く。ムキになった二人は口喧嘩に夢中だが、合田と大輔は、思案に暮れていた。 謎だらけながら孟徳のことがわかってきた。玄武や内海組、詐欺との繋がりもハッキリした。それなのに、孟徳の家が荒らされた理由はいまいち弱い。――一太の言う通り。 合田が腕組みし、首を傾げる。 「一太の言うことが当たってるかもな。……孟徳さんは、まだなにか隠してる」 「もしかして……脅したのは、結花さんのお父さんの方なんじゃないですかね」 大輔がそう呟くと、晃司がやっと一太への口撃を止めた。なにを言ってるんだ? という顔で大輔を振り返る。 「こ……小野寺さんも、言ってたじゃないですか、孟徳さんが玄武の弱みを隠し持ってるんじゃないかって。それを使って玄武か内海組を脅したから、奴らに狙われるようになって、逃げたんじゃないでしょうか」 「詐欺や資金洗浄の片棒を担がされそうになって、でもなにかの理由で警察には届けられず、自分で方を付けようと先に仕掛けたのは、結花の親父さんの方だった。奴らを強請れるネタを使って。けど……攻めきる前に反撃を食らって慌てて逃げ出したってことか? 結花の保護を合田さんに頼んで」 晃司は大輔を見つめ、話しながら答えを探しているようだった。 「そうだとしたら、やっぱり一太さんが言う通り、社債の原本やパンフじゃ弱いです、脅迫のネタとして」 「結花の親父さんは、もっとデカい爆弾を隠してるのか。もしくは自分で持って逃げた」 事件の捜査中、大輔と晃司の息は双子のようにピッタリ合う。恋人同士として過ごす時間より、こうしている時の方が通じ合っているかもしれない。それほど二人は刑事で――相棒だった。 「だったら俺がもう一度、結花さんちを探してくる!」 そう宣言して勢いよく立ち上がったのは、誰よりも結花の役に立ちたい一太だ。一太は勢いそのまま、クルッと大輔を振り返った。 「行くよ、大輔!」 「え? 俺ですか?」 「結花さんはこれから事情聴取だし、合田さんも刑事課と色々やることあるだろうし、小野寺さんはなんでも適当だから、大輔しか一緒に行く奴いないじゃん」 「誰が適当だ」 晃司が文句をつけても、一太は一切スルーした。そして結花から鍵を借り、無理やり大輔を連れて結花の実家に向かった。 正直、誰も期待していなかった。玄武が家探しし、鑑識が調べ、大輔と晃司が床下収納を見つけた後に、あの家からなにか出てくるなど誰も信じていなかった。 だが、一太の勘――海外ドラマで培った想像力――は、侮れなかった。 大輔と晃司が調べた床下収納の、さらに床板を外すと――USBメモリと少し古い写真が見つかった。 USBメモリは、玄武や内海組を脅すのに十分なネタが記録されていた。
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