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チチの秘密 5
数日後。大輔は朝から保安係の自席で忙しくしていた。机の上には書類が積まれ、ノートパソコンは開きっぱなしだ。
大分遅くなったが、南口のチャイニーズエステの摘発の日程が決まった。数日後に迫ったその日のため、大輔は関係各所に提出する書類作りや、各種令状の発行手続きに追われていた。
忙しいのは大輔だけではない。隣の席の一太も、朝からトイレ休憩にも立たず、机にかじりついている。
「結局さ、いっつもこうなるよね。俺らが地元を駆けずり回って聞き込みや証拠固めをしても、その手柄はゴッソリ本部に持っていかれちゃう。いい加減やんなっちゃうよ」
一太のノートパソコンを叩く音は、朝から強めだ。一太が不機嫌な理由は正当なもので、大輔も同情する。
「一太さん、今回は本当に大活躍でしたもんね。南口の聞き込みに、結花さんの警護に……あのUSBメモリを見つけたのだって一太さんなのに……投資詐欺の捜査だけじゃなく、結花さんのお父さんの捜索にも一切関わらせてくれないなんて、ちょっとひどいですよね」
一太が結花にいいところを見せようと張りきって見つけたUSBメモリには、音声データと帳簿のファイルが入っていた。
音声データは、結花の父――孟徳が、顧客の洞口夫妻に投資詐欺を仕掛けた現場を録音したものだった。架空の会社をさも実在するかのように説明し、嘘の高金利を謳って投資契約させ、二千万円もの大金を支払うところまで、つぶさに録音されていた。おそらく孟徳が隠し持ったICレコーダーなどで録音したのだろう。
その中には被害者だけでなく、孟徳、そしてもう一人の男の声もハッキリ録音されている。孟徳と投資詐欺を行った、内海組の三崎の声が残っていたのだ。これは三崎が――内海組が詐欺を行った確実な証拠になる。
そして帳簿のファイルには、内海組が孟徳の会社に資金洗浄目的で持ち込んだ現金の金額が細かく記録されていた。こちらも内海組を詐欺で逮捕した後、詐欺の被害額と照合して資金洗浄、詐欺、両方の証拠になり得る。
孟徳が家に隠していたのは、内海組の詐欺を証明し、資金の流れを把握できる物証だったのだ。
それらが見つかったことで、荒間署刑事課だけでなく、内海組と組んだ玄武を追う本部組対三課、それに投資詐欺捜査の主導権争いに勝った、同じく本部組対四課も大きく動き出した。数日後に迫ったチャイエス摘発は、荒間署刑事課、生安課、本部組対三課、四課の合同摘発という大掛かりなものになる予定だ。
しかし、重要な証拠を見つけた一太と保安係は、投資詐欺事件の捜査からは完全に外された。所轄の生安課が関わるヤマではない、と蚊帳の外に摘まみ出されてしまったのだ。
目が回るほど忙しいが、それはほとんど結花の件で後回しにしていた、いつもの書類仕事が溜まっているせいだ。一太が処理しているのも、日常の保安係の仕事だった。
「桂奈さんは上手くやってるけどね、昔のコネで組対四課……大塚さんに張りついて、第一会議室(うえ)で仕事してるんだから。俺にいくつも仕事押しつけて!」
一太が無人の桂奈の席を睨む。桂奈の隣――晃司も席にはいなかった。大輔はコッソリため息を吐いたが、一太は荒い鼻息を吐いた。
「小野寺さんは小野寺さんで、お父さんのことでまいってる結花さんにつきっきりで、やっぱり上に行ったままだし。小野寺さんも要領いいんだよなぁ! やっぱり警察で偉くなるには、調子の良さとコネが大事なのかな?!」
一太が怒りを露わに大輔を振り返る。大輔は、さぁ、と首を傾げ、ノートパソコンに向き直った。晃司と結花がずっと一緒なのは――気が気ではない。
「一太さんには気の毒ですけど、チャイエスの風営法違反での摘発だけはうちが任されたので、俺は俺はそれでよしとしますよ」
「それだってさ、組対三課に持ってかれそうだったんでしょ? あのチャイエスは玄武の資金源だから、組対三課の仕事だって。合田さんが三課の人たち説得してくれなかったら、大輔の初の大仕事も本部に持ってかれちゃうとこだったよ」
一太の文句は止まらない。朝からこの調子で少し疲れた大輔だが、休んでいる暇もない。一太の愚痴を聞きながら黙々と仕事をこなしていると、朝から一度も保安係に顔を出さなかった桂奈が戻ってきた。
「……お疲れ。一太くん、ごめんねぇ、色々押しつけちゃって」
「上のデッカイお仕事、終わったんですかぁ?」
一太の皮肉に桂奈が苦笑いする。桂奈は自分の机の上でなにか探していた。
「ごめんってば。いい話があるから許してよ」
「いい話? あの写真の男の正体でもわかりました?」
一太が不機嫌なまま訊ねる。USBメモリと一緒に見つかった古い写真は、中国のとあるターミナル駅の前で撮られたものだった。人の多い、埃っぽい広場を背景に、二人の若い男が写っている。一人は孟徳とわかったが、もう一人は確認中だ。わざわざ隠していたのだから、きっと事件に関係ある人物に違いない。
「あー、そっちはまだ。けど、もっとビッグニュースだよ。結花ちゃんのお父さん、見つかったって」
「ええ?!」
「無事だったんですか?!」
一太と大輔の声が重なる。
「見つかったていうか……携帯の位置情報が確認できたの。昨日、お父さんの携帯が電源入って。……北海道にいるみたいだよ」
「北海道、ですか」
一太が黒目がちの目をパチクリさせる。
「うん。それで今、空港と新幹線の駅と……フェリー乗り場の防犯カメラ映像調べてる」
「どうして今さら、携帯の電源が入ったんですかね。通話履歴は?」
大輔が訊くと、桂奈は机の上を探る手を止めた。
「失踪して、昨日初めて電源入ったわけじゃないのよ。今までは、お父さんの失踪は事件扱いになってなかったから、携帯の履歴調べられなかっただけで、失踪直後まで遡って調べたら、何回か電源入ってたって。だからきっと、結花ちゃんが残した留守電を聞いてるはず。どこかに掛けた履歴はないけど、留守番電話センターへの発信記録は残ってたらしいから」
孟徳の携帯電話はずっと電源が入っていなかったが、晃司の指示で結花が毎日電話を掛けていた。そして留守番電話にメッセージを残し続けた。
「それじゃあ、お父さんは結花さんの無事を確認できてたんですね。安心しただろうなぁ」
「だね。でも、折り返し掛けてくれたらいいのに。結花ちゃんだってお父さんの声が聞きたいでしょ。今、事件の全貌がわかったから出頭してほしいって、結花ちゃんに留守電入れてもらった」
「連絡、あるといいですね」
どんな事情で孟徳が失踪したのか、内海組や玄武に手を貸した理由も不明のままだが、孟徳が無事でいることはわかった。父を思って不安そうにする結花を知っていたので、今はそれだけで安心する。
大輔はホッとしたが、隣の一太はムウッと顔をしかめたままだった。
「ねぇ桂奈さん、小野寺さんは今も結花さんと一緒ですか?」
一太にとっては孟徳の行方より、そちらの方が気がかりらしい――。
「え? ああ……そうだね、留守電に入れるメッセージを指示したり、してたかな?」
一太に睨まれ、桂奈の歯切れが悪くなる。
「桂奈さん、俺……ない、んですかね?」
一太の震える声が――切ない。答えづらい問いかけに、桂奈の目が泳ぎ出す。大輔は悲しい話題を振られたくなかったので、やたらと忙しそうに振舞った。聞いてくれるな、と。
「ええっと……結花ちゃん、ファザコンぽいしね。年上の男の人が好きなのかも」
「俺、結花さんより年上ですよ。六つも」
桂奈がウッと呻く。大輔はキーボードを叩く音を大きくした。
「そ、そっか。……もっとうんと年上が好きなんじゃない? いるじゃん、若いのにオジサン好き、みたいな子。そのタイプなのかもねぇ。……あれ、合田さん? 下になにか?」
生安課の入り口に、合田が立っていた。大輔たちを見つけると、物珍しそうにしながらやって来る。
「桂奈、大塚さんが探してたぞ。早く上に戻った方がいいかも」
「ホントですか? それは大変だ!」
桂奈はこれ幸いと、ソソクサと逃げ出した。桂奈はなにか用があって自席に戻ってきたのだろうに、それはたぶん果たせていない。一太が恨めしそうに遠ざかる桂奈の背を睨む。
「大輔、忙しいとこ悪いんだけど、ちょっと付き合ってもらえないか?」
「え? なにかお手伝いですか?」
「手伝いっていうか……北荒間で調べたいことがあるんだ。お前たちも忙しそうだから一人で出かけようと思ったんだが、北荒間は生安課の誰かがいないとなにも聞けないって、颯太郎に忠告されたからさ。……ついてきてくれないか」
本心では、億劫だった。仕事が山積しているのだ。けれど、合田が本当に困っている様子だったので、断ることはできなかった。
「……わかりました。でもちょっと待ってもらえます? 今やりかけの分だけ終わらせちゃうんで」
「大輔まで、行っちゃうのか」
一太が妬んで拗ねているが、大輔としてはできれば変わってほしいぐらいだった。今日中に提出しなければならない書類が、山と残っている。
苦笑いを浮かべた大輔は、作成中の文書を上書き保存して、ノートパソコンをパタンと閉じた。
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