118人が本棚に入れています
本棚に追加
チチの秘密 6
忙しい仕事の手を止めて付き合わされた合田の用は、すぐに済んだ。
北荒間で働く、中国人の男性従業員に合田は会いたがった。今は真面目にデリヘル店ドライバーを勤めるその男には前科があり、何年か前に玄武が県内の工場に盗みに入った時、軽トラの運転手をして捕まった。しかし玄武のメンバーだったわけではなく、その日だけバイトとして雇われたのだという。
その男に玄武のメンバーについていくつか聞いた合田は、男の不自由な日本語よりは、と中国語で質問した。合田は本当に中国語がペラペラで、大輔は話の内容はまったくわからなかったが、とにかく感心した。
「合田さん、インテリのエリートって本当だったんですねぇ」
簡単な聞き込みを済ませた帰り道、北荒間の薄汚れた通りを歩きながら、大輔は隣の無駄にセクシーなマッチョ刑事を尊敬のまなざしで見つめた。
合田が肩を竦め苦笑する。
「インテリは疑問だし、エリートも言いすぎだな。昔から語学が好きなだけだよ」
「好きだけで、何か国語も話せるようになるもんなんですか? 英語とフランス語も話せるんですよね?」
「英語はともかく……フランス語は結構忘れてるけどな」
「いやいやいや、凄いですって。俺、英語もまともに話せないです」
興奮した大輔は、自慢にならないことを胸を張って主張した。合田がクスリと笑う。
「お前……懐くと、素直ないい子なんだな」
「え?」
合田の笑顔はとにかく甘い。合田のように、逞しくてオスみ強めの美形は大輔の好みではないはずだが、キラキラと星が飛ぶようなスイートな笑顔には、目が眩みそうになる。
「あっ、えっと、遅くなりましたけど……ありがとうございました。チャイエスの摘発、うちに譲ってくれて」
合田から飛んできた星を振り払うように、真面目な顔で小さく頭を下げた。合田にまで見蕩れたりしたら、また晃司に怒られてしまう。――浮気者! と。
「ああ……礼なんか言うなよ、チャイエス摘発は元からお前らの仕事だろ。それに、保安係の原さんには昔かなり世話になったんだ。俺、所轄であの人の下だったことがあるんだよ」
「そうだったんですね!」
「昔はあの人、結構おっかない、キレ者刑事だったんだけど……いつからかすっかり昼行燈になっちゃったんだよな」
そう話しながら合田が笑ったので、大輔もつられて笑った。すると合田は、昔の原の話を面白おかしく教えてくれて、何度か腹を抱えるほど笑わされた。
大輔は不思議だった。合田とこんな風に笑って話していることが。会ったばかりの頃はその見た目と謎の経歴に不信感しかなかったし、晃司に気があると知ってからは強く敵視していた。
けれど合田の人となりが少しずつわかって、優しく温かい人で、優秀な警察官だと理解してからは、ちょっと面倒臭いけれど、親切で話しやすい大分上の先輩、という風にガラリと印象が変わった。
「なぁ大輔、今さら意地悪言うわけじゃないけど……晃司、今日は朝からずっと結花さんと一緒だぞ。たまぁに邪魔しにいった方がいいんじゃないか? まさか、結花さんが晃司に気があるって気づいてないわけないよな」
合田はそう話しながら、ニヤニヤと笑っていた。これは面倒臭い先輩、の一面だ。
「邪魔って……そんな暇ないし、必要もないです。俺は晃司さんを信じてるので」
「へぇ、ラブラブなんだな。けどさ、お前が言えばあいつも聞くと思うから、ちょっとだけ注意してやれよ」
「注意、ですか?」
「心配なんだよ、あいつの女に激甘なところ。次は本当に県警辞めさせられかねないからな。……原田帆夏(はらだほのか)さんとのこと、大輔も知ってるんだろ?」
大輔の心臓がドクッと大きく脈打つ。久しぶりに聞いたが、いつ聞いてもドキリとする名前だ。
原田帆夏――数年前のストーカー放火事件の被害者で、同じ被疑者に娘を殺害された不幸な女性だ。被害者で遺族となった彼女と、当時捜査一課所属で担当刑事だった晃司は深い仲になった。それが問題視され、晃司は県警を辞めさせられそうになったのだ。
大輔は無言で頷いた。
「聞いといてなんだが……潔癖な童貞がよく許したな。被害者で遺族の彼女と関係を持った晃司を」
「……俺が許す許さない、て話じゃないでしょ。もっと……複雑な話です」
「ふーん。意外な気もするけど……大輔もその見た目で童貞だもんな、色々あったのか」
頭のよい合田は察しもいい。それなのにしつこく訊こうとはせず、大輔の合田への好感度がまた上がる。
合田に好感を抱くと、合田のことが知りたくなってきて、好奇心が強い大輔は我慢できずに訊ねた。
「合田さん、結婚、されてたんですよね?」
不躾な大輔に、合田は少し驚いて、けれど怒らずに笑ってくれた。
「なんだよ、ゲイのくせに? て気になったのか」
「くせに、とは思わないですけど……どうしてかなって。合田さんは、女性もその……愛せるんですか?」
「いやぁ……バリバリのガチゲイだよ、俺は。それがなんで結婚したかって訊かれたら、子供が欲しかったから、だな」
子供――大輔は小さく呟いた。大輔の年になれば、多くの者が抱いてもおかしくない感情だ。子供を、家庭を持ちたいと。大輔は生まれてこの方一度も感じたことないが――。
「別れた奥さんは、きれいな人で……ちょっとガサツなとこもあるけど優しくて、頭が良くて、話してると楽しい人だったよ。この女(ひと)なら、ゲイの俺でも一生添い遂げられるんじゃないかなぁ、子供二人ぐらい生まれて、楽しく暮らしていけるんじゃないかなぁ……て夢見たんだけど、ガチゲイの本性は隠しきれなくて、すぐにダメになったよ」
「奥さんに……ゲイだと知られたんですか?」
「なんとなく、気づいてはいただろうけど、ハッキリとは言われてない。ただ……愛されてる実感がないって怒られたよ」
大輔には少し難しい話だった。合田は別れた妻に愛情を抱いていたのに、妻は感じられなかったと言う。そのすれ違いの意味が、大輔にはハッキリとはわからない。
眉根を寄せて考え込む大輔に、合田が目を細める。
「……しょーがないよな。どうしたって……ケツが疼いちゃうんだもん」
真剣に悩んでいた大輔は――あ然とした。
「素敵な女性だったけど……ぶっとい肉棒はついてないからさ。残念なことに」
「あのぉ……俺、真面目に聞いてたんですけど」
「……悪いことしたよ、本当にいい人だったんだ。あ、今は新しい旦那さんと、その人との子供に囲まれて幸せに暮らしてるから、一安心なんだけどな」
合田はふざけていたが、別れた妻の幸せを喜んでいるのは本心と伝わった。優しい笑顔だったからだ。
大輔はなんだか笑ってしまった。合田はすぐ下品なことを言うし、セクハラ過多の人だが、以前のようには不快に感じないし、怒る気も起きなかった。合田のセクハラを、あんなの笑っちゃうだろ、と言った晃司の気持ちがわかる。
どうしてか憎めない人らしい、合田という男は。
「合田さんって、Hだし変わってるけど……すっごく優しいんですね。きっと別れた奥さんも、合田さんのこと怒ってないですよ」
大輔は合田に対して感じた思いを、素直に話した。特別に褒めた気もないし、深い意味などまったくなかった。それなのに、合田が驚いた顔をする。
「晃司が言ってたのが、少しわかった。大輔……中々ワルい男だな」
「……はい?」
「あんなイイ男と付き合ってるくせに、他の男に甘い顔しやがって」
「なに言ってるんです……?!」
戸惑う大輔の手を合田が掴む。そしてそのまま――雄ッパイに押し当てられた。
「大輔、絶対にタチの素質あるって。……どうだ? 晃司には死ぬまで秘密にしてやるから……この胸揉みながら、後ろから突いてみないか?」
指が、程よい柔らかさの胸に沈む。そのまま揉みしだいたら、きっとたまらない心地よさだろう。抱いたことのない衝動に、大輔の下半身が反応しかける――。
「なーに言ってんですか! ふっふざけないでください!」
大輔は、今にも過ちを犯しそうな不埒な己の手を、乱暴に合田の“大胸筋”から引き剥がし、その気持ちのイイ感触を忘れるためにブンブンと振り払った。
昼間で少ないとはいえ、人通りのある街中でよかった。風俗街の人々は他人に無関心だ。男二人が往来で胸を揉んだり揉まされたりしていても、素通りしていく。それでも二人きりではなかったので、大輔はギリギリ理性を保った。
「合田さんはいい人だけど……ふしだらです! 俺にも、晃司さんにも……おさわり禁止です!」
「なんだよそれ。風俗街で生安課に言われちゃうと……従わなきゃいけない気がするからおかしいな」
合田が声を立てて笑う。どうしてだろう、雄ッパイを揉んだ後だと、その笑顔が可愛らしく見えた。
ドキドキしている。とは、絶対に誰にも――自分にも気づかれてはならない。
「遊んでないで帰りますよ! 俺、忙しいんですから!」
鼓動が早くなって、もしかしたら顔も赤くなっていたかもしれない。
大輔は心の中で、晃司に一万回謝りながら、晃司のいる荒間署に早足で引き返した。
雄ッパイ――それは、大輔に秘密の衝動を覚えさせる、とても危険な誘惑だった。
最初のコメントを投稿しよう!