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事件は〇ッパイとともに 1
北荒間のファッションヘルス『下半身警察24時』の摘発から数日経った夜。大輔は荒間駅南口の商店街にいた。
荒間駅南口は数年前の再開発で新しく生まれ変わり、店も通りもきれいだ。中心通りから一本裏に入っても北口のような薄暗さとは無縁で、細い路地にはまだ新しい雑居ビルや、洒落たカフェなどが並ぶ。
そんな洒落たカフェの通りに面したカウンター席で、大輔はアイスカフェラテを飲んでいる。隣には、ブラックのアイスコーヒーを飲み干した晃司がいた。
晃司は少し不機嫌そうだ。五分ほど前の大輔の迂闊な発言のせいで――。
「……この店が大輔と穂積の初デートの場所だって知ってたら、ここで張り込みなんかしなかったのによ」
「で、デートなんかじゃないですよ。署で会って、ランチに誘われただけです。一人じゃ入りづらい、女性が好きそうなお洒落な店だからって」
「は~、あいつはそういう作り話が得意だよな。警官より詐欺師が向いてんじゃねぇか? 大輔も俺をサラッと騙して連れてくるあたり、性質悪いよなぁ」
「騙してないですよ! 言う必要もないでしょ、張り込み場所に……上司とランチしに行ったことがある、なんて」
「ただの上司だなんて思ってないくせに、よく言うよ」
痴話喧嘩しているようにしか見えない大輔と晃司は、内偵調査のために張り込み中だった。
カフェのカウンターに面する通りを挟んで右斜め向かいに、二階建ての雑居ビルがある。一階は不動産屋で、二階に大輔が内偵を進めるチャイニーズエステ『百合―Lily―』が入っていた。
内偵は最終段階で、店長と思われる男性店員のシフトを確認するためにここ数日、このカフェで店を張り込んでいるのだが、このカフェは一年前、大輔が尊敬する捜査一課管理官――穂積デレク香(ほづみでれくかおる)と、連れ立って訪ねたカフェだった。
穂積と初めて会った日のことだった。憧れの俳優にそっくりな美しい人に誘われ舞い上がったのはもう一年も前だ。
隣の晃司には絶対に気づかれてはならないが、こうして穂積を思い出すと――久しぶりに顔を見たいと思ってしまう。
穂積とはもう何カ月も会っていない。捜査一課の管理官と所轄の生活安全課の刑事では、仕事で会えることは滅多にない。個人的に連絡を取ることも可能だが、それはさすがに晃司の手前憚られた。
晃司が言う通り、穂積は大輔にとってただの上司ではない。――好きだった人、だ。
それなのに、晃司とこの店に入った時に穂積と来たことがあるとウッカリ漏らしてしまったのは、やはり大輔が迂闊なのだろう。
ここは謝るべきなのか、それとも無視してやり過ごすのが正解なのか、大輔には判断が難しすぎて悩んでいると、おい、と晃司が大輔の腕を肘でつついた。
「あれだろ、店長」
晃司はどれだけふざけていても、私的な会話をしていても、一瞬で刑事の顔に切り替わる。カウンターから通りのはす向かいを見つめる目は鋭かった。
大輔も晃司の視線を追う。閉まった不動産屋の脇にある外階段を上っていく、頭頂部の薄い小太りの男が見えた。大輔は彼を店の責任者だと特定していた。
「そうです。今夜は……七時か。昨日は八時過ぎに出てきたから、一時間ぐらい早いな」
「奴の出勤時間は把握できたな」
「はい。一昨日はやっぱり七時過ぎに出勤してきたので、七時から八時、遅くとも九時には店にいるみたいですね」
「よし。じゃあいつでもガサ入れできるな」
チャイニーズエステ店『百合―Lily―』を摘発する準備は整った。明日、係長に報告して、あとは日程を打ち合わせるだけだ。
「来週にも行けますかね」
「いよいよだな。……気になるのは、一階の不動産屋のオーナーと連絡取れなかったことか」
あのビルは、一階の不動産屋のものだと大輔が調べてわかった。エステ店との関連や、エステ店の経営者についてビルのオーナーにも確認したかったのだが、大輔がエステ店の内偵を始める少し前に、一階の不動産屋は休業していた。と、調べるうちに商店会の顔役に聞いた。
「そうなんですよ。不動産屋と店はただの大家と店子ってだけらしいんですけど、店の実態について色々聞きたかったのに」
「チャイエス店のバックは大抵中国マフィアだけど、ここもそうなんだろ?」
「はい。桂奈さんが調べてくれたんですけど、『玄武(げんぶ)』ていう組織が出店に関わってるだろうって。晃司さん、知ってます?」
玄武――という名に反応し、晃司の顔がわずかに険しくなった。
「ああ、何年か前からちょくちょく聞くな。ただあそこは、工場や事務所荒らしばかりする窃盗グループじゃなかったか?」
「さすが晃司さん、よく知ってますね。桂奈さんも言ってました、玄武って組織は中国の東北地方出身者で作られたグループで、主な生業は窃盗だって。そんなところが急にエステ店出店させるかなって。もう少し、店の背後を詳しく調べた方がいいかも、とも教えてくれました」
「桂奈は今でも組織犯罪には強いな。昔取ったナントカ、てやつか。外国人組織まで詳しいのは驚いたけど」
「勉強家、ですよね。なんでもよく知ってますもん。やっぱり……組対に復帰したいんですかね? 巡査部長試験も上に行くためだろうし」
「それは……俺に探り入れてんのか?」
「え? そんなつもりじゃないですけど……桂奈さんがうちからいなくなっちゃったら寂しいなって」
「桂奈のことは桂奈に聞けよ。あいつも大輔にならなんでも喋るだろ。お前ら仲いいし」
晃司がからかうような笑みを大輔に向ける。仲がよい、という言い方には嫉妬めいたものは感じなかった。
晃司の指摘通り、大輔もこの一年で桂奈と随分親しくなった。署に近い美味しいレストランやカフェの情報を教え合ったり、仕事帰りに晃司や一太抜きで二人きりで食事して帰ることもある。プライベートで二人で漫画の展覧会に出かけたこともあった。
穂積とこの店に来たことがある、と知ったらあんなに不機嫌になったのに、桂奈と仲がよいことには晃司はなにも感じないらしい。晃司にとって、穂積と桂奈の違いはなんなのだろう。恋愛とはわからないことばかりだ。
大輔が難しい顔で見つめたからだろう、晃司が、なんだよ? と訊いてきた。
「……なんでもないです。俺には……わからないことや、不勉強なことが多いなって」
「どうした? 急に」
「もっと、たくさんのことを知りたいんです。……出ましょう、確認したいことはできだし」
大輔はまだ少しカフェオレが残ったグラスを持って立ち上がった。
大輔にも、野心がないわけではない。いずれは捜査一課で働いてみたい。そしてできたら、穂積が管理官としている間に――。
警察官僚である穂積と一緒に働ける時間は長くないだろう。だから早く出世したいのに、自分はなにもかもが足りない。大輔は今回、チャイニーズエステ店の摘発を任されてつくづく感じた。
焦る気持ちを隠し、晃司のグラスも持ってカウンター横の返却口に置いてくる。そのまま晃司と並んで外に出た。
『百合―Lily―』が入るビルの二階は、カーテンの隙間から光が漏れている。今夜も営業中なのだろう。一階の階段のそばには、腰の高さの黒板タイプの看板が置かれている。サービスメニューの書き方もいかがわしさはなく、女性も利用しそうな雰囲気を醸し出していた。
洒落た店を装い、中ではなにが行われているのか――。
大輔は光が漏れる二階の窓をジッと睨んだ。自分が明らかにしてやる、と気合を入れて。
(……ん?)
気合を入れ直していたら突然、左腕に違和感を覚えた。
大輔の決意とは裏腹の、柔らかな感触が左の上腕に押しつけられた。それは少し前にも体験している。馴染みの北荒間にいるのかと錯覚しそうになるが、ここはもっと健全な商店街である。
大輔は驚き、自分の腕を掴む――女性を振り返った。
「……お父さんのこと、調べにきてくれたんですか?」
大輔の腕を必死な形相で掴むのは、小柄だがグラマラスな体型の若い女性だった。腕に当たる感触は柔らかだが、彼女の表情は不釣り合いに強張っていた。
「あの……なんのことでしょう?」
「警察の人、ですよね? ネットで見ました。イケメンすぎる刑事さん」
ギクリとして、大輔は晃司に助けを求めて振り向いた。晃司は眉間に深い皺を刻み、大輔の左上腕とそこに押しつけられた――大きな胸を睨んでいた。
「……また、大輔ばっかり、だな」
「晃司さん、ふざけないでください! あの……君は誰なの? お父さんのことってなに?」
晃司は頼りにならないと悟り、大輔は自分で問題解決に向き合った。
大輔が問い詰めると、女性はスルリと腕を離し、悲しそうに俯いた。
「お父さんのことで来たんじゃないんですね。……私、そこの二階のお店でバイトしてるんですけど……」
女性は右手を少し上げ、大輔たちの背後を指差した。そこは、大輔たちがずっと見張っていた『百合―Lily―』だった。
「あ、お前、昨日見かけたぞ、店に入ってくとこ」
晃司が声を上げる。連日の張り込みで、何人もの女の子が店に入るのを見た。だから大輔は女の子たちをいちいち覚えることはしなかったが、晃司は違った。
(晃司さん……凄い。従業員の顔までちゃんと覚えてるなんて)
さすが生安課の切れ者刑事、と大輔が目を輝かせて見つめると――晃司はニヤニヤしていた。
「遅刻しそうだったのか? 駅の方から小走りしてきて……メッチャ揺れてたから」
なにが、とは大輔も聞かなくてもわかった。サイテー、と声には出さず顔に出して晃司を冷たく見やる。
「そっちのおじさんも……警察官?」
ほんとに? と大きな胸を指摘された女性が不審そうに晃司を睨む。彼女が不快感を表すのはもっともだが、晃司はめげる素振りも見せなかった。
「そうだとしたら……お前は俺たちになんの用だ? 大体、あの店チャイエスだろ? お前、中国人なのか? だとしたら日本が長いんだな、日本語、自然すぎるし」
「私は日本人だけど……」
彼女が言いよどみ、大輔は首を捻った。あの店に日本人が働いている情報は得ていなかった。
なにやら彼女には事情があるらしい。大輔は気になってその場で訊ねようとしたが、晃司が制した。
「……大輔、ちょっと待て。店の奴らがこっち見てる。……バカ、顔向けるなよ」
晃司に怒られて、そおっと店を窺った。さっきよりカーテンが広く開いているのか、光が多く漏れている。
「おい、姉ちゃん。今度はそっちのイケメンじゃなくて、俺に抱きつけ」
「はい?!」
声を荒げたのは大輔だ。彼女は汚いものでも見るような目で晃司を睨んでいた。
「スケベ心で言ってんじゃねぇよ。なんか、困ってることがあんだろ? ここで話し込むには俺たち都合が悪いんだ。……署でだったらゆっくり話聞けるから」
だから抱きつけ、とはどういうことか? 大輔はまだピンと来ていなかったが、彼女の方が勘がよかった。なるほど、という顔をしたと思ったら、彼女は正面から晃司に飛びついた。
「おお……いい感触」
ただのスケベ心だったのでは? と厳しく問い詰めたくなるぐらい、晃司の顔がだらしなくニヤける。
大輔の鋭い視線が刺さったのか、晃司は厳しい顔を取り繕った。
「あのねぇ、ここは客引きが市の条例で禁止されてるエリアなの。……日本語わかる? わかんないなら、一緒に署に来てもらおうか。通訳さんがいるからねぇ」
晃司は芝居を打った。彼女を自然に署に連れて行くための。
大輔はまた、晃司に感心させられた。仕方ないので、大きな胸にニヤけた顔は、この時だけは目をつむることにした。
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