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事件は〇ッパイとともに 2
なにか事情がありそうな女性を連れた大輔と晃司は、自分たちの生安課に帰ってきた。終業時間はとっくに過ぎているので、生安課のフロアは人が少ない。
省エネのために照明が落とされたフロアの隅、簡素な応接セットでチャイエス店勤務の女性から話を聞くのは、主に晃司だった。あの店に関わることなら大輔が主導で事情を聞くべきで、最初は大輔が彼女に話を聞いていたが要点がまとまらず、晃司が引き継ぐ形になった。
力不足に落ち込みながら、せめて聞くだけでも、と大輔は彼女と晃司の会話に集中した。
女性の名前は林結花(はやしゆか)。都内の大学に通う二十歳の大学生で、現在は大学近くの都内アパートで一人暮らししているが、実家は荒間市内にあり、実はチャイエス店一階の不動産屋の社長の娘だった。
「……じゃあ親父さんと連絡が取れなくなる数日前、あんたに電話があったんだな。実家には帰るなって?」
結花の正面に座った晃司が、真剣な面持ちで聞き返す。結花も当然深刻そうだが、大輔は晃司の視線が気になってしかたなかった。晃司の真剣な眼差しは、彼女のパツパツになったTシャツの胸元に釘づけだ。
結花はきつそうな胸元はセクシーだが、Tシャツにスキニージーンズという格好で、怪しいエステ店勤務にしてはそこまで扇情的な服装ではない。表向きは合法的なエステ店を謳っているから、女性従業員にあからさまな格好はさせないのだ。終電がなくなった頃に街頭に現れる客引きの外国人女性も、服装は地味なぐらいだ。
しかし、結花はカジュアルな服装でもある程度は目を引いてしまうほど、可愛く魅力的な女性だった。小さな丸顔に少しタレた大きな目、小柄で華奢なぐらいなのに胸は大きく、お尻はキュッと上がっている。
(絶対、晃司さんのタイプだ……)
大輔が彼女の話に集中できない理由でもあった。大輔は晃司の北荒間在籍のお気に入り風俗嬢を網羅しているので――不本意ながら――晃司の好む女性は熟知していた。
胃の辺り、もしくはその少し上辺りがキリキリする。晃司の目を無理やり閉じさせて、とにかくその大きな胸から視線を剥がしたかった。
「そんな物騒な電話があっても、事件扱いは難しいのか? 颯太郎」
晃司が近くにそびえる壁――刑事課強行犯係の桜井颯太郎(さくらいそうたろう)巡査を振り返る。颯太郎は応接セットの近くの机に寄りかかって晃司たちの話を聞いていた。
「そう言われても……お父さんのいなくなる前の行動が……」
颯太郎は困ったように晃司と結花を交互に見た。
結花の父、不動産屋社長――林孟徳(たけのり)は、二週間ほど前に失踪した。大輔がチャイエス店の内偵を進める中で聞いた、不動産屋が休業した時期とも重なる。
父と連絡が取れなくなった結花は、実家のある荒間市の警察署――荒間署にすぐに捜索願を出した。しかし、孟徳は姿を消す直前に不動産屋で雇っていたパート従業員二名を解雇し、退職金を支払った上で、不動産屋を休業させていた。さらに、銀行ローンで数百万円の借金があり、直前に数千万円単位の、預金のほぼ全額を引き出していることがわかり、覚悟の失踪だと荒間署刑事課では結論付け、事件性はないと判断した。もともと成人男性の失踪は事件として扱われることはほとんどない上、自ら姿を消したと思われる事実がいくつもあったので、刑事課の判断は無責任なものでもなかった。
だが晃司は納得できない様子で、たまたま残業で刑事課に残っていただけの運が悪い颯太郎に詰め寄る。
「確かに借金や従業員の解雇は覚悟の失踪を疑わせるが、店の経営自体は順調だったんだろ? 店の借金や家賃不払いのトラブルもなかった。それでなんでいきなり社長がトンズラするんだよ」
「俺に怒らないで下さいよ。……係長たちの判断ですし、それに俺も……事件性は薄いと思いますよ。娘さんには申し訳ないけど……お父さんのいなくなる前の行動は、典型的な中年男性、しかも経営者男性の失踪パターンなんですよ。……お店かプライベートで、まだ表に出てないトラブルがあったんじゃないかな」
「だったら、そのトラブルの有無ぐらい確認しろよ。給料泥棒って言われんぞ」
自分こそ給料泥棒のくせに、と大輔は呆れながら、まあまあ、と割って入った。
「刑事課も忙しいですから……緊急性がないと動けないのもわかりますよ」
その場をなるだけ穏やかにしたかったが、父と一切連絡が取れなくなった娘は、冷静ではいられなかった。
「お父さんは、お店を放り出していなくなるような無責任な人じゃないんです!」
結花が必死な声を上げる。
「真面目すぎるぐらい真面目な父で、もともと店はお母さんの両親のものだったんですけど、お母さんと結婚して店を継いでからは、おじいちゃんたちも驚くぐらいたくさん働いてお店を大きくして……もうおじいちゃんたちも、お母さんも亡くなってますけど、その後も家族が残してくれた店だからって、お父さん、お店をなにより大切にしてたんです。それをあんな風に放り出していなくなるなんて……絶対にありえないんです!」
「それで納得できなくて……父親の店の二階のエステ店に潜入したってのか?」
晃司が結花に訊ねる。その声が優しくて――大輔の胸はざわつく。
「……なにか父のこと聞けないかと思ってお店を訪ねたら……中国人の店長が応対してくれたんです。それで、なんか気になって……」
「どういうことだ?」
「林孟徳さんは、結花さんが生まれる前に帰化してますけど、中国本土出身なんですよ」
颯太郎が結花の代わりに答える。まったくなにも調べていなかったわけではないらしい。
「だとしても、なにが気になったんだ? 中国人なんて珍しくないだろ、この辺でも」
「父が中国出身なのは知ってましたけど……父方の祖父母とか親戚にはまったく会ったことがないんです、私。父は親戚とか昔の友人とか一切縁を切ってるのか、そもそもいないのか、父が中国人だって知ってもピンとこないぐらい、中国にいた時の話を聞いたことがないんです。てゆうか……昔の知り合いはあえて避けてるのかと思ってました。私が父の昔の話を聞いてもなにも教えてくれなかったし」
「だから、親父さんの店の物件に中国人の店が入るなんて妙に思った?」
「刑事さんの言う通り、中国人なんて珍しくないし、今時外国人を避けて仕事なんてできないんでしょうけど……気になって」
「それだけでチャイエスで働き始めたって? あんた、若いのに無茶すんなぁ」
「そういう……お店だって知らなかったんです。看板もお店の外観も、内装もいやらしい感じしなかったし。……それに、お店からそういう……Hなサービスは特に強要されてません。やれば別に手当? がバイト代に上乗せされるみたいですけど、必ずしなくちゃダメじゃないみたいで」
「ふ~ん、じゃあ店に行っても、あんたにそういうサービスはしてもらえないわけか」
残念、と晃司が肩を落とす。スケベ親父丸出しで、大輔や颯太郎はまたかと呆れ、セクハラを受けた結花も呆れて――苦笑いした。
「あの……本当に刑事さんなんですよね?」
「なんだよ、警察手帳でも見せるか?」
「そこまでしてくれなくてもいいですけど……変わってますよね」
結花は呆れていたが、ここに来て初めて――笑った。もとから可愛いので、笑ったらその可愛さが際立つ。晃司の彼女に向ける目が、一段と優しくなった。
いよいよ、大輔は嫌な予感を覚えた。
「あ、あの! 孟徳さんから結花さんに、実家には帰るなって電話があって、数日後には孟徳さんの携帯、通じなくなったんですよね? その数日の間、お父さんと連絡取らなかったんですか? 心配じゃないですか、そんな電話かかってきたら」
二人がいい雰囲気? を醸し出すので、思わず邪魔をするように結花に質問していた。大して重要ではないと思ったが、結花が表情を曇らせる。
「ん? どうした? 確かに、そんな電話があったのに、すぐに実家に帰らなかったのはなんでだ? 都内とはいえすぐに帰ってこれる距離だろ……」
晃司は訊きながら察したようだ。結花のアパートと荒間までは電車で一時間の距離だ。その距離で一人暮らしさせているのは、店の経営が順調で裕福なこともあるだろうが――。
結花は大輔たちの予想通り、言いにくそうに話し出した。
「父から電話をもらった時は……また偉そうに、て取り合わなかったんです。その……父とは最近は疎遠で。高校生の時に母が亡くなったんですけど、それから父は……過保護っていうか、口うるさくなって……私、あんまり父と話さなくなったんです。それで、大学進学のタイミングで家を出て……。だから今回も、最初は口うるさい父がまたなにか言ってる、ぐらいにしか思わなくって。でも、ちょっと気になって数日後に電話したら、もう携帯は通じなくって……慌てて実家に帰ったら、父は何日も帰ってない様子で……」
話しながら、結花は苦しそうに俯いた。悔やんでいるのだろう、父を邪険にしたことを。
「……お願いします、父を捜してください。父は絶対に、店を放り出していなくなるようなことはしないんです。真面目で……真面目すぎてウザいぐらいの人で、こんなこと、父らしくないんです。どうか……お願いします!」
結花が毅然と顔を上げ、颯太郎に懇願する。颯太郎は困りきっていた。颯太郎だってできるなら捜してあげたいだろうが、事件性が薄い失踪案件に構っていられるほど刑事課も暇ではない。そして、大輔たち保安係が手を出せる案件でもない。
刑事三人はそれぞれ難しい顔で黙り込んだ。
「なぁ大輔」
結花を見ていられなくなった晃司が、大輔を振り返る。
「あの店の摘発、もうちょっと伸ばせないか? あの店のこと、もう少し詳しく調べてみようぜ」
「え? でも……」
「お前も言ってただろ、あの店の出店に関わってる組織が気になるって」
「小野寺さん……保安係だって暇じゃないでしょ」
結花に同情し、その私情で動こうとする晃司に颯太郎が呆れ返る。大輔を見て、やめとけ、と無言で諭してきた。
大輔は悩んだ。晃司の気持ちもわかるし、結花がかわいそうにも思ったので――頷いた。
「そう、ですね。あの店の裏、なんかあるかもしれませんし。もしなにかあれば……違法風俗店の摘発より大きなヤマになりますもんね」
「大輔までそんな調子いいこと言って……。知らないぞ、あんまりモタモタしてると店にお前たちの内偵バレて、摘発間に合わないかもしれないんだからな」
あの店の摘発は、大輔にとって初めての大仕事だ。しかし――行方不明の父を心配する女性を目の前にしてしまえば、自分の手柄にばかり固執する気にはなれなかった。
「わかってます。でももう後は摘発入るだけなんで、それが二、三日伸びても変わらないですよ」
「お前がそう言うならいいけど。……小野寺さん、一応この話はうちの係長に上げときます。それでうちの係長から文句がいっても、俺を怒らないでくださいね」
「ああ、わかった。……結花、明日にでも実家を調べたい。連れてってくれるか?」
大輔は目を剥いた。晃司が――結花、と呼んだからだ。
「え? わかりました! 明日は講義、午前中だけだから……午後には荒間に帰ってこれます」
オッサン刑事に名前を呼び捨てにされた本人は、警察がやっと動いてくれることに安心したのか、若い女性にとってはそもそもなんでもないことなのか、気にすることではなかったらしい。そのまま会話を続けた。
だが大輔は、モヤモヤが収まらない。あまりにも自然に、若い女性の名前を呼ぶ晃司に釈然としない思いを抱く。
晃司と結花が明日の話をしているのを黙って聞いていると、誰かの携帯電話が鳴った。結花が手にした自分のスマートフォンを確認し、ヤバッと呟いた。
「お店からだ……休憩で抜けてきたところだったから」
「もう店に出る必要はないだろ。このままバックレたらいいんじゃないか? あそこ、まともな店じゃないからな」
晃司が心配そうに話す。大輔もわかっている。晃司は誰にでも優しいのだ。相手が女性ならなおさら――。
「そうですよね。でも……私もなにかしてないと落ち着かなくて。お店はもう少し続けます。なにか少しでも手がかりが欲しいんです」
「……逞しいな。だったら無理はすんなよ。危ないことがあったら……すぐ連絡しろ」
晃司は財布を開いて名刺を取り出すと、結花に渡した。結花が受け取った名刺を読み、小さく笑う。
「……巡査部長? 小野寺、さん? 本当に……警察官なんですね」
「おい、まだ疑ってたのかよ」
晃司も結花を見て笑う。大輔は――顔を引きつらせた。
(なんだ、このいい雰囲気……)
大輔がヤキモキしている間に、晃司と結花は明日の午後、一緒に結花の実家に行く約束をしていた。
「大輔も行くだろ?」
晃司はアッケラカンと聞いたが、はい、と答えるのに一瞬戸惑った大輔だった。
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