歓楽街の夜 1

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歓楽街の夜 1

週末の夜、歓楽街を抱えた警察署は忙しい。 六月の金曜日。その夜も、S県警察荒間警察署生活安全課保安係は、梅雨を通り越してすでに夏のような蒸し暑さに耐えながら、薄汚いビルの一角で仕事に励んでいた。 荒間署からほど近い――北荒間と呼ばれるエリアには大小様々な雑居ビルが並び、多くの飲食店、風俗店が出店している。その中の一つ、三階建ての古くて小さいビルが今夜の現場だ。 「それでは……こちらの勤務についていくつかお聞きします」 保安係の最年少で一番後輩の堂本大輔(どうもとだいすけ)巡査は、今夜も“お堅い”と同僚にからかわれそうなほど真剣に仕事に打ち込んでいた。その現場が『下半身警察24時』というふざけた名前の風俗店であっても――。 「刑事さん、マジイケメン! チョーかっこいい! 彼女とかいる?」 事情聴取の相手が、超ミニスカートの巨乳婦警というふしだらな出で立ちでも、真面目な大輔は鼻の下を伸ばしたりはしない。特大のため息は何度も吐くが――。 「すいません、これは事情聴取なんです。こちらでの業務内容、従業員の方の労働環境について、きちんと話を伺いたいんですが」 今夜の保安係の仕事は、度重なる時間外営業、違法な性的サービスを提供していたとされる違法風俗店の摘発である。それにしても、店名が皮肉が効きすぎている――。 「業務内容って……どんなHなことしてたかって聞きたいの? やーん、刑事さん、爽やかな顔してヤラシイ~」 「……あっ、ちょっと、ちかっ、近いです! わわわ! ……当たってます!」 巨乳婦警が大輔の腕に抱きつき、胸の谷間がムギュッと押しつけられ、大輔のお堅い刑事の仮面はポロリと剥がれ落ちた。そして、生安課に一年勤務しても不慣れな新人丸出しの、真っ赤に染まった――童貞の顔が露わになる。 「刑事さんだったら~、あたしが店でナニしてたか実践で教えてあげるのにぃ~」 「は?! だ、ダメです! それに離れてください!」 大輔が焦って暴れるほど、巨乳婦警の抱きつく力は強まり、左腕に当たった柔らかな胸の感触も強まって大輔はさらに慌てた。 イケメン刑事と巨乳婦警――コスプレ――が、離れて! イヤイヤ! と揉める様子は、端から見るとただイチャイチャしているだけだった。当然、嫉妬する者がいてもおかしくはない。 「ちょっと大輔~、なに遊んでんだよぉ」 大輔の一年先輩、水口一太(みずぐちいちた)巡査が、歯ぎしりしながら二人のもとにやって来た。 「あのね、やること聞くこと山盛りなの。女の子と遊んでるんなら、桂奈さん手伝ってきなよ。変な客がいて珍しく桂奈さんが手こずってるから」 桂奈――古谷桂奈(ふるやかな)巡査長は、大輔と一太の先輩刑事だ。保安係の紅一点だが係長に次ぐ古株で、後輩二人が学ぶことが多い優秀な警察官だ。そんな彼女が手間取っているとは非常に珍しい。 「誤解です! 遊んでませんよ! ちょうどよかった、彼女の事情聴取変わってください。ふざけて話にならないんですよ」 大輔にとっては本当に渡りに船だった。違法風俗店を摘発するためには従業員の証言が大変重要なのに、大輔が話を聞いた女性従業員は、大輔の見た目に夢中でまともに話ができないのだから。 それに大輔は、女性に胸を押しつけられても困惑するだけで、喜ぶ性質ではなかった。それを知らない一太は、いかにも嘘くさいと言いたげに目を眇めた。 「あっそ。じゃあ変わってあげるけど……大輔はいっつも女の子に遊んでもらって楽しそうだね」 「楽しくないですってば! いつまで経っても舐められてばっかで……情けないですよ。じゃあ、桂奈さんとこに行ってきます」 そう言って大輔が巨乳婦警の細腕を振り払うと、婦警は名残惜しそうにアン! とHな声を出し、大輔は呆れたが――一太の鼻の下はグッと伸びた。 「そういえば、小野寺さんは?」 保安係の中で誰よりも女性従業員の相手をしたがりそうで、そして女性従業員の扱いが上手いのは、大輔の恋人――小野寺晃司(おのでらこうじ)巡査部長だ。その彼が、女の子のそばにいないのも珍しかった。 「桂奈さんが客の聴取に引き留められてるから、小野寺さんが店長を締め上げてる。ま、店長は荒間署(うち)に連れてくことになるだろうけど」 この現場の最重要人物、違法風俗店の責任者を聴取するなら、桂奈か晃司になる。桂奈ができないなら晃司が担当するのは当然なのだが、中年のオヤジ――店長――の相手など晃司は不本意だろう。 晃司の後輩であり恋人でもある大輔は、巨乳婦警にニヤつく恋人を見ないですんだので、オッパイを押し当てられる罰ゲームは自分が食らってよかった、と思い直した。そして生真面目な警察官の仮面をつけ直す。 桂奈がいるのは“第三取調室”だと一太に聞いたので、店の見取り図を思い出しながら、桂奈の元へ向かう。この店は警察をモチーフにしているので、プレイルームを取調室と呼んでいた。 (ほんと……バカにされてる気分だ) 大輔はウンザリしながら扉が開きっぱなしの第三取調室を覗いた。 「……それで? ようは挿入、したんでしょ? それはわかってるんです。こちらが聞きたいのは、店から、もしくは接客した女性から挿入のサービスの提示があったかなかったか、なんですけど!」 取調室、とされたプレイルームは、一昔前の刑事ドラマか刑事コントの舞台装置のようだった。安っぽい事務机と、それを挟んで向かい合ったパイプ椅子のセットが部屋の真ん中にあり、机の上にはそれらしいスタンドまであるが、部屋の奥に置かれた安いパイプベッドのせいで取調室のリアルさは薄かった。 桂奈は入口ドアを背にして事務机の前に立ち、机を挟んで正面に座らせた男から事情聴取していた。男は店の客で、サービスを受けている最中に保安係が摘発に入ったので、その時の格好――上半身は裸で下半身は部屋の備品の薄ピンクのバスタオルで覆っただけの半裸だった。おそらくタオルの下は下着もつけていないだろう。 違法風俗店を摘発し、店に適正な処罰を与えるには、あらゆる証拠が必要だ。従業員だけでなく、客からの証言も重要で、店でなにをしたかつぶさに聞き出さなければならない。 生安課が長い桂奈は客の証言の重要性なんて重々承知のはずだ。それでも、だらしない体を晒すスケベな客から事細かにサービス内容を聞き出す仕事には辟易しているようだ。苦虫を噛み潰したような顔を隠しもしない。いかにも怖い女刑事、という顔になっている。 客の男はおっかない女刑事に問い詰められ、すっかり小さくなっていた。違法店と知っていたかはわからないが、不運にも摘発の日に店に居合わせたために、とんだ辱めを受けることになってしまったのだから、気の毒にも思う。 同情的な視線を向けた大輔だが――男の下半身が目に入って、同情的な視線は侮蔑的な視線に変わった。 「……ゲッ、なんで勃ってんだよ……」 気持ち悪さを堪えきれず、思わず口に出してしまった。桂奈――女性警官に尋問される客の男は、タオルの中心を一目でわかるほど奮い立たせていたのだ。 桂奈の角度からは机に隠れて見えていなかったのだろう。大輔の言葉で気づいた桂奈が回り込んで男の下半身を目にし――元から厳しかった顔をさらに激しく歪めた。 男性客が青い顔でタオルの中心を両手で隠す。 「すっ、すいません! トイレ行ってきても……」 「あのねぇ! これはれっきとした事情聴取! お店のプレイの……エッチな取り調べじゃないんですよ! わかってます? あんまりふざけてると、署まで来てもらって、本物の取調室でお話を聞くことになりますけど!」 「あっ、そんな……本物の美人婦警さんにそんな……そんなに怒られると……」 男は泣き出しそうに見えた。しかし大輔と桂奈は、アッと声を上げた。 男がウウッと呻き、薄ピンクのタオルに染みが広がり――。男の身になにが起きたのか、大輔も桂奈もすぐに理解した。 桂奈は怒りで震え出し――大輔は、胃の中身がせり上がってくるのを感じた。 「いい加減にして下さい! 公然わいせつで逮捕してやりたいけど……逮捕したらまた喜んじゃいますよね!」 「すっすいません……婦警さんがきれいだから……」 「きれいって言われてこんなに嬉しくないこともないですけど! ……て、大輔くん?!」 「ごめんなさい、桂奈さん……俺、吐きそ……」 大輔は強い吐き気にふらつき、桂奈にもたれかかって口元を押さえた。 「え?! ちょっと! なんで大輔くんが吐きそうになってんの! 吐きたいのはあたしでしょうが!」 「あ、ダメ……俺も、出るっう……」 今度は大輔が出してしまった。上の口から、夕飯のチャーハンを――。 「キャー! スーツにかかる! てゆうか現場保全!!」 ただ仕事をしていただけなのに、その夜は彼女の警察人生の中でも特についていない夜だった。客の男の取り調べプレイに付き合わされ、続いて後輩からはスカトロプレイを強要されたのだから――。 「……もうヤダぁ……この仕事」 今夜一番の不運な女性警官――桂奈のボヤキが、取調室に虚しく響いた。
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