夏菜の痛嫁グラフィー

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夏菜の痛嫁グラフィー

その日私は出会った、15年前、まだ学生だった夫と。真面目で純朴で、文章も絵も彫刻もスポーツも私よりずっと上手。 頭が良い夫に勉強も何度も教えてもらった。私より難しい本を読み、細かな手仕事に夢中になる姿。何一つ私はこの人に勝てない。その現実を突きつけられたとき、私は夫を好きになった。 夫は、何一つ勝てない癖に、すぐムキになって対抗する私の悔しそうな顔を見て、 「夏菜は頑張ってるよ、大丈夫」 優しく励ましてくれた。いつもいつも、15年間ずっと。ここで、二人の歴史にピリオドを打つ訳にはいかない。 だから痛い、キモい、寒いと言われようが私は決めた。嫁グラフィーを夫に撮って貰う。 まずはいつもよく行く喫茶店。あーでもないこーでもないと、小説家気取りの私の小説のネタ出しに夫は渋々付き合ってくれる。みんな同じことを思うのか、このチェーン店の喫茶店は、嫁グラフィーや夫グラフィーでよく日常シーンに使われている。 夫が撮った神グラフィーの璃子さんに勝ちたい。容姿で負けても愛情では負けたくない。 さりげない日常で最高の一枚を撮って。私は作り込んだ表情でさりげない日常とは程遠い仕草をしてみる。 顎の下に両手を置いて頬杖。ぶりっこ。さりげなく左手の薬指の指輪で嫁アピールをする。慣れないポージングで笑顔になれない。 コーヒーフロートのアイスをロングスプーンで食べる。美味しいが先に立って、鼻の下が伸びた食いしん坊の顔にしかならない。 水の入ったコップを微笑んで口元に寄せる。しょうがないなという感じでスマホを構える夫と目が合って、嬉しくて笑顔になる。 「どうこれで?」 夫は自信たっぷり。たった三枚で私の笑顔を引き出した。 「ありがとう」 自分で嫁グラフィー撮ってよと言った癖に照れてしまう。 この喫茶店が思い出の場所だとすっかり忘れていた夫。煮えたぎっていた熱い怒りが、コップの水のようにクールダウンしていく。水に流してもいいかな?そう思える写真。 でも、ここで私の悪い癖が出た。夫が私の自然な笑顔を引き出せるなら、私だって撮れる。剥き出しの対抗心。 夫グラフィーの撮影に熱が入る。 コーヒーカップを口元に寄せる。 ソファにもたれる。 まだ撮るの?と少し眠そうな笑顔で頬杖。 自分ではさりげない日常を嫁グラフィーに撮ってよと言って、不自然極まりない演出したポーズのたった三枚でデレデレになって満足したのに。 夫グラフィーを撮るとなるともっと夫を美しく撮りたい、私だけにしか撮れない最高にカッコいい夫を撮りたいと欲が出てしまう。 いつも行く公園に場所を移して、花がそろそろ終わりそうな背の高い薔薇を見つけた。自然体で立って夫の背の高さに合う。根元を踏み荒らしたり、茎や枝に手を伸ばさなくても、少し離れて立つ。私より少し背の高い夫ならそれだけで絶対に絵になる。 「薔薇と撮るのは…」 珍しく照れた夫に、 「お願い、撮らせて」 夫の前で手を合わせて拝んでみた。 「ハイハイ、わかりましたよ」 夫はやれやれという感じで薔薇の側に立つ。 「もう少しこっちに寄ってください。顎は引いて、目線こっちにお願いしまーす。笑顔ひとつ頂けますか?」 結婚写真を撮ってくれたカメラマンさんの真似をして、スマホの上で指を上げて目線が合うようにして、カメラマンになりきる。 シャッターボタンを押す瞬間、私はある歌が浮かんだ。 『君は薔薇より美しい』 ベタで何の捻りもない。でも、私の夫は原曲の布施明さんよりも、ニセ明さんを演じる星野源さんよりも、カッコいい。本気でそう思ったから撮れた写真だった。 夫にその歌の話をすると、 「薔薇より美しいは言い過ぎ。15年も経ってるのに精神年齢だけ女子高生に戻られても困るんだけど?」 「たまにはいいじゃん。どうせなら実年齢も女子高生に戻りたいけどね」 「じゃあ…俺も戻ってみるか」 夫はさっき水のコップを口元に寄せた私の嫁グラフィーを見せながら、 『見つめる君 見つめる私 想いは同じ あなたが好き 』 テキストを書き込んでくれた。銀色夏生さんが大好きな私のツボをこれでもかとグリグリと押してくれた。 だから私は、 『薔薇より美しい それは言い過ぎだよという 貴方が堪らなく愛しい なんでもない日がグラフィー記念日』 俵万智さんのサラダ記念日を意識したテキストを打ち込んだ。二人で意味深に笑いながら、久しぶりに腕を組んで歩いて帰った。
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