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文学のかけらもない会話と、笑い声に包まれた部室の中。挙句の果てにはゲームをする音まで聞こえてきて、城築創は頭を抱えた。
新しい話を紡ぎだそうと、まっさらなノートとお気に入りのシャープペンシルを出したものの、部活動をするために与えられた空き教室の中は雑音で溢れかえっていて、創作する意欲がそがれてしまう。
わざとらしく、はあ、と大きなため息をついてみるれど、騒音にかき消されてその音は誰の耳にも届くことはなかった。
創は文芸部に所属していた。小さいころから本を読むのが好きで、文章を書くのも好きだったから、中学校に上がったら文芸部に入ろうと決めていた。
文芸が好きな仲間たちと切磋琢磨を繰り返しながら創作活動に励むんだ、なんて意気込んでいたものの、実際そこは文芸部という名の雑談部で、雑談をして帰る人が大半だった。
活動をしている証拠に、偶数月に1回、各部員が書いた短編をまとめた部誌を発行しているが、両手で足りないくらいの部員がいても、真面目に原稿を出すのは片手で足りる人数だった。
やる気がないなら入らなければいいのにと、内心そんなことを思うが、創が通う中学校は部活動入部が必須だったから、仕方がないという諦めもあった。
どうしても、やる気がない人たちは縛りがゆるい文化部に集まってしまう。
特に文芸部は顧問のやる気がないことで有名で、彼は年に数回しか部室に顔を出さないし、自由にやればというスタンスだったから、入部する人も似たようなタイプの生徒が多かった。
2年に上がり、部長というポジションを与えられた創が何とか部活を立て直そうと奔走した時期もあったが、空回りしかしなくて、むなしくなってそれも1か月でやめてしまった。
図書室で執筆活動に勤しむか、なんて考えが浮かぶけれど、図書室は受験生が占拠しているから2年生の創は近寄り難い。
家に帰るにもまだ早い時間で、真面目な母親に部活動はどうしたのかと責め立てられるのが目に見えていたので、帰ろうとは思わなかった。
なんだかなあ、と思いつつ、創は年期が入った本棚から気晴らしに部誌を一冊取り出した。
以前は図書館で使われていたという大きめの本棚には、歴代の部誌がズラリと並べられていて、いつでも自由に見られるようになっていた。
「城築先輩」
ふと、隣に人の気配がしたかと思うと、優しい声で名前を呼ばれる。
「広野、来たのか」
「はい。久しぶりに先輩に会いたくて」
広野は俺の隣に椅子を持ってくると、腰を据えて笑顔を見せた。
ぱっちり二重のタレ目で、女子から甘い顔と騒がれている広野が笑うと、空気がふわりと優しくなる。
顔がいいやつはそれだけで得だなと、そんな事を思いながら、創も笑い返した。
広野春翔は一つ下の後輩だ。
文芸部とソフトテニス部を兼部していて、ソフトテニス部が忙しいから、滅多に文芸部の方には顔を出さなかった。
けれども文芸部をやめないのは"好きだから"という理由らしく、文学に対する熱心さが非常に好ましかった。
現に、忙しいのに広野は部誌の原稿を毎回出してくれている。
「それ、懐かしいですね」
ふと指をさされたのは手に持っている部誌で、何気なく取ったそれは、広野の作品が初めて載った月のものだった。
「懐かしいよな。広野が意外と少女漫画思考で驚いたのを覚えている」
広野の初めてのそれは手紙形式のもので、つらつらと愛を語ったものだった。
詳しく聞いてみると、好きな人に宛てた恋文だとか。
部誌は図書館にも置かれ、全生徒が読めるようになっているので、それを利用しての事だろう。
広野は顔良し性格良し頭良しだから、そんな回りくどい事をしなくても、告白をしたらokをもらえそうなのに、意外と奥手なところが可愛かった。
ふふっと笑うと、馬鹿にされたと思ったのか、広野がムッとするのが分かって、少しだけ焦った。
「あ、あのさ、それで、想いは届いたのか?」
空気を変えようと、わざとらしく聞いてみると、ふるふると頭を左右に振られる。
「何回も読む姿は見かけてるんですけどね、鈍すぎて気がつかないみたいです」
「そうなんだ。いっそのこと、直接言えばいいのに。広野、かっこいいから大丈夫だよ」
「それが出来たら苦労しませんよ」
「そっか。まあ、人それぞれだよね、うん」
「そうなんです。人それぞれなんです。俺は近くにいられるだけで幸せですから、別に想いが届かなくたって良いんです」
想い人の事を考えているのだろう。そういう広野は、とても幸せそうな顔をしていた。
しかし、そう言われてみても、創は好きな人とは付き合いたいタイプだったので、その気持ちはよく分からなかった。
手元の部誌をパラパラめくって、広野のページを探す。
何回か読んだこともあって、そのページはすぐに見つかった。
「あなたへ
なにをしているのかな、なんて。
たびたび考えてしまいます。
がんばって思考を変えても駄目でした。
好きだから貴方の事ばかり。
きっと、止める事は出来ないのでしょう。
でも、直接言うことは出来ないのです。
好きというこの気持ちを。
そう、だからこうして貴方に送ります。
先輩、みていますか?
1年5組 広野春翔」
部誌の原稿は手書きで書いたものでも、パソコンで作成したものでも、縦のA4サイズであればどちらでもよかった。
ただ、手書きの原稿はそのまま印刷にかけられて部誌にされるので、手書きの原稿を出す人はいなかった。
しかし広野はこの時だけは手書きで原稿を出していて、ページには丁寧に書かれた彼の文字が広がっていた。
いわく、手書きの方が想いが伝わるから。
文字の丁寧さからしても、広野は相当この人が好きなのだということがうかがえた。
「そもそもさ、手紙なのに相手の名前が入っていないから本人には届かないんじゃないのか? ヒントになるのって、先輩、だけじゃないか。この学校だけでも、広野の先輩なんて何百人もいるぞ」
「名前、ちゃんと書いてありますよ。先輩、本当に読書好きですか」
「どうみても書いてないじゃないか。というか、今なんでディスられたんだ? 仮に書いてあったとしても、分かりにくい広野が悪くないか?」
「だから、本人には届かなくていいんです。俺は今の状況で十分幸せですから」
ショートケーキみたいに甘ったるい笑顔をする広野は、きっと想い人の事を考えているのだろう。
折角の笑顔を俺になんて見せていないで、想い人に見せたら相手も落ちるだろうに、なんて勿体無いことをしているのだろうか。
「ショートケーキだって安くないんだぞ。安売りしてないで、早く好きな人の元に届けたらどうだ」
「いきなりなんの話ですか、先輩」
クスクス笑いながら、更にそこに砂糖菓子を追加したような表情をする広野に、男の創でもドキリとしてしまう。
広野は本当にいつでも想い人の事を考えているのだろう。
恋にのめり込みすぎているのか、創の前でも広瀬はしばしば甘い表情をするので、まるで彼は自分のことが好きなのではないのかと錯覚してしまいそうになる。
このままでは自分が未知の世界に踏み入れてしまいそうで、少しだけ怖かった。
自分が変な勘違いに飲み込まれてしまう前に、広野が早く想い人と結ばれますようにと。
創はそんな事を思うのだが、創がそう思う限り、その日は来ないのだった。
END
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