(5)夕暮れ戯作

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(5)夕暮れ戯作

 じとっとした季節に、終わりを告げるような雷鳴が轟く。 「雷か」 と、忍が呟く。 「まあ、でも雷くらい珍しいものじゃないでしょ」  フロントの大窓に大粒の雨が叩きつけられる。ガラス越しに見える一本の大きな観葉樹が雨に枝をあおられていた。暗い鏡からは幸谷だけが映る。 「今までと違い、遠くに感じるのさ」 「第三者の視点ってところかな」  奇妙な一件以来、忍は幸谷に取り憑いていた。忍と幸谷の距離が遠くなるにつれて幸谷の体調が徐々に悪くなる。そのため家や学校、どこへ行く時も忍は憑いてきた。  家族は家にもう一人住み憑いていることを知らない。変化を感じ取るとすれば、それは幸谷が前よりも人一倍疲れやすくなったことだ。幸谷は黙っていたが、親は子の打つ芝居を見抜いた。よく具合を聞いてきたり病院で診てもらうよう勧めてきたりした。  予想はつくので断っていたが、結局行く羽目になってしまった。案の定医師には、思春期の心身の不安定によるものと診断される。  診察を受けて帰ろうとした矢先の事である。雨具は一切持ってきていなかった。迎えを呼ぼうか迷ったが、多分すぐに止むだろうと判断した。  忍は続いて外を、幸谷は備え付けのテレビに目を向ける。  特集「月花の日常」がやっていた。テレビ越しに笑う彼女はどこか掴めない。「水面に映る月や花」と評されている若手女優:月花さんである。笑っていればどこか淋しさを漂わせ、悲しい表情の中にもどこか幸せを感じさせる。  幸谷は、まだ女性に対して何の興味も感情も湧かなかったが、女優勢の中でも女優月花は別格である事は分かる。  静かに笑う彼女に、どこか惹かれてしまう。 「なあ、忍。月花って良いよな」  忍はテレビに目をやる。顔を非対称にさせ嘲笑した。 「気味が悪い」  予想通り三十分程で雨は上がった。雲の合間から徐々に太陽が顔を出す。昼間漂っていた蒸し暑さは、涼しい風とひやりと湿った空気に変わっていた。  公園のサイクリングコースに沿って帰る。横に見える湖の畔には、白鳥や鴨など水鳥が羽を休めていた。時には隣の川へ道を横断する鳥もいる。  自転車をこぐ幸谷の後を忍が追う。周辺の重力が軽いのでは、と思うほど忍の一歩は軽く、それでいて大きかった。幸谷が普通の速さで漕いでも難なくついてきた。  前の方から誰かが走って来る。近くにくると、それは高崎であることがわかった。 「琢磨!練習かい」  近くに来ると、高崎は足踏みをゆっくり減らしてストレッチに入った。 「そうだよ。今日は部活がないんだ」 「すごいなあ、僕なら積極的休養にするね」 「まあ、俺だっていつもやるわけではないよ。雨降ったあとだから気持ちいいだろう、って思っただけさ」 と高崎は笑った。 「というか幸谷、お前だってほんとはトレーニングしてるんだろ?俺の目は騙せないぜ」  幸谷は目を反らし、鼻を触る。というのも、前回の体育の時間に盛大にやらかしてしまったのだ。  秋に行われる駅伝のメンバーを集める為、長距離走をさせられたのだ。陸上部の部員だけでは男女共に足りないらしい。  幸谷は親とジムに通っているので、体力に自信がないわけではなかった。しかし長距離という種目が、ある男のしびれを切らしたのである。  忍は最初幸谷の様子を観ていたが、一緒に走り始め、終いには身体を代われといってきた。そんなの無理だろ、と思っていたが、このツラさから解放出来るならとオーケーを出した。  するとどうだろう。身体が勝手に動き出し、ガンガンスピードを上げていく。身体の自由は効かないのに、疲れや息苦しさは更に強まっていく。ゴールすると口から心臓が飛び出してしまうくらいバクバクし、気持ち悪さから地面に伏せるのもままならなかった。  忍曰く、「走りがあまりにもお粗末」らしい。本当の走りを体感させようと思ったのだという。やるにしても程がある。  忍は、身体の限界を知ることなく極限まで飛ばし、幸谷は限界を知っても尚身体が分解しないことを祈る事しか出来なかった。  残念なことに、その頑張りは陸上の顧問の目に止まり、期末テスト後から練習に参加するよう言われてしまった。 「あー、あれね。確かに調子良かったね」 さりげなく忍を睨む。 「期待してるぞ!二人で盛り上げていこうな」  ピピッと音がすると、高崎は時間だと言って別れを告げ走っていった。その姿を目で追いながら呟く。 「乗っ取れるなんて聞いてないぜ」 「俺もあの時が初めてさ。いつもお前が寝てから自由が効くかどうか試してたんだが・・・すまねえな」  幸谷は眉をひそめた。 「今、聞き捨てならないことが聞こえたけど?」  忍は、それに対して返す事なく歩き始めた。
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