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第1話
「ふむ」
少女は目に映る景色を見つめ言った。そこに広がっているのは大都会。辺りを埋め尽くす家家家。走り回る大量の車、歩き回る数えきれない人人人。遠くに目を移せば巨大なビルがいくつもいくつも並んでいる。それらが春の陽光に照らされている。
「なんという景色じゃ。これが人の世の中心か」
少女は悔しそうに唸る。
「木々が申し訳程度にしかない。山々までも人の家々で埋め尽くされておる」
少女が立っているのは鉄塔だった。およそ、人が立つ場所ではない。その鉄塔の格子にはられた鉄骨の一つに少女は立っているのだ。
「この街のどこかに狐めが居るのか。いよいよじゃ暁部。貴様の敵は必ず取るぞ」
少女は決意と、仄暗い感情をその表情に写す。
「妖気はあそこからか」
少女が見つめるのは都会の中心のビル郡。そこを強く凝視していた。
「馬鹿みたいに妖気を垂れ流しおって。ふん。図に乗っておられるのも今日までじゃ。この伏羽童子が来たからにはな」
少女はそうしてぴょんとひとつ下の鉄骨に降りた。
「全部わしが終わりにして見せる」
そう言って少女はまたビル群を見つめた。そんな少女に呼びかける声があった。
「君! 早くそこから降りなさい!」
「分かっとるわ! 今降りとるじゃろうが!」
呼びかけていたのはメガホンを持った警察だった。少女はその呼びかけに応じぴょんぴょん降りていった。
少女はその後3時間に渡って職務質問を受けるはめになった。
「公太。洗濯物取り込んでよ」
「え?」
「え? じゃないでしょ。ずっと家に居るんだから家事くらい手伝いなさい」
「えー」
「えー、じゃないの」
公太は母に言われてしぶしぶベランダに出て洗濯物を取り込んだ。二人分なのでこれいといった量もないが面倒なのは面倒なのだ。公太は本当にしぶしぶ作業した。ポイポイとベランダから居間に洗濯物を投げ込んだ。
「ちょっと。あんまり乱暴に扱わないでよ」
「えー」
「えー、じゃないでしょ。私ちょっと買い物に出るから。留守番よろしくね。出来たら洗濯物も畳んどくのよ」
「マジか」
「マジかじゃないの。お願いね」
そういって母はおばちゃんパーマのかかった髪を揺らし出ていった。公太は残され山積みの洗濯物を眺めた。二人分なので大した量ではない。だが面倒なのは面倒だった。
「本屋に行くか」
公太は洗濯物から目を背け、母が出ていったのと同じように玄関に向かった。スニーカーを履き扉を開ける。午後の日差しはもう傾き始めている。今頃同級生たちは授業の真っ只中だろうと思われた。
それを思うと公太は少し憂鬱になった。
「あー」
力のない唸り声を上げ鍵を閉めると公太はアパートの階段を降り始めた。平日の午後の街は人通りが少なかった。郵便配達員のバイクの音とトラックのエンジン音だけが響いていた。
彼の日常はそんな感じだった。三条公太は不登校児だった。
本来通学に用いる自転車をこぎ公太は本屋に向かった。街を行き交うのはおばちゃんや老人だけだ。小学生でさえまだ下校していない。会社員なんてもってのほかだ。静かな平日の真昼間。普通の高校生なら風邪を引いたときくらいしか見ることのない景色だ。その中を公太は走った。
彼が学校に行かなくなったのは高校一年の冬だった。今はそれからしばらく経った春の始め。主な理由は彼自身でも良く分からなかった。ただ一番大きな理由は勉強だったように彼は思う。彼の進学した高校は進学校で勉強のレベルが高かった。高かったといっても地元では中の上くらいのものだ。ずば抜けて頭の良い高校でもない。ただ、それでも彼には付いていけなかった。勉強をする気が起きなかった。しなかったらなおのこと付いていけなくなるのは道理で冬になった頃にとうとう彼は限界が訪れ、そして学校に行かなくなった。そういう感じで彼はこうして平日の町中を走っているのだ。
本屋は彼の家から10分ほどのところだった。ビル一個丸々本屋という作りの本屋。彼は今日発売の少年漫画を求めていた。漫画コーナーは3階だった。彼はエスカレーターに乗り3階まで行くと目当ての本を買った。
漫画は良かった。図抜けて好きということもなかったが漫画を読んでいる間は色々なことを忘れられる。高校生活を描いたものは苦しくなるのでパス。もっぱら彼が読むのはファンタジー系だった。包を小脇にとっとと家帰ろうとエスカレーターを降りる。と、コーヒーでも買っていこうと公太は思った。一階には喫茶店が併設されている。そこでアイスコーヒーを買うことにした。
一階に着くと入口横の喫茶店に向かった。いい感じの珈琲の匂いが漏れ出していた。本を買った客がここでコーヒー片手に読書に勤しめるようになっいるのだ。もう何度も買っているので別に何を思うこともない。公太は注文しようと店員の元に向かう。と、
「だから、コーヒーを出せと言うとるじゃろうが」
「申し訳ありませんお客様。当店はコーヒーにもいくつかございまして。どちらになさいますか」
「何があるんじゃ」
「おすすめは期間限定のストロベリー&ラズベリースペシャルマキアート。あとよく注文がありますのはキャラメルホワイトチョコレートフラペチーノにスコティッシュブラックモカフロートなどですね」
「あ・・・・・・。あ・・・・・・?」
レジに女が一人立ち往生していた。年齢は公太と同じくらいだろうか。ショートヘアーでTシャツにジーパンにサンダルという実にラフな格好だった。目が青い。外国人の血でも混じっているのだろうかと公太は思った。女は店員の言葉に固まっていた。
(ああ、初めて使うのか)
公太は思った。この店は品名が実に分かりにくい。名前だけでは何が入ってるのかさっぱりなのだ。今でこそ慣れたが最初は公太も意味不明で今の女と同じように若干固まったことがあった。ドヤ顔で品名を言い切った女性店員はいつまでも固まっている女に表情を弱ったものに変えた。
「大丈夫ですかお客様。一応普通のコーヒーも――」
「だ、大丈夫に決まっておろう。最初のを頼む」
「ストロベリー&ラズベリースペシャルマキアートですね。ではサイズをショート、トール、グランデ、ベンティからお選びください」
「あ・・・・・・・・・・・?」
女は再び固まった。
「え・・・・Mで」
「と・・トール・・・でよろしいでしょうか」
「あ、ああ。それで頼む」
女はなんとか注文を終えた。女の顔には疲労感と敗北感を浮かんでいた。女はそのまま商品の受け取りカウンターへと移動していく。公太は哀れみ、そして同情を抱きながら列を進んだ。この店を初めて使うものが誰しも通る道だ。皆、あれを乗り越えて成長するのだ。そして公太は自分の注文をした。
「アイスコーヒーのショートで」
「なっ!」
公太の言葉に移動していった女が勢いよく振り向いた。
「アイスコーヒーあったのか!」
女は驚愕していた。
「も、申し訳ありませんお客様。先程お伝えしようとしたのですがお客様が注文を決められたのでてっきり」
「な、なにぃ」
女はわなわなと震える。
「今から注文は・・・・」
「も、申し訳ありません。もう出来ますので追加注文という形に・・・・・」
「な、なにぃ」
そう言っているうちに女の前には実に豪奢なストロベリー&ラズベリースペシャルマキアートが置かれた。女はその威容にさらに震えた。公太はその様をしばらく眺めた後に言った。
「あの、交換しますか?」
女の表情は明るく変わった。
「いや、悪かったの。この店を使うのは初めてでな。はっきり言って意味不明じゃったわ」
「初めて使うならそんなもんです」
女は公太が注文したアイスコーヒーを飲んでいた。公太は女が注文したストロベリー&ラズベリースペシャルマキアートを飲んでいた。
公太は何故か女と同席するはめになっていた。コーヒーを交換したらもう終わりかと思っていたが女が「せっかくじゃ」などと言って同席してきたのだ。
「いや、都会に出てくるのは初めてじゃったからな。色々カルチャーショックを受けておる」
「地方の方なんですか」
「ああ、まぁな。わしは千状ヶ岳で妖怪の頭目をしておってな。鬼の伏羽童子という。今回は困っているところ助けてもらいあいすまなんだ」
「はぁ」
公太はさっさとこの女の元から去るべきだと理解した。冷静に考えればさっきから話し方も妙だ。いわゆる電波さんだと公太は判断した。出会ってまだ二桁分も言葉を交わしていないがはっきり分かった。関わり合いになるべきではない。さっさと会話を打ち切り席を立つべきだ。
「じゃあ、僕はこれで」
「ああ? なんじゃ唐突に。もう行くのか」
「ええ、家に帰ってやることがあるので」
「ちと待てい。もう少し話さんか」
「いえ、申し訳ない」
公太はペコリと頭を下げる。そしてストロベリー&ラズベリースペシャルマキアートを手に取り立ち上がった。
「まぁまぁ、良いではないか」
そう言って伏羽は公太の腕を掴んだ。公太は軽く振りほどこうとする。
(む?)
だが振りほどけなかった。異様に力が強い。
「む」
「少しだけじゃ少しだけ。この街について聞きたいことがあっての」
「むむむ」
「悪いようにはせんぞ。貴様をいきなり取って食うということはない。安心せい」
「むううううううううん!」
公太はとうとう全力で力を込めた。しかし、振りほどけなかった。
「そんな全力で逃げようとするな! そして、少しは人の話を聞けぃ!」
「だって、あなたヤバイ人でしょう」
「な、なんじゃ藪から棒に」
「そんな喋り方でそんな意味不明な自己紹介する人は社会的にヤバイ人です」
「な、なんじゃと。喋り方も自己紹介も嘘偽りないわしの本当の姿じゃぞ。ケチ付ける気か」
「そういうこと真顔で言う人はヤバイ人です」
「貴様言うたな!」
ざわりと辺りの空気が蠢いた。何か場の雰囲気が公太にも分かるほど変わった。
(?)
見れば目の前の女の顔は怒りに震えている。そして髪が逆立っている。そして、女の目の前のアイスコーヒーおよび公太の手元のストロベリー&ラズベリースペシャルマキアートがグラグラ震えていた。
(な、なんだ)
明らかに様子がおかしかった。と、女がハッとした表情で公太から手を放した。
「い、いかんいかん。すまなんだ。つい激情に身をまかせるところであったわ。町中で力を使うなときつく言われておったというのに」
女は手を引っ込めた。公太はなんなんだろうと思った。ますますこの女は謎だ。「力」とか中二ワードまで飛び出す始末。
「つまり、あなたはオタクかなんかなんですか。重度の中二病ってやつですか」
「な・・・・・・。い、いや。もうよい。それでよいわ。それでよいから少し協力してもらえんか」
「はぁ」
「頼む」
女は顔の前で手を合わせてお願いしてくる。まぁ、結局ヤバイ人だという評価に変わりはなかったが話だけでも聞いてみるかと公太は思った。ヤバイが悪い人間ではなさそうだ。まだ早計ではあると思ったが「之はアカン」と思ったら全力で逃げることにしようとも公太は思った。
とりあえず公太は席に戻った。
「話だけですよ」
「おお、聞いてくれるか」
「聞くだけです」
公太はストロベリー(以下略)を一口飲んだ。
「わしはの、この街に巣食う妖怪を殺しに来たんじゃ」
「へぇ」
公太はとりあず付き合う。
「じゃが、そやつの居場所が分からん。ゆえにこの街について知っているものに少し協力してもらいたいんじゃな」
「なるほど。妖怪っていうとどこかの廃墟とか神社とか、そういうところに隠れてるってことですか」
「いや、こやつは普通ではない。正体は狐でな。人間に化け人間社会に溶け込んでおる。そしてどうも社会の中枢に潜り込みこの国を動かそうとしておるようなのじゃ」
「ふむ」
公太はとりあえず終わりまで聞くことにした。
「顔だけは割れておる。こやつがこの都会のどこかにおるはずじゃ。貴様、何か心当たりはないか」
そう言って女はピラリと写真を取り出した。そこに写っていたのは女だった。スーツ姿のいかにもやり手というような。
(手が込んでるなー)
公太は思う。しかし、ふとその姿に見覚えがあるのに気づいた。この顔、この女は、
「この人、四葉重工の重役の秘書の人ですね」
「む? 知っておるのか」
「はい、この前ニュースになってましたから」
そうだった。この写真の女はつい先日、四葉重工の汚職事件でニュースに出ていたのだ。公太は不登校児なので自然テレビを見る時間が多くなる。なので、世情について同年代よりも詳しいという悲しい特徴があった。
女の名前は確か東藤と言った。四葉重工が国営の工事に関して癒着していたという事件に関わりのある人物だ。癒着に関する取引に関わりがあるとかでテレビで頭を下げていた重役。その重役と一緒に行動していた秘書の女だ。ちらりと写っただけなのに世間では美人すぎる秘書とかで話題になっていたのだ。
「この人が妖怪だって言うんですか」
「そうじゃ、まさしく」
「それはないでしょ」
「いや、間違いはない。わしらのネットワークの情報じゃからな。こいつであることに間違いはない。ただ、どこにおるかが分からなんだ」
「根拠がさっぱりですけど。その人なら四葉工業の本社に居るでしょう」
「で、あるか。ならばとりあえず行かねばなるまいな。いや、おぬしに出会えて幸運じゃったわ。して、そのビルはどこにある」
「都心ですね。ここからなら電車で1時間弱だと思います」
「電車か・・・・・」
伏羽は顎をさすった。公太は思う。随分手が混んでいると。随分練られた設定だと。だが、あくまで妄想のはず。ならば、ここからわざわざ行くということはないはずだ。
「すまん。電車の使い方が分からん。連れてってはもらえんか」
「え、行くんですか」
「それはもちろん」
女は当然のように応える。いや、当然なのだ女の中では。そういう設定なのだから。しかし、そこで公太ははたと気づいた。この女は地方から出てきたのだ。女が地方出身という点はこの店の使い方が分からなかったところと服装が地方を中心に展開している衣類店のもので統一されていることから信憑性は高い。ということはこの女はこの設定のためにわざわざこの街まで出てきたということになる。
そんなことあるだろうか。普通はない。普通のヤバさのやつでもない。あるのはとんでもなくヤバイやつか、もしくは恐ろしく斬新かつ遠回しな詐欺である場合か、もしくは、もしくはこの女の言っていることが全部本当である場合だけだ。
公太は自分の思考に一瞬固まった。
「どうした」
「い、いや。なんでも」
いや、本当というハズはなかった。あんまりにも荒唐無稽であるし。
『四葉重工の秘書が妖怪である』
(うん。無いな。こいつは多分とんでもなくヤバイやつなんだ)
字面だけでヤバかった。冗談で口にしてもヤバイやつだった。困ったことになった。こんなやばい奴と関わることなんてあとにも先にもこれっきりだろう。そして女はいかにも正気というような目をしている。それがあまりに痛ましかった。これが本当に狂っている人間の目か、と公太は思った。そうすると公太はなんだか目の前の女がとても可哀想に思えてきた。自分が今不登校という状況なのもあってだろう。実に同情した。この若さでここまで狂っているなんて。この先の人生どうやって生きていくのだろう、と公太は思った。
「よし、なら行ってみるか」
行って公太は自分でも驚いた。思わず口にしてしまったのだ。なんだかこの女の力になりたいと思ったのだ。こんな狂った状態でこんな大都会を歩き回るのは危険すぎる。危ないことも一杯ある。付いていくべきだと思ってしまったのだ。
「ほ、本当か? いや、今までのノリなら当然断られると思ったんじゃが」
「いいんだ。行こう。行って妖怪をこらしめてやろう」
「な、なんじゃ貴様。どうたんじゃ。急に異様に素直ではないか。なんか突然タメ口じゃし」
「大丈夫だ。俺が付いてる。君は楽にしてれば良いんだよ」
「な、なんじゃ貴様。なんか気持ち悪いぞ」
「気にしないで。そうと決まれば善は急げだ。早く駅に向かおう」
「お、おう。頼む。いや何はともあれおぬしに出会えて幸運であった。こうも上手く事が運ぶとは。礼を言うぞ」
「ああ、全部俺に任せとけ」
公太は言った。『全部俺にまかせとけ』。そんな言葉今まで言ったこともなかったのに。言ってしまったなぁ、と公太は思った。
二人は席を後にする。それぞれコーヒーを手に取る。
「ああ、いかん。ホットコーヒーになっとる。やってしもうたわ」
伏羽がそう口にする。なんのことやら、と公太は自分の分のストロベリー(以下略)を口にする。
「む」
それはホットストロベリー(以下略)になっていた。
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