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第2話
目的の四葉重工本社ビルがある街の駅までは公太の予想通り1時間弱だった。
伏羽は切符さえまともに買えない有様だった。なので公太が二人分買った。
「すまんな」
「別に良いけど。なら、ここまでどうやって来たの」
「人目のあるところは歩いたが、それ以外では山を駆けて来たわ。本当は全部走れば一番楽じゃったんじゃがな。騒ぎはなるべく起こすなと言われておったから」
「なるほど。それはすごい」
そういう設定か、と公太は思った。
平日なためかまだ電車は空いており二人は席に座ることが出来た。電車に乗っている間伏羽はずっと外を見ていた。感動しているような落胆しているような複雑な表情だった。どんどん都心に近づくにつれその表情は濃くなっていった。
「どう。初めての大都会は」
「いや、すさまじいの。人間というやつは」
「すさまじいか」
「こうも人間のものだけで埋め尽くされた景色を見るのも、こんなに街が人間で埋め尽くされているのを見るのも初めてじゃ。悔しいような感動的なような、妖怪としては複雑な心境じゃな」
「なるほど」
そうこうしている内に二人は駅についた。ホームに降りた瞬間伏羽は声を上げた。
「なんじゃこりゃ」
ホームは人で埋め尽くされていた。いや、休日や帰宅時間帯に比べればまだましだが、それでも伏羽にとっては十分なもののようだった。
「ど、どこに行けばいいんじゃこれは」
「こっちだよ」
そんな伏羽の手を取り公太は階段へと向かう。人混みの流れに乗りながら通路を進んでいく。
「なんじゃこれは迷路か? 人が埋め尽くされた迷路ではないか。なんじゃここは」
「こっちだよ」
「貴様本当に行き先が分かるのか」
「まぁ、何回も来てるし」
「ウソじゃろ。回数重ねたところでどうこうなるシロモノには見えんぞ」
公太は迷いなく進み問題なく改札を抜けて駅の外へ出た。公太は慣れたものだったが伏羽は肩で息をしていた。不安と緊張で疲れたらしい。
「とんでもない街じゃ」
そして一言感想を述べた。
二人は駅を出て目的地を確認する。
「ここから5分もかからないな」
「そうか。それは良かった。もう人混みはこりごりじゃ」
「地下道を使って行くのが早いみたいだよ」
二人は地下道を歩き、ほどなくして地上に出る。そこには巨大なビルがそびえていた。特徴的な円錐形の形。そして『YOTUBA INDUSTRY』の文字。
「よし、本丸じゃな。いよいよじゃ。ボコボコにしてくれるわ」
伏羽は悪意に満ちた笑顔を浮かべ拳を鳴らした。
「申し訳ありません。事前のアポイントメントのないお客様はお通しできないようになっております」
「何?」
ビルに入ってすぐの正面受付。会話を始めてすぐに言われた言葉がそれだった。伏羽が言った言葉は一言。
『東藤という秘書を出せ。西国の妖怪の総大将、伏羽童子が来たと伝えるのじゃ』
だった。その一言で美人の受付から表情は消えた。
「な、何故じゃ。電話だけでもせんのか」
「申し訳ありません」
美人の受付は深々と頭を下げた。本当に深々としたもので相手にはその先何かを言う気力が削がれるものだった。
「な、なんとかならんのか」
「申し訳ございません」
「こ、このままではこの会社はおろか貴様らの国が揺るぎかねんのじゃぞ」
「申し訳ございません」
「せめてわしの話くらい聞かんのか」
「申し訳ございません」
もはや、受付嬢は申し訳ございませんと言って頭を下げるマシンと化していた。伏羽は「ぐぬぬぬ」と歯を食いしばる。にっちもさっちもいかないとはこのことだ。まぁ、当たり前の話なのだが。
「仕方ないよ。今日は帰ろう」
「な、なに? 貴様まで何を言い出す。このままではまずいのはむしろ貴様ら人間の方なんじゃぞ」
「いいからいいから。仕方ないよ」
「ええい、話せ! そして娘! 貴様もわしの話を聞け! なんなんじゃどいつもこいつも!」
伏羽は掴んだ公太の腕を振り払いながら喚く。一階のロビーの人々が何事かと受付に注目していた。公太はいたたまれなかったが自分で付いていくと決めていたことだ。きっとこうなるであろうことは分かっていた。仕方ないのだ。見れば受付嬢も困った表情だった。公太はパチリと一つウィンクを送った。それで受付嬢は察したらしい。困った表情から同情的な表情へと変化した。
「お客様。今日はお帰りください。私どもに出来ることは残念ながらないのです。申し訳ありません」
「な・・・・。い、いや。ならせめて伝えてくれ。『伏羽童子が来た』と。それだけでよい。それだけでよいから伝えるのじゃ」
「・・・・・・・・かしこまりました。確かにお約束いたします」
「な、なんじゃ。貴様も急に態度が柔らかくなったな。なんなんじゃ貴様らは」
「お約束いたしますお客様。ですのでどうか今日のところはお引取り下さい。そしてゆっくりお休み下さい」
「なんじゃ。なんなんじゃもう。仕方ない。今日は帰るわ。明日また来る。その時は頼んだぞ」
「・・・・・・かしこまりました」
受付嬢は何か覚悟を決めた表情になった。公太は申し訳なく思った。
そうして公太はなんとか伏羽を四葉重工本社ビルから連れ出すことが出来た。見れば空が赤く色づき始めていた。もう日が暮れる。
「いやぁ。上手くいかんな。人間の世の中は面倒ばかりじゃ。コーヒーから電車から人に会うのから」
「まぁねぇ。地方よりはずっと面倒だろうなぁ」
「いやぁ。明日来たら会えるかのう」
「ああ、きっと会えるよ」
公太はにっこり微笑んだ。
「そうかぁ? わしは中々難しいように感じたが。そもそもアポというやつか。事前に連絡しろと言われても連絡先も分からんままどうやってしろというんじゃ。ノコノコ向こうが出てくるとも思えんし」
伏羽はむぅ、と眉をひそめた。
「大丈夫。上手くいくよ」
「なんか貴様調子のいいことばっかり言うの。というかその嘘くさい笑顔はなんなんじゃ。なんかコーヒー屋からずっとその笑顔を貼り付けておらんか」
「そ、そんなことないって。大丈夫大丈夫」
「本当に妙な奴じゃ。まぁよい。今日のところは引き上げるとするか。さすがに疲れた。貴様は知らんだろうがあのコーヒー屋に着くまでも紆余曲折あったんじゃ。大変じゃった」
「そうそう。今日は帰ってゆっくり休もう。っていうか君ちゃんとホテル取ってるの」
「いや、ホテルは取っておらん。しかし、問題はない。そのへんのビルの屋上で野宿でもするわ」
「え、いやいやいやいや。まずいよそれは。警察呼ばれるって」
「警察? そんなことで来るのか?」
「いやいや不法侵入だって。普通に捕まるよ」
「なに? 弱ったの。なら仕方ないそのへんのベンチででも寝るとするかの」
伏羽はすぐそこに目についたベンチを見る。
「いや、ホテル取るって発想はないの」
「うーむ。取り方がなぁ。よう分からん」
「それは俺が電話するよ。お金は?」
「あと4千円じゃなぁ。もうそろそろ余裕がないな」
「よ、4千円か・・・・・・」
4千円では泊まれるホテルなどそうそうない。この都心では特に。困ったあげく公太は仕方ないと言ってみた。
「じゃあ、うちに来ない? 部屋が一つ余ってるから寝るくらいなら出来るけど」
「何? いや、だが迷惑をかけるのは躊躇われるな。どこかそのへんで寝るのでわしは構わんぞ」
「いや、危ないから。何かあってからじゃ遅いんだよ。いいから家に来なよ」
「そうか? すまんな。なら、ありがたくお言葉に甘えるとしようかの」
「よしきた」
この女を一人にすると何が起こるか分かったものではない。公太はそう判断した。何か起きてからでは周りに迷惑もかかるし何より本人のためにならない。まだ、誰かに保護してもらう段階には早いようにも思われた。なら、今夜は目の届く所に泊まってもらって、明日家の連絡先を聞いて電話して帰ってもらう。それが公太が思いつくところの最善策であるように思われた。
「とりあえず帰るか」
「ああ、おぬしの家はどこなのじゃ」
「あのコーヒー屋のすぐそこだよ」
「なるほど。ならまた1時間か」
「そうだね」
公太はふと今の時間帯がなにに当たる時間かを理解しげんなりした。まぁ、それはともかくとして公太はとりあえず話題を振る。
「で、あのビルにその妖怪は居そうなの。本当にあの写真の人が妖怪?」
「ふむ、あの女が目当ての妖怪であることは間違いない。いや、ネットワークの情報を抜きにしてもあのビルに目当ての妖怪が居ることは間違いない」
伏羽はヌラリとビルを見上げる。茜色の空に照らされた四葉重工本社がそびえている。
「こんなに濃い妖気は久々じゃ。やはりやつはよほどの上玉のようじゃな」
伏羽はクツクツと笑った。公太は少し不気味に思う。今の笑い方は本当に妖怪のようだと思ったからだ。
そして二人は四葉重工のビルを後にした。二人は駅に戻り。帰宅ラッシュで正真正銘のすし詰めになった電車に乗る羽目になった。公太は苦痛をこらえ、伏羽は阿鼻叫喚の有様で家に向かったのだった。
二人がビルを出たあと、受付嬢はほっと胸を撫で下ろしていた。
「大変だったわね。あんな変な子見たことなかった」
「私も。居るのねあんな子」
ふう、と応対した受付嬢は息を吐き出す。
「明日も来るって言ってたわね。困ったわね。あの状況じゃ『止めて下さい』とも言えないし」
「そうね。変になっちゃった子みたいだったし。付添の男の子もそんな風だったし。いつまでも続くとも思えないけど」
「そうね。何日間の辛抱かな。いや、そう信じたい」
と応対した受付嬢は電話を手にとった。
「ちょっと。まさか東藤さんに電話するの」
『東藤さん』と受付に呼ばれるあたり、東藤秘書が色々な人に親しまれているであろうことが伺われた。
「一応約束しちゃったし。もしかしたら本当に知り合いかもしれないし」
「えー。そんなことないと思うけど。本当に真面目ねあんた。呆れるわ」
「仕方ないのよ。約束しちゃったし」
そう言って受付嬢は電話をかけた。しばらくの呼び出し音のあと電話は取られた。
『はい、東藤です』
綺麗な女の声だった。
「お疲れ様です。こちら受付カウンターです。あの、東藤さんに先程お客様らしき方がお見えになったもので一応連絡をと思いまして」
『お客様ですか? そんな予定はなかったはずですが』
「ええ、はい。アポなしで来られまして。なのでお引取り頂いたのですが。すみません少し様子のおかしなお嬢さんでして。多分関係はないと思ったんですが、本当に一応連絡させていただいたんです」
『そうでしたか。それはまたご苦労さまです』
「お客様は『フワ』様と名乗られていました。『フワ』が来たと伝えろ、と。短髪で高校生くらいのお嬢様でしたね。お知り合いだったでしょうか」
受付嬢は一応伝えたが、東藤からまともな答えが帰ってくるとは思っていなかった。そもそも『フワ』という名と外見だけだ。おかしなこともいくつも口走っていたし、態度も妙だった。東藤のようなキャリアウーマンの知り合いとは思えないというのが受付嬢の印象だった。
『ええ、知っています』
しかし、帰ってきた答えは単純なイエスだった。
「え、お・・お知り合いでしたか。す、すいません変なこと言ってしまって」
『いえ、正確には顔見知りではありませんよ。こちらが一方的に名前を知っているだけです。そうですか、お見えになりましたか』
「あ、あの。明日また来るとおっしゃったのですが。お通しした方がよろしいでしょうか」
『ええ、是非そうして下さい。お見えになったら私に電話を下されば』
「分かりました。では、そのように致します。失礼しました」
『はい、お疲れ様です。ありがとうございました』
受付嬢は受話器を置いた。そしてまた、今度は大きく息を吐き出した。
「なに? あの子東藤さんの知り合いだったの?」
「知り合いってわけではないらしいんだけど、顔は知ってて明日会うって」
「へぇ~。変な話もあったもんね。あんな、いやあんなって言ったら失礼なんけど、あの
女の子と東藤さんに繋がりがあるなんて」
「ほんとにね。びっくりした。様子がおかしい、とか言っちゃったから私。しまったな・・・・」
「大丈夫よ。東藤さんならそんなこと気にしないって。この前だって、たかが受付嬢のわたしたちに美味しいチョコくれたじゃない。いい人だってあの人は」
「そう? そうよねぇ」
「東藤さんも大変よ。あんな汚職事件に関係ないのに巻き込まれて。訳解んない理由で記者に追いかけ回されて」
もう一人の受付嬢は同情のため息を吐く。東藤はこの前の汚職事件以来、色々な理由で記者に追いかけ回されていたのだ。それで社内の人々から同情を買っていた。
「秘書っていうのも楽じゃないわね」
「ほんとに受付嬢で良かったわ。それでそのうち良い男見つけて結婚して、そしたら私の人生ハッピーなんだけどなー」
「ふふ、そうなると良いわね」
「いや、あんたこそ今度の合コン忘れてないでしょうね。頭数に入ってるんだからね」
「ええ、結局私も行くの?」
二人はとりとめのない会話に終始した。もうそろそろ終業時間。多くの人間は残業に残るが来訪者はぐんと減る。二人の気も和らいでいるところだった。そうして、一日は終わろうとしていた。
ガチャリと東藤は受話器を置いた。ここは役員の部屋の横、秘書室だった。受話器を置くと東藤は窓の外を見た。
「そう、来たのね」
東藤は言った。丁寧にまとめられた黒髪を軽く撫で付ける。
「なら、丁重におもてなしなくちゃならないでしょうねぇ」
そう言った東藤の声は女のものではなく。かすれた男のものだった。
東藤は窓の外を見ていた。そこには二人の少年少女の姿。少女はビルを見上げていた。その瞳ははっきりと、この部屋の東藤に向けられていた。
東藤はクツクツと人間らしからぬ笑いを漏らした。
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