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第4話
時刻はすっかり深夜だった。街はすっかり眠りにつき、公太も母もそれぞれ自分の部屋で休んでいた。そして伏羽、伏羽童子も与えられた部屋で眠りについていた。が、突如おもむろに目を開いた。
「やれやれ、あの受付の娘はしっかり約束を守ったようじゃの」
伏羽童子は跳ね起き、風のように軽やかに、しかし、何一つ音もなくベランダへと向かった。が、ベランダには出られなかった。窓に張り付いているものがあったからだ。
「貴様ら狐の差し金で間違いないの」
「ははぁ。本当に鬼だ。こんなところに、人間の家に」
「お前は食って良いって言われてるぜ」
そこに張り付いていたのは怪物だった。数にして3体。胴まで犬の不定形のもの。頭が牛で金棒を持った巨大な怪物。それから提灯の怪物。
「貴様ら程度に食われるわしではないわ。悪いことは言わんから去ね」
「なんだなんだ。態度のでかいヤツだな」
「心配すんな。見たところ大した妖気もない。雑魚だ」
「さっさと食っちまおう」
そう言って怪物たちはミシミシと窓ガラスに力をかける。
「やめんか貴様ら。この家には世話になった人間がおるんじゃ」
そう言って伏羽童子はくいっと右手の指を動かした。
「ぎゃ」
「なんだこりゃあ」
「熱い」
3体の体から火が燃え上がった。
「やれやれ。仕方ないか」
伏羽童子はそう言うとベランダに勢いよく飛び出し、3体を蹴りつけてベランダから弾き出し、さらに上に思い切り蹴り上げた。
「屋上が良かろうな」
その3体を追って伏羽童子も壁を蹴り屋上へと飛んだ。一瞬だ。打ち上がった3体に余裕で追いつき、伏羽同時はそのまま3体を屋上に向かってまた蹴った。しかし、伏羽童子には捕まるものがなかった。そのままでは落下だ。
「よっと」
と、伏羽童子は自分の後方に腕を振るう。すると爆発が発生した。その爆風に乗り、伏羽童子は難なく屋上に降り立った。
屋上には当然人は居なかった。それどころかなにもない。普段から滅多に人が踏み入ることのない場所だということが分かる。冷たい風が吹き荒んでいた。
「なんだお前。妖術? ただの雑魚妖怪じゃないのか」
「何にせよ3人居るのだ。一遍で襲えば苦もなかろう」
3体は伏羽童子の正体が掴めないでいた。
「今の大分すごいことやったんじゃがのう。まだ、力量の差が分からんか」
「はったりだ。3人で畳んじまおう」
そう言って3体は伏羽童子に襲いかかった。犬の化物。犬神は素早い動きで、提灯のお化けは口から火を漏らしながら、牛の化物、牛鬼は巨大な金棒を振りかざす。
「仕方ない。ほどほどで遊んでやろう」
伏羽童子はタン、と一歩踏み込んだ。
「ん?」
「あれ?」
牛鬼と提灯お化けは目を見張った。伏羽童子が目の前から消えたのだ。
「ぎいいいい」
と、叫び声が後方から聞こえた。見れば屋上の端、そこで伏羽童子が犬神の頭を掴んで立っていた。
「見えんかったろう。見えなかろうのう。貴様らでは」
伏羽童子はクツクツと不敵な笑みを浮かべる。
「な、なんだ。何が起こった」
「瞬間移動でもしたのか。また妖術の類か」
「違うわ馬鹿者。ただ単に一歩歩いただけじゃわい」
牛鬼と提灯お化けは喉を鳴らして固まった。今の一瞬何が起こったのか2体にはさっぱりだったからだ。対する伏羽童子に握られた犬神はパニックだ。
「ぎいいいい! むぎいいいいい!」
「ええい、やかましいわ。貴様はしばらく凍っておれ」
そう伏羽童子が言うと犬神はパキパキと音を立てて動きを止めた。全身が凍りついたのだ。そのまま伏羽童子は犬神を地面に放おった。ゴトンと音を立てて犬神は落下した。動く気配はない。
「な、なんだ。何者だお前」
「こんなに強いなんて聞いてないぞ」
「なんじゃ、貴様ら狐に何も聞かされておらんのか。わしは伏羽童子。千状ヶ岳で鬼の頭目をやっておるものよ」
伏羽童子はクツクツ笑った。
「伏羽童子? 伏羽童子だと!」
「なんだって? そんな馬鹿な。この国でも指折りの頭目じゃないか。なんだってそんな大物が! ふざけやがって! 天足(あまた)の野郎図りやがったな!」
「いや、待て待て。あいつの言葉に踊らされるな。やつの妖気はどう考えてもそれほどのもではない。三下も良いところよ。伏羽童子などとはったりに決まっておる」
「阿呆め、妖気が感じられんのはわしが自ら抑えておるからじゃ。そのまま漏らせばいかに人間の街といえどどういう影響があるか分からんからな。どれ、本当の妖気を見せてやろうかの」
と、伏羽童子がそういうと周囲の空気が一変した。今まで晴れ渡っていた夜空には黒雲が立ち込めた。生ぬるいのに背筋を凍らせる風が吹き始めた。闇という闇に何かが潜んでいるようなそんな空気だ。どこからか何かが泣いているような何かが笑っているような声が聞こえる気がした。人間ならそれだけで恐怖で足がすくむような雰囲気。それが伏羽童子が本当の妖気を放ったために生まれたものだった。
そして妖怪の牛鬼と提灯お化けには人間以上にその妖気の恐ろしさが実感できた。
「あ・・・・ああ」
「ひ・・・・ひぃい」
2体は足を震わせ、涙すら浮かべていた。2体には今の伏羽童子から妖気がもろに当たっている。それは全身に寒気を走らせ、精神を削り取る恐ろしいものだった。2体は息さえ出来なかった。
「はい、お終い」
伏羽童子がそう言うとそれまであった空気が一瞬で消滅した。得体の知れない不気味さは消え、空を覆っていた黒雲も消失し、元通りに月が姿を見せた。
2体はようやく重圧から開放され息をした。
「はぁ・・・はぁ・・・・」
「ダメだ・・・・本物だ! 本物の伏羽童子だ! 天足の野郎等々目を付けられやがった! だから大狸は殺すなって言ったんだ! あの馬鹿野郎!」
「ちくしょう! クソが! こんなもの勝てるわけがない! 天足の野郎! 俺たちを騙しやがった!」
2体はそれぞれ喚き散らしていた。
「災難じゃったのう。しかし、妙じゃな。貴様ら明らかに古典的な妖魔じゃ。なんでそんな連中がこの現代の大都会を闊歩しておる」
「はっ! 言うもんかよ。言ったら天足に殺される」
「そうかそうか。分かったわ。で、続けるかの? 力量の差ははっきりしたように思うがわしは妖怪同士で争うのは好かんのでな。逃げるなら見逃してやるぞ」
「く、くそう」
「ダメだ、逃げよう! 勝てない」
「ちくしょう。分かった、とっとと逃げよう!」
そう言って牛鬼と提灯お化けは一目散に体を翻し、逃走を図る。しかし、その時牛鬼の目に映ったのは空に浮かぶ月に何かの影が横切る所だった。
「あ、ああ! ダメだ天足の野郎が見ている」
「なに?」
「何かが空を飛んでる。野郎俺たちを見張ってやがる!」
「ちきしょう! 帰っても無駄だってことか!」
2体はすぐさま足を止めた。2体は板挟みの状況に陥っているようだった。前門の虎肛門の狼状態だ。伏羽童子は一つため息を付いた。
「なんじゃ、やるのか?」
「ちきしょうくそったれ! このまま帰ったら死ぬよりひどい目に遭うだけだ!」
「そうだ! なんとしてもてめぇを殺さなくちゃならねぇ!」
「貴様らも従う相手を間違えたな。同情するぞ」
「ちきしょう! うるせぇ!」
2体は伏羽童子に襲いかかる。しかし、明らかにその表情は恐怖に染まっている。明らかなやけくそだ。戦う気もあったものではなかった。提灯お化けはデタラメに火を吹き散らかし、牛鬼は闇雲に金棒を振るってくる。
「ううむ、気分が乗らんのう」
伏羽童子は仕方ないといった調子でそれに応じた。牛鬼の金棒、闇雲とはいえ怪力で巨大な牛鬼が振るった金棒だ。それを、伏羽童子は片手で安安と受け止めた。衝撃で地面が陥没したが伏羽童子にダメージは見られない。
そこへすかさず提灯お化けが炎を吹き付けた。しかし、伏羽童子がついと指を振るとそれは一瞬で沈下した。
「なに!」
そのまま提灯お化けの舌先が凍りつく。
「むぐ!」
提灯お化けは危険を察知し、距離を離した。
「ちきしょう!」
牛鬼はそのまま滅茶苦茶に金棒を振り回す。何度も何度も伏羽童子めがけて渾身の力で金棒を振り下ろした。しかし、それら全てを伏羽童子は片手で受け止め、いなした。何一つダメージを負わせることは出来ない。
「くそったれ!」
牛鬼はそのまま、横薙ぎに大きく金棒を振るった。
「ふむ」
伏羽童子はそれにタイミングを合わせ蹴りを見舞った。牛鬼の怪力と伏羽童子の怪力、2つがぶつかりへし折れたのは牛鬼の金棒だった。折れた先は何度もバウンドし、給水塔にぶつかって止まった。
「く、くそ!」
牛鬼は武器を失った。それ以前にやはり力の差は圧倒的だった。攻撃側の牛鬼は息も絶え絶えの状態でいるのに受けていただけの伏羽童子は表情一つ変わっていない。実力が違いすぎた。
「うーむ」
伏羽童子が声を上げる。
「貴様かなりの剛力じゃな。これほどの力のものはわしの配下にもそうおらん。なるほど、貴様ら下界のものではないな」
「っ!」
「暁部のやつが何故狐風情に殺されたのか合点がいかなんだ。狐は確かに強大な妖魔じゃが暁部を殺せるほどではない。じゃが、なるほどそういうことか。で、あるならわしもまずいやもしれんな」
牛鬼は距離を取る。しかし、取ったからといってどうなるものでもない。奥歯を噛み締め唸るしか無い。
「おい、どうすんだ」
提灯お化けが呼びかける。しかし、牛鬼は答えない。もはや、打つ手なしだ。提灯お化けと自分では眼の前の怪物に手も足も出ないことははっきりと分かってしまった。
「ちくしょう」
しかし、このまま帰れば狐にどのような目に遭わされるか分かったものではない。
「ちくしょう」
牛鬼の頭は破裂寸前だ。にっちもさっちもいかなくなっている。
「ああああああ! ちくしょう! 天足! 見てるんだろうが! もう、こいつがどうしようもない化物だってことは十分分かっただろ! 俺たちを帰せ!」
牛鬼が選んだのは雇い主への命乞いだった。牛鬼の声は虚空に響き渡り、そして消えた。当然空に雇い主の姿はない。しかし、答える声が響き渡った。かすれた男の声だった。
『ダメ、ダメね。全然ダメ。まだ、そいつの本気の1割も引き出せてない。だから、もう一手打ちましょう』
「あ?」
ぴゅうううううう、と何かが落下する音が響いた。それは牛鬼の真上からだった。
「な! おい、ふざけ――――」
牛鬼の叫びは落下してきたものにかき消された。が、死んではいなかった。
「あ?」
「ぼーっとするでない」
伏羽が潰される寸前に牛鬼を掴んで助けていた。
伏羽は落下してきたものを見上げる。それはがちゃがちゃというやかましい音と砂埃を巻き起こした。そして、その舞う砂埃を上回る巨体が現れた。
「がしゃどくろか」
それは巨大な骸骨だった。骸骨は四つん這いで伏羽童子を睨んでいた。骸骨は咆哮した。それは甲高い不気味なおよそ生物のものではない咆哮だった。
「無念の死を遂げた亡霊の成れの果てか。これは厄介じゃな」
がしゃどくろが現れた途端、あたりの空気が冷えた。相当な妖気、邪気。伏羽童子ほどではないががしゃどくろも放っておくと良くない影響を撒き散らす。
と、がしゃどくろはずい、巨大な手を動かた。
「む」
伏羽童子は身構えるがその手が伸びたのは提灯お化けの方だった。
「ちきしょー! 厄介なのは全部始末すんのか天足のクソ野郎!」
提灯お化けはそのままがしゃどくろに噛み砕かれ消えた。がしゃどくろはそのまま、凍りついた犬神の方にも伽藍洞の目を向ける。
「相手はわしじゃ!」
伏羽童子はそう言って思い切りがしゃどくろを蹴りつける。がしゃどくろの上体が浮かび上がって仰向けに倒れた。肋骨が何本か砕けている。
「うむ?」
と、伏羽童子は足の違和感に気づいた。何やら重い。いや、思えばがしゃどくろが現れてから少し体が重かった。
「怨念の類か。生者が恨めしくてならんのじゃな貴様は。まずいの、このままではこのマンションに何をするか分からん」
がしゃどくろは起き上がり。右上でを思い切り振るってきた。凄まじい勢いだ。
「ちっ」
伏羽童子はそれを両手で受け止める。全身を使いなるべく衝撃を和らげる。適当に受け流したら下の部屋まで陥没してしまうからだ。掴んだ両手が重くなる。
「長引かせれば何が起こるか分からんな。とっとと終わらすぞ」
伏羽童子は掴んだ片腕にさらに力を込める。
「えぇい!」
そしてそのままその巨体を投げ飛ばした。がしゃどくろは宙を舞い屋上から飛んでいく。
「すまんな、わしでは貴様の無念を晴らすことは出来ん。許せ」
伏羽童子は右腕をかざす。するとがしゃどくろの全身が赤く発光する。温度が急激に上昇しているのだ。がしゃどくろはそのまま燃え上がった。叫び声を上げるがしゃどくろはどんどん炎上する。いや、火の勢いはさらに増している。もはや燃えているとは言えなかった。がしゃどくろは高温にさらされ蒸発していった。そして跡形もなく消滅した。
「やれやれじゃ」
伏羽童子はパシパシと体に付いたほこりを払った。辺りを見回す。
提灯お化けは食われた。残ったのは犬神ち牛鬼。犬神は相変わらず凍りついて動かない。伏羽童子は近づいていく。牛鬼も後ろに続いた。伏羽指を振る。途端、犬神の凍結が解けた。
「ぶはぁ!? なんだ、何が起きた!」
「大丈夫か」
犬神は訳が分からんとばかりに辺りを見回す。
「お前さんが冬眠しとる間に事は終わったぞ。お前らは狐のやつめに捨て駒にされたんじゃ。提灯のやつは殺されてしもうた」
「な、なんだと!」
「まだ、やる気はあるか?」
「ね、ねぇよ。お前が強いってことももう分かった。俺は逃げる」
「お、俺もだ。もう付き合ってられねぇ」
牛鬼も合わせて答えた。
「どこへじゃ」
「え、ええと。天足のところに戻ったら多分殺されるな」
「じゃろうな」
伏羽童子はふむ、と顎に手を当てた。
「町外れの山間の廃寺にわしの仲間がおる。もし、行く当てがないならそこへ行ってわしの名を出せ。面倒ぐらいは見てくれるじゃろう」
「ほ、本当か! ウソじゃねぇだろうな」
「そんなくだらんウソはつかんわい」
「お、恩に切るぜ」
牛鬼と犬神は一目散に飛び去っていった。伏羽童子はその後姿と上空に目を見張った。狐が何かをしてこないか見張った。が、何もしてこなかった。伏羽童子に何かされるのを恐れたか、もしくは目的は達成したのでもう興味はないのか。何にしても今日はこれで終わりのようだ。
伏羽童子は屋上の通用口に目を向け、下の階に耳を立ててみる。しかし、通用口に人の気配はなし。下の階も深夜らしい静かなものだ。
「狐めが結界でも張っておったか。わしでも気づけんとは腕が良いと見える」
伏羽童子はようやくそこで一息ついた。
「ううむ。思っている以上に手強いのこれは。明日が大一番じゃな」
そう言うと伏羽童子はぴょんと屋上から飛び降り公太の部屋へ降りていった。屋上にはいくつかの陥没跡、破損した給水塔が残っていた。明日には大騒ぎになるだろうと思われた。
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