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第5話
「醤油取ってくれ」
「うむ」
伏羽は脇にあった醤油を取り、公太に渡した。公太は醤油を卵にかけた。
「貴様醤油派か」
「伏羽は何派なんだ」
「わしは醤油マヨネーズ派じゃな」
「邪教じゃないか」
「なんじゃと。あれが一番美味いんじゃ」
二人は朝食を取っていた。ご飯に味噌汁にちょっとしたサラダとハムエッグ。そして、焼きナスビ。二人はもぐもぐとご飯を食べていく。
「ナスビは一人何個だったかな」
「2つじゃな。わしはもう食ったぞ」
「俺ももう食った」
ナスビは一つだけ残っていた。
「じゃんけん」
「パー」「グー」
伏羽の負けだった。公太は残ったナスビを美味しそうに頬張った。
「いやぁ、良い味付けだな本当に」
「ぐぬぬぬぬ」
二人は朝食を終えた。公太は学校には行かないのでこれといってすることもない。午前中は静かだ。ただ、伏羽は行かなくてはならなかった。
「さて。で、本当に帰るんだよなお前」
「んん? ああ、そういう話か」
公太は昨日の伏羽の祖父との会話を思い出す。祖父は自分に『伏羽は帰るように伝える』と言っていたから伏羽にも当然伝わっているだろうと思ったのだ。
「うむ、帰るわ。どうにも相手が悪いようでな。一旦帰って作戦の練り直しじゃわい」
「なるほど」
ものは言いようだなと公太は思った。
「じゃから、わし一人で十分じゃ。おぬしは付いてこんでよいぞ。世話になった」
「え。そ、そうか」
随分あっさりしたものだと公太は思った。変になっている人間の行動パターンとはこういうものなのだろうかと。公太は少し残念だった。
伏羽は時計を確認した。
「うむ、もうそろそろ出るとしようかの」
伏羽は立ち上がる。
「駅までは送るよ」
「む? いや、気遣いは無用じゃぞ。わし一人で大丈夫じゃ」
「いやいや、心配だから」
「大丈夫じゃ」
「そもそも駅の場所覚えてるのか」
「・・・・・・・大体は」
「ダメだな。やっぱり付いてくよ」
公太は出かけるために寝間着から着替えに部屋へ向かった。
「ううむ。駅では別れねばの」
伏羽は己の無力さを実感しながら呟いた。と、茶碗洗いをしていた母が伏羽に振り向いた。
「あら、もう行くの」
「うむ。もう、出ようと思う。いや、母君には本当に世話になった」
「良いのよ。伏羽ちゃんいい子だし」
「そ、そうか?」
「公太があんなに元気なところ久しぶりに見たから。ちょっと嬉しかったの。ありがとうね」
母は微笑んだ。
「なんじゃ。あやつ、いつもはあんな調子ではないのか」
「まぁ、大体あんな風に無気力だけど。あの子学校行かなくなってからなんか元気なくなっちゃってね。まぁ、当たり前なんだけど。でも、伏羽ちゃんと帰ってきたときはどこか芯が入ってたっていうか。久々にああ、元気だなって思ったのよ」
「ふーん。そういえば母君はあやつに学校に行くようには言わんのだな」
「うん、人に相談したら言わない方が良いって言われたから。あの子が自分で行くって言うまでは言わないの。まぁ、その代わりに家事とかの手伝いはどんどん押し付けるんだけどね」
母はどこか不安の混じったような笑顔だった。元気の良い人間でも、我が子が不登校であるということに何も思わないはずはなかったのだ。しかし、それでも母は自分の子のためになることを自分なりに考えて、分からないことは他人に相談して、頑張っているようだった。
「そうか、母君は頑張っておられるのだなぁ」
「え、そうかしら」
「わしには子がおらんから残念ながら良く分からんが。まぁ、そんな風に子のために頑張れるのは良い母君だとわしは思う」
「そう、どうもありがとう。やっぱり伏羽ちゃんはいい子ね」
母は笑っていた。
「あ、そうだ。これ持っていって」
母はそう言ってアルミホイルの包を取り出した。
「おにぎりだから。お昼に食べてちょうだい」
「あい、分かった。確かに頂こう」
そう言って伏羽は包みを受け取った。
「おい、行くぞ」
と、そうこうしている内に公太が着替えて部屋から出てきた。伏羽も付いて玄関に向かった。
「伏羽ちゃん元気でねー」
「うむ、母君も元気でな」
二人はそれぞれ手を振った。そして伏羽と公太は家を出た。
公太は自転車の二人乗りで伏羽を駅まで送り届けることにした。自転車なら駅まで10分ちょいである。平日午前中の街はこれといった障害もなく二人はスムーズに駅に向かっていった。
「そういや、昨日屋上で何か事件があったっぽいな。母さんが朝話してた。いたるところが陥没して、給水塔に鉄の棒が突き刺さってたらしい。妙なこともあったもんだよな。隕石かなんかかな」
「ふむ、隠しても仕方なかろうな。それはわしの仕業じゃ。昨日、狐めの妖魔に襲われての。屋上で戦ったのじゃ」
「なるほど」
公太は始まったぞ、と思った。
「雑魚妖怪であったがの。狐めの策略に嵌められた哀れな連中であったわ。まぁ、わしの手にかかれば一捻りであったがのぉ」
「やっぱり強いのかお前は」
「そらそうじゃ。大狸の死んだ今、少なくとも西国一であると自負しておる」
「へぇえ。そりゃすごい。妖怪の頭目とか言ってたよな。じゃあ、手下の面倒とか見てるのか」
「もちろんじゃ。まぁ、抜けた連中ばっかりじゃがな。それなりに楽しくやっておるわ。あやつらのためにも妖怪の世を取り戻さねばならんのよ」
「そうか、リーダーってのも大変なんだな」
「うむ」
伏羽は一言だけ答えた。公太はその返答に微妙な伏羽の変化を感じた。
「なんかあんまり元気ないみたいだな」
「そうか?」
「昨日はこっちが聞かなくてもベラベラ好きなこと話してたから」
「なんじゃそれは。わしがやかましい奴みたいではないか」
実際そうだったが公太は言わないでおいた。
「そうじゃのう、昨日の戦いですこしおセンチになっておるかもしれんのう」
伏羽は少し声のトーンが落ちた。
「貴様には話すとするか。聞いてくれるかの」
「ああ、良いよ」
「昨日襲ってきた妖怪は4人じゃった。しかし、その内2人は死んでしもうたんじゃ。狐の策略で1人、わしの手で殺したのが1人。わしはそれが嫌じゃった」
「ふーん」
「わしは妖怪同士で争うのが嫌いじゃ。殺し合うのはもっと嫌いじゃ。同族同士なのじゃから仲良くしたいんじゃな。なので良い気分ではなかった」
「なるほど」
設定とは言え公太はしんみりした気分になった。公太からすれば妖怪なんていうのは退治するのが当たり前みたいなイメージだった。しかし、確かに妖怪にも命があるというなら、やはり死ぬのは嫌だろう。そして仲間同士で殺し合うのは人間と同じで嫌だろう。
「じゃあ、その狐っていうのと戦うのはどうなんだ。お前は退治するんだろう」
「やつは仕方ない。大狸めを殺したし、やつがおると人間の世、妖怪の世双方が乱れる。やつは殺すしか無いんじゃ」
伏羽童子ははっきりと口にした。
「そう、やるしかないんじゃよ」
伏羽童子は重ねるようにして付け加えた。
「ふーん」
公太にはそう言った伏羽童子がどこか寂しそうに見えた。
「じゃあ、もし。そいつを殺さずに済むんだったらそうするのか?」
「うむ? いや、やつは強大な妖怪じゃ。戦うとなると殺す以外に終わらす手段はないじゃろう。でなければこちらが殺られる」
「だから、もしもの話だよ。もし、そいつがお前に降参して、もう悪いことはしません許してくださいって言ったらどうするんだよ」
「そうじゃなぁ。じゃが、やはりやつは大狸の敵じゃ。殺さねばなるまいよ」
「そうか、そんなもんか」
公太は少し寂しかった。そして、この会話も全部嘘っぱちであるということが残念だった。もし、全部本当で、伏羽が妖怪で、こんな風に話を聞くことにも本当に意味があったらと思った。そしたら、それはきっと楽しいことなのにと。
と、そうこうしている内に駅が見えてきた。
「よし、到着。で、本当にお前帰るんだよな」
「もちろんじゃ。今のわしではやつと戦うのは分が悪い。一旦帰って作戦会議じゃ」
「最後までブレないなお前は」
「なんじゃそりゃ」
「いや、何でもない」
公太は駐輪場に自転車を停め、伏羽を下ろした。
「京都だったか」
「む? ああ、千状ヶ岳は京の北じゃ」
公太は昨日千状ヶ岳の場所について調べていた。そこは鬼の住まう山として有名らしく練ってある設定だ、と公太は思ったのだった。
「じゃあ、切符はあっちだな」
「むむ、大丈夫じゃ。切符は一人で買える。じゃから貴様はもう帰れば良いぞ」
「え? 本当に大丈夫なのかよ」
「大丈夫じゃ大丈夫じゃ。困ったら駅員に聞く故。貴様はもう良いぞ。本当に世話になったわ。この恩は忘れんぞ」
「あ、ああ。こっちこそ。なんか楽しかったよ」
どうやらこれでお別れのようだ。公太は残念だった。眼の前の女は頭のおかしい電波女であるというのに。結局この女と過ごしたのは一日だけであるというのに。それでも、少し愉快な一日だったからだ。そして公太はなんだかんだこの女は良いやつだと思ったのだ。
「ではのお」
伏羽はヒラリと手を振り行ってしまう。
「おい」
公太は思わず呼び止めた。
「これから先も大変だと思うけどしっかりやれよ。おじいさんにあんまり心配かけたらダメだぞ」
「ふ、あい分かった。貴様こそあまり母君に心配をかけてはならんぞ。だが、焦るなよ。貴様ならなんとかなろう。貴様も母君と同じで良いやつじゃ」
「な」
そう言って伏羽はテクテクと歩いて駅に入っていってしまった。その言葉は公太にとってとてもとても、いつからか待っていた言葉だった。
「何を根拠に言ってんだあの女」
公太は一人ごちた。だが、あんまり力の入っていない悪態だった。
ふと、公太は伏羽を追いかけたくなった。あと少しだけ何か言いたいような、言葉を交わしたいような気がしたのだ。急いで駅に入っていく。伏羽はきっと今は駅員に切符の買い方でも聞いている頃だろうと思われた。伏羽はすぐに見つかった。やはり、駅員に質問している所だった。
「四葉重工の本社ビルに行きたいんじゃが。どの切符を買えばいいんじゃ?」
伏羽はそう言っていた。公太はやっぱりこうなるのか、と思った。
―ガタンゴトン、ガタンゴトン
電車は揺れる。公太は伏羽から一両隣に乗っていた。やはり、伏羽は四葉重工に向かった。なんだか綺麗な別れ方になりそうであったのに結局こうなるのかよ、と公太は呆れた。
「本当にブレないな」
伏羽は座席に座って窓の外を見ている。昨日と同じような表情。しかし、どことなく決意めいたものもその目には写っている。
(また、殴り込む気なのか。全然おじいさんの言いつけ守ってないじゃないか。これは弱ったぞ。下手したら本当にあの東藤とか言う秘書と会うまであいつ帰らないんじゃないのか)
公太は一人頭を抱えた。乗りかかった船という言葉もある。今日は昨日と同じで止めようと思う。しかし、もしこれから毎日だったらどうなるだろう。公太は毎日こうやって伏羽を止めなくてはならないかもしれない。それは困った。本当に困ることだと公太は思った。
(いざとなったらあのおじいさんをこっちに呼びつけて連れて帰ってもらおう)
公太は決心した。こうなったら最後まで面倒を見るしか無い。なんとか今日をしのぎ、伏羽を説得して連れ戻さなければなるまい。
―ガタンゴトン、ガタンゴトン。
電車は揺れる。伏羽童子は窓の外を眺めていた。人間の町だ。伏羽童子は基本的に山の中に居る。だから、人間の街というものはあんまり知らなかった。いや、暇つぶしに山の近くの街に降りることはある。だが、こんな大きな街は知らなかった。これが人間の作ったものだと言うのに心底驚かされる。本当に自分は人間に打ち勝てるのかと不安になる。
(それもそうじゃが、今は狐じゃな。さて、勝てるかどうか。真っ向勝負なら、間違いなくわしの勝ちじゃが。昨日立てた予想が当たったならどうなるかは分からんの)
昨日の妖怪との戦い。現代に不釣合いな妖魔の連続召喚。そこから伏羽童子は狐の持つ奥の手に関して一つ予想を立てていた。伏羽童子はだからこそ覚悟を決めていた。
(しかし、あやつは良いやつじゃったの。人間もよう分からん)
伏羽童子は公太のことを思い出していた。公太には四葉重工本社に行くと言わなかった。おせっかい焼きなのでまた付いてきかねないと伏羽童子は思ったのだ。
伏羽童子は人間と関わったことがあまりない。基本的に敵だと思っている。しかし、いざ接するとなるとどうも敵として見きれなくなってしまうところがあった。
(わしは甘いのう。どうも言葉を交わして相手も自分と同じようなところがあると分かると非情になれんくなる部分があるのう)
伏羽童子はそれは自分の欠点だと思っていた。妖怪の長としては旨くない性分だ。妖怪の世を作ろうとするならばどうしたって何かと戦わなくてはならないのだから。
(あやつめ、わしが狐を殺さん道もあると思うたのかの。それは、難しいがのう)
伏羽は公太に言われた言葉を思い出す。『もう、敵いません。許してください』などと向こうが言うとは思えなかった。言ったところで自分がどうすべきかは決まっているのだ。
(む、もうすぐ到着か)
アナウンスがかかる。もうすぐ駅員に教えてもらった駅に着く。もうすぐ戦いが始まるのだった。
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