10人が本棚に入れています
本棚に追加
それを見送った青年清掃員が、和奏の手を引いて再び面談室に入った。
内側からドアを閉める。
和奏は戸惑ったが危険を感じたわけではない。
壁には大穴が開いているため、密室とは言いがたかったからだ。
青年は床に背中のタンクを下ろして和奏に歩み寄る。
「和奏さん」
「誰」
「御門凪。ジョーカー隊員です。あなたは暴力を訴えるのをやめてしまいましたね。何があなたにそうさせたのですか」
「どうして知ってるの」
「ブログ拝読しました」
ジョーカーは武装福祉組織と聞いている。和奏は詳しいことは知らなかった。
「傍観者は被害者にものを教えられるのが不愉快なの。暴力の相談をすると、どこでも誰でも初日で思い込みだって判定する」
「よく勉強したね」
御門は和奏に優しく微笑した。
和奏は続けた。
「彼らに『それ暴力ですよ』って教えさせて、被害者が感動してあげるしかないの」
「ちょっとだけタメ口いいですか」
「はい」
御門は和奏を黒瞳でまっすぐ見つめた。
「何があなたにそう思わせるの」
小悪魔的で甘ったるい彼の黒瞳は、背徳感に似た快楽をもたらしそうな予感がしたが、和奏は吸い寄せられ逃げられなかった。彼女は答えた。
「いろんなところに相談して、ことごとく憎まれた」
「憎まない人のところ、行けばいいんじゃないかな」
「いない」
「何がそう思わせるの」
「誰も助けてくれないから」
「助けなかったの、誰」
「精神科医の沢田」
御門は優しく訊ねた。
「何が嫌だったのかな」
「あんたが変われば解決するって笑ってた」
「じゃあね、あのね、目の前に沢田をイメージしてみて。どんな顔してる?」
和奏は沢田を想像した。彼は八つの複眼をもち、緑色の汚い顔をして、さらに悪臭を放っていた。彼女は言った。
「緑色で醜く笑ってる」
「怖い?」
「はい」
「じゃあね、彼の顔に落書きしたあと、“餌をあたえないでください”って、マジックで書いて」
「はい」
「どんな感じ?」
和奏は沢田の滑稽さに目を見張った。
「馬鹿みたい……」
「怖い?」
「いいえ」
御門は促した。
「言いたかったこと言ってみて」
和奏は沢田に向かって発言した。
「被害者が心を入れ替えて解決できるのは暴力って言わない」
御門の声が入る。
「それから」
「豚」
「うん」
「仕事しろ」
「それから?」
御門は背中を押すように和奏のセリフに相の手を入れる。
「私の人生を返せ」
和奏は言ってから床に手をついて泣き崩れた。
御門が長身を折って彼女に清潔なハンカチを差し出してきた。彼女が受け取る。
最初のコメントを投稿しよう!