最終回

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最終回

 中学3年の冬、掃除の時間、絵里を含む数人で話をしていた。陸上部なら誰がいいかという話だった。絵里は石くんがいいと言っていた。私は流行っていたドラマに出てくるキャラクターに似ていると思って言った。「絵里ってハナちゃんに似てるよね。石くんも蒼井くんに似てるし、お似合い。応援する」絵里は、私に本当に応援してくれるかと確認し、私はもちろんと言った。この黒板消しがうまく入ったら絶対叶うよと言って、黒板消しを投げると、見事に黒板のレールの溝に吸い込まれていった。絵里は、ありがとうと、はにかんだ。周りも「芽衣やるじゃん」と言って盛り上がっていた。  当時の私は、石くんの好意に気づくことなく、そしてそのあとも今に至るまで、自分が石くんへ抱く思いを想像していなかった。この掃除の時間で、私の人生は大きく変わってしまったのかもしれない。   「今、思い出した。石くんは悪くない。私が悪い」 目頭が熱くなった。 「え、なんで」 「中学の時、石くんとのこと、応援するって言った。絵里に悪いことした」  石くんは、何もしゃべらなかった。私の肩に、自分のジャケットをかけてくれた。石くんのにおいがした。目は合わせなかった。  私はカップ酒を開けて、口に運んだ。苦みが口中に広がる。その苦みが目にきたということにして、おいしくないねと言ったら、石くんは笑って、私のカップ酒を奪って、ぐっと飲み切った。 「私はさ、自分から会っちゃいけないって思ってたんだ。でもSNSは検索しちゃってた。でもちゃんと、だめだめこれ以上はって言い聞かせてきたんだよ。それでも、最近友達の結婚式とか多くてさ、矢島たちに会ったり、借りた車のナンバーが614だったりさ。よく覚えてるでしょ。誕生日。テレビ見てても、阪海と南武の試合が目に入ったり。こんな、中学生みたいで超ださい。誰にも言えないし言いたくなかったんだよね。」 昔のラジオみたいに、早口で言い放った。 「今日だって、石くんに会って最初、どうしようと思った。どこまで何を伝えよう。でも会えただけでうれしかった。ちょっともやもやが残るかもしれないけど、石くんの人生が進んでいて、幸せも目の前まで来ていて。だから石くんの日常を壊しちゃいけないって。私ごときで壊れないだろうけど。さっきまで大丈夫だったでしょ。彼女が私と同じじゃないかって気が付くまではさ、大丈夫だったんだよ。石くんが余計な事言ったの」 急に石くんのせいにした。 「うん。俺だって電車の中では大丈夫だった。ただプロポーズの待てを誰かと共有したかっただけだった。」 そのころには、蛍光灯の光がにじんで見えた。 「ごめん。ありがとう。今の俺のために走ってくれたんだろ。」 それは、純粋にうなずけない。 「俺はさ、忘れられない人…じゃないんだよな。むしろ現在進行形だから。なんていうの、五十嵐より、たちが悪いかも。」 石くんは、腰を上げ、ホームの黄色い線まで向かって行って、3メートルほど先を指さした。 「あっちが、いつも乗っていた場所。まあ時間は違うけど。こっちが五十嵐のいる場所。下りだから、今はほとんど乗らないけど。俺だって、いろいろ悩んでたお年頃なわけ。毎日いたらきもいだろ。五十嵐の電車、朝早いしさ。だから、阪海と南武が勝った日だけ早起きしたわけ」 そう言ってベンチに戻ってくると私の隣に座った。 「毎日じゃなくたって、私はいつもそこだったんだから、わかってるってだけで、きもいよ」 精いっぱい強がってやった。私は石くんが飲もうとしたカップ酒を奪って、一気に飲んだ。私も笑ってやった。 「今度、中条に会うことがあったら、ちょっと話してみるかな」 「私も。でも、本当に美男美女で絵里とお似合いとは思ってたんだよね。まさか石くんの感覚が渡辺と同レべとは」 「うるさいぐらいの方が楽しいだろ」 「うるさくて悪かったね」 石くんとまたこうやって、話せる日が来るとは思っていなかった。まだ心臓が落ち着かない。   ―下り方面、次の列車が最終となります。―   「どうするつもりだったの」 「なにが」 「会うことがなかったら」 「どうもしないよ。だって、迷惑かけたくもん。幻滅したくもされたくもないし。でも彼氏にしっかりめにプロポーズされたら、どうにかしに行くかも。本当に会えなくなるからね」 「わかんねえけど頑張れ」 かっこつけないところもかっこいい。私はヒールをはいて、立ち上がって石くんにジャケットを返した。 「彼女、大丈夫だよ。きっと」 「そう思うことにする」 「幸せになってね。」 「五十嵐も。」 「結婚おめでとう。フライングだけど許して」 「ありがとう」   ―最終の下り列車が参ります。黄色い線の内側まで下がってお待ちください―   私は、荷物を持って準備した。この12年という時間は、心の奥の感情以外のすべてを変えた。 「それじゃ」 今日で、思い出を過去にすることができた。黄色い線を飛び越え、昔の私のいた車両に乗った。今は、あの時とは違い、ドアの上に電子掲示板がついている。最終電車はこの駅まで来るとほとんど人がいない。ホームに背を向けるように座席に座った。泪が、聲が、体中からあふれてくる。一駅分だけ、許してほしい。    翌朝、実家での朝を迎え、スマホを確認すると、慎一からメッセージが入っていた。 ―今日の夜、恵比寿のレストラン予約したから、駅集合ね。 似合わないことして、何を言うつもりなのかしら。私の足取りは軽かった。
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