28―五十嵐芽衣

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28―五十嵐芽衣

駅の周りは真っ暗だ。蛍光灯で明るいホームは電車が来ないと、人ひとりいない。急に二人だけになる。次の電車は11分後。二つ並ぶ自動販売機のうなる音だけが、蒸し暑くなった6月の駅のホームに響いていた。 石くんとお酒を飲みたかったけど、自販機にはカップ酒しか売ってなかった。それでもいいと思って二つ買った。はじめて買ってみたと一つを石くんに渡した。急につま先の痛みを思い出し、ベンチに座った。ヒールも脱いでやった。石くんは、私との間に一つ席を置き、座った。 「呪縛って何」 オカルトめいた私の発言は石くんをより動揺させていたようだ。 「あのさ、石くんには忘れられない人っている?」 石くんは、首をかしげた。 「私なんかさ、だれと付き合っても、心の奥にいる人っているんだよね。当時、気持ちを伝えるとか、はっきりお別れするとかして、置いてくればよかったんだけど、置いてこれなかったんだよね。最近、寝るたびに、出てくるんだもん。でもこれもいつか忘れるかなって。でもダメでさ、ずーと居座ってるわけ。これを私は呪縛って呼んでる。」 「はは。大変だ」 呪縛について、理解してもらえたみたいだけど、ちょっと馬鹿にしてる風だ。私にとっては、かなり深刻案件なのだが。 「その人に何年も会っていなかったら、相手には相手の人生があるし、本当に過去の人だったりするわけでしょ。こっちはこっちで、今付き合っている人がいても、頭の隅では、その人のこと考えててさ、浮気しているみたいで失礼だなって思う。だから、忘れられれば一番なわけ。でも忘れようって思うだけ、考えちゃう。その人のことを忘れるには、ちゃんと決別が必要な気がするんだよね。彼女もそうじゃないかなって。ちゃんと断ち切ってから石くんと向き合おうって思ったんじゃないかな」 私の意見にかなり納得してくれた。ここでやめようと思ったのに、どんどんあふれてしまった。 「これが厄介でさ、忘れられない人って会っちゃいけない気がするんだよね、多分。さっき言ったようにその人の人生あるしさ。決別はだいたいできないかなって」 石くんは、ところどことうなずきながら、私の話を聞いていた。 「でもさ、ふつうは言わないんだよ。そんなこと。ずっと心に閉まったまま。結婚するときだって、きっとそう。心の底では浮気し続けてる。もちろん、そこには大人の事情があってさ、好きな人と結婚したい人は違ったりするわけだけど。」 「俺と結婚したいって思ってくれてるってこと?」 石くん、その聞き方は私の精神衛生上、あまりよくないぞ。 「まあ、どんな形か、分からないけど、少なくとも彼女はそういうことを清算して石くんに向き合いたいって思ったんだよ。このままじゃ結婚できないって言ってるわけだから、する意思はあるでしょ。だから大丈夫」 なんか吹っ切れてきた。 「勝率は」 「7割6分」 「それは、相当だな」 石くんの笑った顔が輝いて見えた。これでいいの。石くんは、彼女と幸せになるの。 「大丈夫だよ。だって石くんの彼女でしょ」 「なんだそれ。まあそういうことにしておくか。すっきりしたんだか、してないんだかよくわかんないけど」 「はは、ごめん」 向かいの上りホームに静かに貨物が止まった。     「で、五十嵐はその呪縛、解放しないままでいいの?」   ちょっと吹っ切れてすっきりしたつもりだったのに、そんなこと言わないでよ。   ―まもなく、下り列車が参ります。黄色い線の内側までお下がりください。   「あーわたしは…どうかな。」 大丈夫。まだ冷静でいられている。 「俺、実はいま付き合ってる彼女がはじめての彼女なんだ。」 「……石くん、中条絵里と付き合ってたんじゃないの?」 先生が、児童に白状させるような言い方だった。言わない方がよかったかもしれない。でも、もう口から出て行ってしまった。 「五十嵐……お前、それどこで…」 石くんは、今までの冷静さがどこかに行ったかのように、取り乱していた。 「絵里から聞いたの。クリスマスの日、来なかったのは、絵里と一緒にいたって」 よくないとわかっていながら、すべり出て行ってしまう。 「クリスマスの日って……お前、親戚が亡くなったって…俺も携帯なくしたから、また聞きだったけど……」 …何を言ってるの。どういうことなの。石くんは考えを巡らせ、声に出しているようだったが、私も混乱した。 「え?何その話」 「中条から……」 絵里が、石くんにそんな話をしたの。 「絵里と……付き合ってないの?」 「なんだよ、その話」 石くんも私も話が通じていなかった。 「この前、会ったの。絵里と。石くんと付き合ってたって聞いた。だから、クリスマスの日は、石くんは絵里といたんじゃないの」 「は?俺は、そのとき、携帯なくして、なんとか五十嵐と連絡しようとも思ったんだけど中条から、お前の家族で不幸があったみたいだから、連絡とらないでほしいって聞いた」  私たちは、顔を見合わせた。私は、あの日、ずっと待ってたの。寒い駅のコンコースで……ずっと……。絵里のせいで……絵里がいなければ……。石くんは、俯いて言った。 「……いや、ごめん。たぶん俺が悪い。ごめん。ちょうど、予定を決めた次の日、中条に告られたんだ」 私は、俯いている石くんの背中を見ていた。絵里は高校のときに、やはり告白していたのだ。絵里は、自分の言葉で石くんに思いを伝えていた。石くんは、続けて言った。 「2回目だった。断った。その日、予定があることも、五十嵐のことも話してた。俺が、そんなこと言わなければよかったんだ」 石くんは絵里のことを責めなかった。やっぱ大人だ。石くんは変わらない。 「私のことって……」 石くんは、顔をあげ私の顔を見て、遠慮がちに話した。 「……中学のときから、五十嵐が好きだって話」 ずっと長い間求めてきた言葉を聞けたのに、素直に喜ぶことができない。  絵里は、ずっと私に嫉妬していたのだ。石くんのことをずっと見ていた絵里は、石くんの気持ちに気づいていたのかもしれない。石くんの話を聞いて、思い出した。        
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