28ー渡辺由幸

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28ー渡辺由幸

海の中。暗くて何にも見えないのに、なぜか海だとはわかる。魚も石も海底も見えない。それでも泳ぎ続けると、光が見えた。その光に向かおうと、泳ぎ進めたが、自分が素潜りでいることに気づいて、急に苦しくなった。我慢できずに口を開けた。気泡が上がっていく。肩をたたかれ、口に呼吸器のようなものをあてがわれた。後ろからふわりと抱きしめられ、上に登っていく。  誰だろう助けてくれたのは。ベッドがせまいためか、いつも白い壁が目の前にある。体が、顔が熱い。隣の慎一は、スース―寝息を立てながらタオルケットにくるまって寝ている。ベッドと壁の隙間に入っためざまし時計を取り出すと5時50分を示していた。少し早いがこのまま起きよう。今日はガーデンウエディング会場に11時に集合だ。ほてっていた体を冷やそうと、シャワーを浴びる。さっきの夢は、夢じゃない。鮮明な記憶だ。こんな過去の記憶を見るなんて不吉な予感がしたが、準備をはじめた。着替え、黒のA4サイズの手提げ袋に日傘とご祝儀袋とゴールドのハンドバッグを入れ、「じゃあ行ってくるね」とまだうずくまっている慎一に声をかけた。  駅から出る会場へのバスに乗り込むと、高校のときの同級生が一人席の一番前でスマホをいじっていた。違うクラスだったかなちゃんだ。それでも高校時代、ナッツを通して、話すこともあったかなちゃんは、雰囲気は変わらないが、落ち着いたメイクで大人っぽくなった。もう10年会っていない。不安になってかなちゃんには声をかけず、後ろのほうの二人席に座った。なっつとは基本二人でしか会ってこなかったため、今日は一人で参列だ。それでも高校の同級生として、おそらくかなちゃんとは、同じテーブルになるのだろう。  会場は、ドラマで見たことのあるところだった。ドラマでは、お嬢様の自宅だったが、こんな場所が実家じゃ休むに休めないだろうなんて考えながら、バスは、ホテルのアプローチのような玄関の前で止まった。吹き抜けのロビーには、光がたくさん入っていた。通されるがまま、披露宴会場に向かった。土屋家小山家披露宴会場と書かれた入口の表示に思わず、笑みがこぼれた。「おめでとう、おめでとう。」私は心の中で、ナッツを祝った。 「芽衣ちゃん?」 テーブルにつくと、先ほどのかなちゃんが声をかけてくれた。 「久しぶり。かなちゃん」 「雰囲気変わったね。全然気づかなかった。髪型かな。前髪も短かったもんね」  かなちゃんが、当時の私のことを覚えていたのには驚いた。学生時代後ろの髪を伸ばしポニーテールにしていた。今は、髪も染め、ボブにして前髪も後ろと同じ程度の長さに伸ばした。学生時代まではずっと前髪があったが、昔のおかっぱみたいで、今思うと田舎臭かった。当時から、今の髪型にすればよかったと後悔している。 「かなちゃんは、大人っぽくなった」  かなちゃんは、穏やかで、かわいらしい。昔、見たドラマにいたような気がする。3つ折りにされた列席者の席次の一覧を見て、新郎友人のテーブルに懐かしい名前を見つけた。「渡辺由幸」。今日夢に見た中学のときの同級生だ。でも同姓同名がいそうな名前だと思って、気にしないことにした。披露宴がはじまった。オープンショルダーのAラインのドレスは、なっつには、本当にお似合いでお姫様のように思えた。  披露宴が終わり、かなちゃんと帰りのバスに乗り込んだ。せっかくだからとかなちゃんと大宮駅の駅ビルでで少し話すことになった。話し込んだ後、私は、京行線のホームへと向かった。時刻は8時を回っていた。ホームには、次の快速の列車が止まっていた。まだ時間があるからか、空席があった。引き出物を網棚の上に置き、シートに腰をかけた。バッグの中の整理をしていると、声をかけられた。 「五十嵐、だよね」  顔をあげると、、少し背が大きくなった渡辺がいた。スーツを着た渡辺は、私と同じ引き出物袋を持っていた。あの名簿の渡辺は、やっぱり中学の時の同級生だったのだ。スーツで決めているはずなのに、昔の面影そのままで、ちょっと笑ってしまった。だが、すぐに別の人の影を思い浮かべ、何か始まる合図のように鼓動の音が大きく聞こえた。 「変わらないね、渡辺」 彼の印象をのまま告げた。座れば?と隣の席を座るよう視線と手を隣の椅子に向けた。 「それ、褒めてる?」  そう言いながら、隣に腰かけた。ちょっと自信のない口調も変わらないが、盛り上がったおなか周りに歳月を感じた。 「結婚式の席次を見たとき、五十嵐だと思ってちょっと見渡したんだけど、披露宴の会場じゃどれだかわからなくて。雰囲気変わってたから、全然気づかなかったよ」 「私も渡辺の名前見たとき、そうかなとも思ったんだけど、同姓同名いっぱいいそうな名前と思ってスルーしてしまいました」  渡辺は、今甲府にいるらしい。残念ながら教授にはなっていなかったが、動物の保護環境なんたらという仕事をしているらしい。埼玉に帰ったときは、矢島や同じ陸上部の山崎とよく会うのだという。その話を聞いて、私は胸が高鳴った。この前、山崎の結婚式の様子をSNSで見たという話をした。 「あと、こうちゃんもよく会うよ。うちの部長だった、学級委員の。」  出てくるかもしれないと思った名前でもいざ、出てくると緊張が高まる。こうちゃんとは、石くんのことだ。ほとんどのクラスメイトが石くんと呼んでいたが、陸上部だけは、みんなこうちゃんと呼んでいた。私は矢島や山崎とは小学校から一緒だが、渡辺と石くんは小学校が違い、中学校でクラスが一緒だったのは3年のときだけだ。石くんとはたかだか1年の付き合い、そういうことになっている。覚えてるか不安になったのか、ご丁寧に肩書まで教えてくれた。そんなことを言ったら、自分は何様だと言いたくなる。 「へえ。石くんは、どうしてるの?」  動揺を悟られないよう、あくまで会話のキャッチボールをするように心がけた。 「今は静岡にいるんじゃないかなあ。この前の山ちゃんの結婚式に俺は行けなかったから、最新情報じゃないけど。」  今は、埼玉にはいないのか。静岡か。直線距離なら少し近いかな。そんなことを考えていた。 「山崎以外で、結婚した人知ってる?私、中学の同級生とは、一切連絡とってなくてさ」 そうだなあと言って、何人か教えてくれたが、その中に彼の名前はなかった。安堵した自分がいた。 「五十嵐は?結婚とか、彼氏とか」 「彼氏はいるけど、結婚はどうかな」 「なんだいるのかあ。じゃあなんかいい人いたら教えて。」  渡辺はわかりやすくていい。彼とこれでちょっとだけ繋がれた気がして、うれしくなる。私たちは、新宿駅の階段をのぼり、コンコースで、じゃあと言うと、意外なことを言われた。 「俺、やっぱあのとき、五十嵐のこと好きだったんだよな。俺の口から言ってないから、今、言っとくかな。話せて楽しかった。じゃな」 こんなことをしれっと言って、平然とした顔ができるようになった渡辺を、少しかっこいいと思ってしまった。石くんの情報と渡辺のセリフに動揺してしまった私は今のところ、渡辺みたく大人になれていないようだ。私は、帰りの電車、空いている席には座らず、ドアの横にもたれかかって、窓の外を見ていた。
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