16―一駅分

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16―一駅分

高校受験で私は、地元から離れた田舎の高校を選んだ。比べられるのが嫌で、近くの学校を選びたくなかったのだ。推薦で高校入試を終えた私は、他の人の受験を邪魔しまいとおとなしくしていた。みんなの受験が終わるころ、ちょっとした噂が流れた。石くんが後期も落ちたらしいという話だ。聞くところでは、私立も全滅だったようだ。後期を終えて卒業式を終えてからどうなるのだろう。私にとっては他人事で、結局何も知らないまま卒業し、高校に入学した。  高校までは1時間。高校通学にしては、長時間だし、朝も6時30分には家を出る。駅に着くと、下りのホームは向かいの上りのホームよりも人が少ない。人が少ない朝のホームはなんて気持ちがいいのだろう。同級生は一人もいない。ホームの屋根が終わる10両目。ここが私の定位置となってから3週間。いつもの6時43分発に乗る。この時間の下りは、朝帰りのくたびれたおじさんやお姉さんが多い。  そんな中で、目に飛び込んだのは、ドア横のシートの仕切りによりかかっていた高校生だった。ICプレイヤーをいじっていたその人は石くんだった。中学は真っ黒の学ランだったから、紺色のブレザー姿は新鮮だ。 「石くん」 何も考えず、名前を呼んでしまった。普段、男子であれば、見かけても見なかったことにするのに、なぜか今日は声をかけてしまった。いつも私の定位置にいたことに驚いたからなのか、わからない。イヤホンをつけていた石くんは、ちらっと私を見て、少し驚いた様子で、形のいい耳からそのイヤホンを外した。 「あ、五十嵐」 私は、座席の仕切りから網棚に伸びる手すりにつかまった。 足元にあったバッグには、秀明高と書いてあった。同じ区域の高校に通うことになったのか。 「秀明に行ったんだ。知らなかった。」 「五十嵐も綾野か」 「学校、どう?」 「テスト無駄に多い」 「うちも」  卒業してから一か月もたっていないのに話し方を忘れてしまった。受験失敗のうわさがあったから気を遣ったのかもしれない。ブレザーを着ている石くんが大人っぽく見えたのかもしれない。電車の中といういつもと違う場所で面と向かって二人で話したのが初めてだからかもしれない。とりあえず、昨日の南武と阪海の結果だけ話した。両チーム、勝ち星だった。 「じゃ俺、ここで降りるから。また」 「うん、またね」 階段に足早に向かっていった石くんは、心なしか晴れやかな表情に見えた。私も少し、うれしくなった。  秀明高校と綾野高校は同じ区域でも路線が異なる。一緒にいたのは1駅だった。たった4分だったのに、とても長く感じた。「また」と言っていたが、明日もここにいるのだろうか。なんだか、少し気まずいな。石くんがいた仕切り部分に、いつものように寄りかかった。背中から」生あたたかさを感じた。  その日は、プロ野球の試合状況をしっかりと確認した.。南武は勝ったが、阪海は中日に8回で4点取られ、負けた。次の日、不安なのか、期待なのか、ジェットコースターに乗るような気持ちで電車に乗り込んだが石くんはいなかった。少し間が抜けた。せっかく並んだのに、乗る寸前で受付終了をいい渡された気分だ。その次の日も石くんはいなかった。しかし、1週間後の月曜日、また同じ車両で会った。 「おはよう。昨日、両方勝った」 石くんから先に声をかけられて、顔をあげた。完全に油断していた。突然はずるい。あっちは、乗ってくるのがわかるから準備できるが、こっちは朝の呆けた顔で会わなければならない。あれ、別に呆けた顔でもいいではないか。最初に会ったときは、私が先に気づいたことを考えれば、これでおあいこか。  それから、たまに朝会うようになった。中学のときは、クールであまりしゃべらないイメージだったが、二人でいるとよくしゃべった。  石くんは、部活には入らずバンドを組んで、ギターを始めたらしい。そんな話を4分間で話した。その日の夜、メールが届いた。はじめて買ったという青いストラトキャスターの写真を送ってくれた。少し安っぽいと思ったが、「かっこいい」と一言返信した。クラス連絡でない、はじめての男子とのメールだった。 「今日は中止かもな」  6月に入った。ニュースは台風5号が近づいているという話題で盛り上がっていた。 窓の外はくもり空だ。西の空から黒い雲が近づいている。天然の髪が、頭いっぱいに踊りだしているのを、ドライヤーとアイロンとスプレーを駆使して直したつもりだが、家を出た瞬間から気になりだす。しかもこういう日に限って、奴はいるのだ。しょうがない。 「南武ドームは、なんちゃってドームだもんね。スカスカ具合が。」 南武ドームは、スタンドと屋根の間が開いており、半屋外構造になっている。 「いやこっちは雨だから中止ってないから。あくまで悪天候で帰りのお客さんが帰れなくちゃ悪いって考えだから。阪海の青空球場と違いますから」 「あ、うちの試合気にしてくれてるの」 「負け試合が見られなくて残念だなと」 「そうですか」 「このまま、電車も止まればいいんだけどな」 雨の車窓を背景にして、伏し目がちにそんなことを言うもんだから、思わず見とれてしまった。いつもの自分を取り戻そうと、テストにあてつけた。 「ホント、今日もテストとか鬼畜」 もう駅に着くというところだった。 「テストとかじゃなくてさ」  すると、キイ―と音をあげ、床が揺れ、急に電車が止まった。私は、手すりに手をかけていなかったため、前に投げ出されそうになったが、石くんが私の右手首を引いてくれていた。一瞬目が合ったが、私は、すぐに背けてしまった。 「あ、ごめん」  なぜか石くんに謝られ、手を離された。 「いや、ありがと。」  引いてくれた手首がじんわり傷んだ。かなり強く引いたのだろう。 ―ただいま、非常停止ベルが押されました。確認を取りますので、今しばらくお待ちくださいー 「本当に止まっちゃったじゃん」 この間を埋めるように、さきほどの会話を思い出し、つぶやいた。 「俺のせいじゃないでしょ」 「で、テストじゃなくて、何?」 「別に、たださぼりたいだけ」 石くんからサボりたいなんて言葉が聞けるなんて、今日は本当に台風が来るのだろう。 しばらく、無言になってしまった。急に何を話せばいいんだか、わからなくなった。4分という時間の中でしか、話すことが許されていなかった私たちは、急に与えられたそれ以上の時間の話し方を知らなかった。でもこのまま停まったままでいてくれと思っていた。 ー安全の確認が取れましたので、まもなく出発いたします。ー  きっと2分くらいだった。長かったけど、短かかった。電車を降りると、先ほど引っ張られた右手首を確認した。少し赤くなっていた。    土日も予備校があった私には、あまり休みがなかった。中学の頃の友達はほとんど連絡を取らないし、ナッツをはじめとした高校の友達は、放課後一緒に勉強をしていつも一緒だった。アイドルに夢中なナッツにもほかの友達にもわざわざ石くんの話をするのも必要を感じなかったから、誰にも伝えず、過ごしていた。予防線的にも誰にも話したくなかったのだ。 「多分、誕生日おめでとう。南武も連勝でお祝いしてくれてるみたい」この誕生日というのは、聞いたわけでも知っていたわけでもないのだが、アドレスに614とあれば、誕生日だと思ってしまう。気づいていて、触れないのもかわいそうだと思って、へんてこなお祝いメールを送ってやると、「多分、ありがとう」と返事が返ってきた。  交流戦が始まるころ気づいたのだが、石くんは、阪海と南武が勝った翌日に時間を合わせてくることが分かった。いつ乗ってくるか聞けばよかったのだが、なんか狙っているようで聞けなかった。これで準備ができると思っていたが、交流戦がはじまると阪海は弱い。というか、セ・リーグが弱い。阪海対南武の試合もあったが、そのときは、南武が勝ち越した。メールでは盛り上がったが、会うことはなかった。
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