28―山崎達也

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28―山崎達也

 あの結婚式から一週間後、ビジネス研修の動画を見ていたはずだったが、私は一人、また過去の動画を見ていたようだ。ポケットに入れていた携帯のバイブで現実に引き戻された。渡辺からだった。今度、矢島と山崎と会うが、一緒にどうかというのだ。思わずガッツポーズをしてしまった。彼の名前はなかったから来ないのだろう。それでいいのだ。研修後、資料発送の準備をしていた。 「それ、送るの?私、一緒に総務に持っていくよ」 年下の同期が郵便物を持っているのを見て、思わず声をかけた。 「どうしたんすか。なんか全体的にきもいっす」 きっと顔もゆるみにゆるんでいるのだろう。 「いつものやさしいやさしい五十嵐さんですけど、なにか」 「じゃ、よろしく。借りはなしで」 5つも年下にタメ口を使われても、きもいと思われても、今はなんの痛みも感じない。 「おい、五十嵐、なんで報告しないんだ。この案件、報告しないなんて何考えているんだ」 「はい、すいません」 「え、彼女一週間も休むの。私聞いていないんだけど。あなたもなんで教えてくれなかったのよ」 「はい、すいません」  この上司たちの耳は、右から左に報告を受け流すという仕組みになっているようだ。一度病院に行った方がいい。  転職してからというもの扱いがひどい。今思うと新卒というのは、大事にされ、かわいがられる存在だったと思う。何もこの子はわからないというレッテルの中、手取り足取り教えてもらえた。社内のことも同期たちと愚痴を話すことができた。新卒入社する場所が、自分に一番適した環境なのだ。当時、仕事が嫌、会社が嫌というわけでもなかったのだが、2年目にして、転属してきた上司のパワハラがひどかった。仕事ができる分、厄介だった。私以外の人間にはそういう姿は見せないのだ。彼は、一人当てつけ役を設けて、そこですべてのストレスを発散させながら、仕事をこなしていたのだ。次の当てつけ役になってしまう子には申し訳ないのだが、そんなことを考える余裕は当時、一切なかった。とにかく早くその場から消えてしまいたかった。  運よく、転職先をすぐ見つけられたのだが、転職すればいい環境になるわけではない。仕事なんて、だれしもなにかしら不満を抱えながら、家族のため、自分のために我慢しているのだ。今の事務所をひたすら我慢している。  今は何より、現実から離れたい。日常生活をこなし、会社のこと、仕事のことを一瞬でも考えたくない。しかし、こんな私に過去という海を照らして泳ぐチャンスがやってきたのだ。   19時。もうやってられないと、机はぐちゃぐちゃだったが、PCを閉じ、バッグを持って、会社から出た。急いで、吉祥寺に向かう。下北沢で井の頭線に乗り換える。この時間の吉祥寺駅は、もうみんな飲み始めているのか、意外と空いていた。改札を抜け、大衆居酒屋に入り、カーテンで仕切られた半個室に顔を出すと矢島と山崎がいた。女と違って、時間が経っても男はあまり変わらないのだろうか。矢島はノーネクタイのスーツ姿、山崎はカジュアルなシャツにチノパンで少し若作りしていた。 「あ、久しぶり」 山崎は、もともとくしゃっと笑うのが特徴的だったが、しわが増えたからか、以前より笑顔が穏やかになった気がする。 「おーまじもんの五十嵐じゃん。おばさんになったな」 「おっさんに言われたかないですけど」 矢島はそのまんまだった。13年ぶりだというのに、この空白の期間を感じさせない距離の詰め方には、恐れ入る。私も調子よく応える。渡辺は東京での仕事だからと実家に戻ってきたが、結局仕事で少し遅くなるらしい。二人は、ビールを頼んでいたが、私はビールが好きじゃない。普段はとりあえずビールは遠慮しているが、たまにはいい。 「山崎は新婚なのに、帰らなくていいの?」 「なんだ、知ってんだ。里帰り出産で今はこっちにいませーん」 「うわ、その期間に女作っちゃうやつだ!」 「その流れ、何十回目だよ。」  里帰り出産は旦那を自由にさせ、しっかり苦しませるようだ。 「で、今日五十嵐に来てもらったのには、理由があるんだけどさ」  同窓会の飲み会に「久しぶりに会ってみるか」以外の理由はいるのだろうか。いや、私こそ邪な気持ち全開で来てるじゃないかと思い、姿勢を正して、矢島の話を聞くことにした。 「実は、俺がモテてたっていう証明をしてほしいわけよ。こいつ、結婚したのをいいことに俺がモテない説を浮上させてくるわけ。」  なんてくだらない理由で呼び出してくるんだこいつは。私の正した姿勢を返してほしい。でもせっかくだから、深い海の底を掘り出してみるのもいい。 「あーそうね。確かに矢島はモテてたと思う。私も小学校の低学年の時、好きだったしね。調子のいいやつって小学校でモテるよね」 「うそ、告白されちゃった俺。時代をこえて愛される俺」 残念ながらキミのことは時代をこえて愛していないが、そのフレーズに緊張した自分がいた。矢島のことは、まあもう時効でしょと流した。小学生のときの恋愛を本気にされても困る。私はビールをぐびぐび飲んだ。味わうのでなく、流し込むとビールはうまいと最近知った。まあ小学生のときの「将来はお父さんと結婚する」のような子供らしい過去の感情は、たまに吐き出してみてもいいかもしれない。 「それも一瞬ね、一瞬。もう新横浜を通過するのぞみの勢いね。しかも私だけでなく、みんな小学生のときだと思うよ」 「なんだよ、そのたとえ。でも確かに、矢島好きってなると結構しっくりくるな」 しっくりこないでほしい。それでも、杏に思われていたようには矢島も山崎も思っていなかったようで、安心した。 「給食のとき、渡辺のこと振ったのは覚えてるなあ。」  山崎はそう言って、悪い目で私を見てくる。 「俺がどうかした?」  渡辺はすごいタイミングで来るやつだ。もう店先でビールを頼んだと言うが、まだビールが来ないことよりも名前が呼ばれたことを気にしていた。 「で、俺がなんだって」 「あーだから、お前が五十嵐にフラれたって話。でもそれ完全に矢島のせいだと思うけど」  まったくよく覚えているものだ。 「あ、俺が渡辺が五十嵐のこと好きって言っちゃったやつね。うわー懐かしいね。まあ、そうでなくても結果は一緒だったでしょ。」 「んーそうかも」  私は、しれっと答えた。渡辺はいつになっても不憫だ。 「ついでに五十嵐が矢島のことが好きで、三角関係って話」  最後、恐ろしいまとめ方になってしまった。山崎は腹黒いタイプだ。 「うわ、やめてやめて。なにその三角関係。しかも矢島に関しては、小学生のときの音速って言ったじゃん」 なぜか必死で止めてしまった。大人げなかったが、中学校のメンバーと話す時ぐらい若返りたい。渡辺は話を理解していないようだったが、とりあえずその話を拒んでいた。 「それにしても、陸部の中だけで完結してて五十嵐の恋の範囲は狭いなあ」  矢島は、好かれていたのをいいことにいつも以上に調子に乗っている。私の意思でばれているのは、1人だけなのだが、まあいい。結局その枠に大物がいるのだから。この雰囲気を味わえているだけで私は楽しかった。 「山ちゃんだって中条のこと好きだったよね。告白したんだっけ」  渡辺が反撃を始めた。中条とは誰だったか。 「俺の話はいいんですよ。」 少しずつ思い出してきた。中条絵里。確か、吹奏楽部だった。山崎は、一人逃げようとしたので、3人でつつくと、ついに白状した。 「あーそうですそうです。中条に告ってフラれました。」 「なんてフラれたの?」 ついでだから、聞いてやった。おだやかでかわいらしい感じだった気がする。絵里は、男子にモテていたのではないかと思う。徐々に思い出してきた。 「それが、こうちゃんのこと好きって言われて玉砕でしたー」 山崎は、ビールを飲みほした。私は、箸でつまんでいた軟骨を落とした。それじゃ、敵わないじゃないか。私は、そんなこと思ってしまったが、敵うも何もないじゃないか、何を考えているんだと自問自答した。杏を振った理由はそれか。確かに、杏と絵里だったら、絵里が勝つだろう。私には、入る隙間もなかったんじゃないか。何を考えていたのだろう。さっき飲んだはずのビールが帰ってきそうだった。 「中条って、こうちゃんのこと好きだったのか。え、こうちゃんとどうなったの?」 渡辺が、とりあえず私の声に出したいセリフを言ってくれた。 「多分こうちゃん、フッてるよ」 今度は、箸を落としてしまった。何動揺してるんだよと、矢島に言われながら、机の下に転がっていった箸を探した。掘りごたつになっていた足元は、暗くて、見づらかった。嘘。絵里を振ったの?山崎の一言一句に一喜一憂していた。ようやく箸を見つけて、上がろうと思ったが、頭を机にぶつけ、矢島に笑われた。 「え、こうちゃんて小倉あんもフッたよね。なんだ、あいつは、余裕か!俺じゃなくて、こうちゃんのモテ話になっちゃったじゃん」 矢島だけは通常営業で、むしろ安心した。 「いや、俺も詳細知らないんだけどさ。中条は、とりあえず諦めきれないみたいな感じだったから、多分ダメだったんだろうなと思っただけ」 「うわーこうちゃんやばいね。今からこうちゃん呼ぶ?確かめる?」 「そんな過去の話で呼び出すの、やめてあげてよ」  心が焦っていた。どういうことなの。これ以上の話を聞きたいのに、聞きたくない。 「えーでも俺、最近こうちゃんと会ってないから会いたいかもー」 「キャバ嬢かよ」 「キャバクラにこうちゃん呼ぶ?」 「絶対やめて」  山崎と私の声が重なった。とりあえず、山崎がここにいてよかった。本当によかった。矢島は、連絡したようだったが、返答はすぐには来なかったみたいだ。私は逃げ切れたみたいだ。   「じゃあまた、連絡するよ。」 渡辺は、3件目に行く矢島に付き合うことになった。 「うん、ありがとう。楽しかった。」 「こうちゃんに確認しとくから」 矢島は、赤い顔で、笑顔で言い放った。 「うん、やめて」  山崎は駒場東大前に住んでいるというので、途中まで、一緒に帰ることになった。井の頭線は、そこそこ混んでいて、山崎は、ドアの横にもたれかかって、私は、手すりにつかまった。 「絵里、かわいかったもんね」 「ホント、俺に譲ってくれよと思うってか、こうちゃんダメだったんなら、似てる俺でよかったんじゃねって思うわ」 「うん、なに一つ似てないから、無理だろうね」 そこはノリツッコミだろと、注意されたが、そんな余裕はない。おもしろくないとでもいうように、普通に石くんの話をしはじめた。 「こうちゃんて、あんまり興味ないのかさ、浮いた話きいたことないんだよ。まあ、そういう話題にならないから、しょうがないんだけどさ」 「ふうん」 山崎は、しれっと話してくれた。 「まあ、もしかしたらそのあと、中条と付き合ってたのかもしれないけど。確か、中条とこうちゃん同じ高校だったからな。本当あいつ言わないから、そういうこと。かっこつけなんだよな、こうちゃん」 中学のときそんなことがあったなんて、高校時代もそれ以降もまるっきり想像もしていなかった。もちろん真実かわからないけど、私の心を動揺させるには、十分すぎた。知りたくてしょうがなかったが、その場にいて、石くんの詳細を聞く勇気はなかったし、もちろん会うなんて絶対できないと思った。すると、急に電車が停まった。私は、手すりを持っていた手と足を踏み込んで、こらえた。 「最近、よく停まるんだよな。また酔っぱらいかよ。早く動かねえかな」 山崎がそんなことをこぼしたら、すぐ動いた。すぐ動いてよかった。あのときとは違う。 下北沢で、小田急線に乗り換え、別れた。  小田急線の中で、今までの流れを復習した。石くんは小倉杏をフッた。杏とはそのあと何もないだろう。中条絵里もフッた。しかし、石くんは、絵里と同じ高校だったんだ。あのときも完全に忘れていた。石くんと絵里は、ずっと一緒だったのだ。予備校帰りだろうか。高校生の男女2人が目に入ってきた。付き合っているのかな。話をするでもなく、女子高生は単語帳を広げ、男子高校生は携帯をいじっていた。男子が言った。「南武、4連勝だ」女子が、顔を上げた。「あんたへの誕生日プレゼントじゃない」一瞬だけ、笑った顔に愛嬌があった。あなたの笑顔の方が、よほど誕生日プレゼントなんじゃないかと、なにも知らない私は心の中でつぶやいた。  高校生は、なんて絵になるんだろう。この一瞬だけで映画になりそうだ。一方、私はいつの間にか年だけ取ってしまった。世間から私の心内が見られてしまったら、呆れられてしまうに違いない。別に絵にならなくても、爽やかじゃなくてもいいから、昔の恋をもう一度再生したいと思ってしまっている。でも石くんに迷惑をかけてはいけないのは、ちゃんとわかっているし、28歳にもなって昔の恋で傷つきたくない。でもこの思いをどうにかしたい。いろいろな思いが錯綜した。
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