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「そうする、今度から。茜がそれでいいなら…。もう、あいつらをお前に近づけるのはやめるよ。誰にも指一本触れさせないことにする」
「…そうか」
露骨な描写を何とか上手く全部取っ払って、注意深く表現を選びつつことの次第を星野くんに報告し終えると、彼は何故か深々と長いため息をついた。
それからぽつりと重く呟く。
「よかった。…本当に」
「そう?」
その台詞に含まれたしみじみと実感のこもった響きに、思わず上目遣いに天を仰いでしまう。なんでここで、星野くんが安堵するんだろう。別にわたしがそんなメモに心が動いて、その人と駆け落ちするかもって思ったわけじゃないよね?川田じゃあるまいし。
星野くんは明らかに肩の荷が下りた、と言わんばかりのさばさばとした表情でわたしを見た。
「だって。…やっぱり、心配だったんだ。いくら本人の合意の上とはいえ。…あんな状況に君を晒しているのが。川田くんが出入りする人間の身許をチェックしてるとは言っても。いつ何が起こってもおかしくない空間だな、って」
「ああ。…まあ、そう考えちゃうと。そうかも」
わたしは首を縮めた。これまで深く考えなさ過ぎだ、って咎められたみたいで。
確かに普段の言動がまともな人でも、あんな状況でどんな本性を現すかは絶対の保証はない。でも、不安に思ったり迷い始めたらきりがないし。
星野くんは本当に気が楽になったのか、心なしか足取りも軽くなって明るい声で述懐した。
「君には君の考えや思いがあるし。必然があってしてることなのは承知してるから、僕の口から簡単にやめてほしいなんて言えない。…でも、いつ何があるか気が気じゃなかったし。それに、こっちの勝手な感覚だけど。…単純に、見てる僕の方が痛々しくて辛かった。あんな風に、君を。…愛情もなく乱暴に扱われるのは」
思わず口から出た、といった感じでぽろりと呟き、自分の台詞に慌てて弁解気味に付け足す。
「そんなに何回も見てないよ?初めに一回、内容を確認しなきゃだから通して見たけど。あの時川田くんの部屋で完全に消したし、もうどこにも残ってないから。…でも、どのみちとても見返せなかったと思う。あんなに、酷く扱われて。…君が、可哀想で」
「うーん、傍から見たら」
わたしはどう返していいかわからず、唸った。その最中はこっちはされるがまま、ただ夢中で気持ちいいだけだけど。
客観的に言えば。まあそうとしか受け取れないよな、確かに。
「本人は意外にそうでもないんだけど。でも、友達とか知り合いの女の子が同じ目に遭ってたらそりゃ、絶対本気で阻止するもんね。普通に犯罪にしか見えないよな。…そう思うと。星野くんには嫌なもの見せたよね。本当に申し訳ない」
彼はきっぱりと頭を横に振った。
「知らなければいいってことにはならないよ。君がどんな状況にいるかはきちんと知りたい。…でも、もう不特定多数の男の人と接触しないってことならやっぱり正直ほっとする。僕がそばにいられない時に君が危険と隣り合わせだって思うと。ほんとに生きた心地しなかったよ」
重い実感を込めて呟かれ、身の置きどころがない。そうだよね。
やっぱり、心配かけてたんだな。自分が納得ずくで他人に直接迷惑かけなきゃいいってもんでもないんだよね。
「ごめんね。星野くんに要らない気遣いさせて」
素直に頭を下げて謝ると、彼はこの上なく優しい眼差しでわたしを見た。
「それはいいよ。こっちが勝手に思い入れてやきもきしてただけだから。実際には川田くんも本気で君をガードしてはいたんだろうし。それで今回、彼の防護フィルターにその人は引っかかったわけだ。でも、その彼の気持ちなんとなくわかるよ」
「そう?」
星野くんならどんな風に誘われても、そんな集まりに参加すること自体想像がつかないけど。まあ仮定の話だから。
彼は深々と頷いて先を続けた。
「現実にそんな場面を目にしたら。この子が痛々しくて見てられない、こんなの間違ってるって絶対考えそう。救い出すかどうかはともかく、これは本当に君の意思なの?ってことは確かめようとするだろうな。でもまあ、その人が行動を起こしてくれたおかげだね。そう思うと感謝しかないかな。川田くんは彼に報復なんか、しないんでしょ?」
わたしはそのことにまつわる縺れたやり取りを思い出し、ため息混じりに頷いた。
「もう誰とも二度と会わないんだから。何も思い知らせる必要なんかないでしょ、って説得して、やめさせたよ。なかなか気が収まらない様子だったけど」
星野くんは前方に見えてきた明るい駅の看板の光に視線を向けて受け答えた。
「もう終わったことなんだから。気持ち切り替えてそのことは忘れた方がいいよね。…そしたら、これからは。茜さんは川田くんとだけになるんだ」
「うん…」
わたしは曖昧な声を出した。
それ自体は別に、特に不満はない。しばらく前からこんなの、別に集団でしなくてももういいんじゃない?とは薄々考えてたから。川田と二人での行為はそれで充分、わたしを満足させてくれるし。
だけど、二人きりになることに微かな一抹の不安が胸をよぎらないでもない。
頭に血が昇ってる川田に、わたしはあんただけでいいよ、他の男なんかもう要らない。川田だけで充分だってずっと前から思ってた、って気持ちを落ち着かせて宥めるために言い続けた。
そんな言葉に次第に絆されたのか、だんだん穏やかな表情になって終いにはわたしを何度も抱いたあとに
「そうだよな。…茜には、俺だけで充分なんだよな。前からそう言ってくれてたのに。俺一人じゃ満足させられないのかも、なんて不安に思って。…お前を信じてやれなくて。俺が、間違ってたよ…」
そう囁いて、しっかりしがみついてすうっと安心したように深く寝入った。
だけどなんだか気のせいか、そのあと前よりだいぶ甘えがきつくなったような。一緒にいたがる素振りも独占欲も、じわじわと隠すことなく露わに態度に出てきたように思える。
ただでさえ恋人面が酷くなりかけてたところに。あんまりわたしがあんただけでいい、充分満足してるよって請け合い過ぎたせいで。またすっかりその気になりかけてるような…。
まあ、わたしと星野くんは別れないよってずっと前から何度も強調して念を押してるし。そこさえ勘違いしないでいてくれれば、もちろん何の問題もないんだけどね。
漠然とした危惧を意思の力で振り払う。それから安堵でさっぱりしたのか、どこか明るい表情の星野くんに促され、この時間帯でもまだ雑踏がごった返している馴染みの薄い郊外の駅に素直に足を踏み入れた。
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