第14章 そろそろ、どうでしょう

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「…こうしてのんびり過ごせて僕はいいけど。茜さん、川田くんとは連絡取ってる?ここ数日会えてないわけだけど。彼はちゃんと納得してるの?」 一月の三日。やっとお互いの実家への年始回りが終わり、今日は家でゆっくり過ごそう、と言いあって昼近くまで部屋で過ごした。それから思い立って初詣しようか、ってことになり。調べたら近所にそれなりの大きさの神社があることがわかって、徒然にそこに向けて歩き始めたとこで、不意に彼が思い出したようにそんなことを口にした。 何も二人で過ごしてる時にあいつの話なんか。と思わないでもないけど、奴が不満を溜め込んで爆発したときの扱いの厄介さについてはわたしも彼も経験済みだから。そうやって気にかける理由もわからないではない。 わたしは浮き立った気分を挫かれた思いで、渋々と目下の懸案事項について説明した。 「お正月に両方の実家に顔出さなきゃいけないとは事前にちゃんと伝えたから。…今までだって別に、年越しや新年を一緒に過ごしたことなんてないし」 どう過ごそうと何もいちいち了解取らなきゃいけないほどのことでもない。と軽く考えてたら猛反発にあった。 「そんなに長い期間全然会えない理由なんかある?てか、お前の方はさ。それで平気なの?休みの間ずっと俺なしで」 ほんとに、実に扱いづらくなったもんだ。完全に彼氏気分でいるじゃん。二週間や十日会えないくらいでもうこれだから。少し前まで、一か月や二か月くらい間が空くのは別に、普通のことだったのに。 「…だったらこれまで年末年始どうしてたのよ、って改めて訊いたら。一応この歳になってもこの期間は実家に帰るのが毎年の習慣になってる、って白状したから…。そういえばあいつ、地方出身だったなって思って。学生の頃から一人暮らしだったみたいだし」 当時は奴の家に行ったりしたことはなかったが。話の端々から下宿なんだな、って察してはいた。そのことについて特に何か尋ねたりもしなかったけど。 東京の端の地域で生まれ育った星野くんはやや興味を引かれた声でわたしに訊いた。 「そうなんだ。どこ出身なんだろ。ここからは遠いのかな」 「決して近くはない。三重県、だったかな。あそこは近畿に入るの?それとも中部?」 「どうだろ、文化圏的には汽水域に当たるのかも。まあでも、言うほど遠くはないね。じゃあ時々は実家に顔見せてるのかな。仕事もフリーで時間は自由だし」 結婚するまでずっと実家住まいだったせいか、星野くんは地方出身者に微かな憧れがあるのかもしれない。うちも西側とはいえ一応神奈川出身だから。お盆や正月にわざわざ新幹線や飛行機に乗って帰省するってライフスタイルには今度とも馴染みがないこと請け合いだし。 わたしは肩をすぼめて答えた。 「何て言っても新幹線が通ってないから、便利ってことはないみたい。でもまあその気になれば普通に帰れない距離じゃないから。そうなるとかえって億劫になるってのはわかる気がする。今年はどうしようかなぁ、とかのらりくらり言うのをお正月くらいご両親に顔見せなよ、って言って蹴り出してきた」 お前も今度いつか一緒に顔出せよ、とか寝ぼけたこと言うのに取り合わずとにかく何とか送り出したけど。 やれやれ、何言ってんだか。他人の妻を連れて帰省したりしたら。うちの息子、頭どうかしてるってパニックになられること間違いなしじゃん。 だんだんあいつの脳内で常識の箍が外れていってるみたいで怖い。それもこれも、身体の関係が自由なままで突然結婚なんかしたわたしの行動が突飛過ぎたせいだって言われたら。反論もできないけどさ…。 あいつの中で結婚についての感覚が次第に世間一般からずれていってる可能性はある。下手したら既に誰かと入籍してる相手とも普通に婚約できるんだと無意識に思い込んでないとは限らないよな。 思い出して眉をしかめてるわたしに気づいてるのかいないのか。星野くんはぶらぶらと歩きながらのんびりした口調で相槌を打った。 「そっか、だったら今は実家に帰省してるんだ。それなら茜さんも安心だね。こうしてる間、彼が寂しい思いしてないってわかってれば」 「それは。そうだね」 確かに。 世の中がお正月気分真っ最中のとき、あいつが一人の部屋でぽつんと過ごしてるかもって考えたら寝覚めが悪くないって言ったら嘘になる。実際には今までだってわたしが関知してないだけで、そういう日だって奴にはあっただろうし。行きつけのバーに顔出すなり知り合いと会うなりして(あれだけ毎回伝手を辿って面子を集められたんだから、顔が広くないわけがない。いろんな意味で)適当に所在なさを紛らわせてきたんだろうと思う。もう三十になるんだし、自分の力でなんとでも時間を潰せるはずだ。 だけど俺を一人にするのか、とごねられたり文句言われたりするのにすっかり慣れて。いつの間にかこいつを放っておくと面倒なことになる、って意識の下に刷り込まれてしまったみたいだ。わたしはこっそり重いため息をついた。 あいつの勢いに押されてつい甘やかしてるのかもしれないけど。だったらどのくらいのスタンスで接するのが、ほんとの正解なんだろ? わたしのそんな迷いに気づく風もなく、星野くんは安心しきった呑気な声で並んで歩くわたしに向けて言った。 「そしたら、彼には実家でゆっくり羽を伸ばしてもらって。またこっちに帰ってきたら改めて会う約束をすればいいんだから。今は特に川田くんのことは心配する必要ないんじゃない?」 「…うん。それは、そうだと」 思う。けど。 何となく、何がってわけじゃないけど。不穏な感じがするんだよな。奴の独占欲や妬きもちは今がピークで、だんだんわたしに飽き足りて自然と落ち着いていってくれればいいけど。 付き合いが始まって十年もしたところでの急なこの変化だから。まだ今後も奴のわたしへの謎の思い入れがエスカレートして。更なる面倒を引き起こさないとも限らない。 もちろん、引き起こすとも限った話ではない。…けど。
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