第13章 これからは二人きり

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「うん、やっぱり。美人だしスタイルいいから何でも似合うなぁ茜さんて。ほんとにどれがいいか迷っちゃう。…洋記くんはほんとにラッキーだよね。こんな素敵な女の子が奥さんになってくれて」 独り言のように付け足す。その言葉の意図は今ひとつわからないけど。首を傾げて率直に否定した。 「うーん、そもそも全然素敵ではないんですけど。彼はその、あんまりわたしの外見とかは気にしてないんじゃないかな。考え方が合うかとか一緒にいて気楽かってことが決め手になったのかな、と。…あの、それよりどう考えても鳴沢さんの方が。誰から見ても羨ましい結婚だと思います。こんなに綺麗で知的で何があってもそばにいてくれる、献身的な奥さまがいらっしゃるんだから」 心の底からそう言った。彼女が今現在結婚相手じゃない男の子に惹かれてることは百も承知でも、そんなのは関係ない。本人の意思で避けようのないことまで責任持たせる気にはなれない。それより、誰に恋をしようがそれはそれとして鳴沢さんの苦境に寄り添って一生彼を支え続けよう、って決意の方が尊いと思う。 結果的にそれを全うできるかどうかは未知数だけど。仕方ない、人間なんて。強い意思があっても思い通りにいかないことだってあるもん。それを責める資格は実際誰にもない。 案の定彼女は軽く自嘲した。 「うーん、どうなんだろ。とにかく今は手探り状態というか。行き届かないところもたくさんあると思うんだけど…。ほんとなら彼に、これでいいの?とか、不満に思うことがあったら教えて?とか細かくいちいち尋ねられたら。とか考えても仕方ないことを、つい。ね」 「そうか、…実は気難しくてご自身を曲げないところのある方なんですよね。確か」 わたしと同レベルの偏屈ぶりなんじゃなかったっけ。と思い出しつつそう呟くと、彼女は生真面目な顔つきで頭を横に振った。 「それはそうだけど。でも、それはよその人に対しての話だから。どういうわけかわたしにはいつも甘くて。君がしてくれたことなら何でもいいよ、とか。頑張ってるのちゃんとわかってるからそれで充分だよとしか言わないの、いつも」 「じゃあきっと今でも。心の中でそう思ってらっしゃいますよ」 どうもご馳走さまです。と思わず笑みを浮かべて返した。見たところ鳴沢さんは五十半ばくらいか。おそらくは十歳近く歳は離れてるだろうから。 彼からしたら貴重な可愛い宝物みたいな。目に入れても痛くない大切な奥さん、って感じなのかもしれないな。と心の中で想像してみる。 「ご結婚されて長いんですか、もう」 「そんなでもないの。そろそろ十年、ってくらいかな。わたしたちお互い、決して結婚は早くはなかったから。早めに子ども欲しいね、って言い合ってたんだけど…。結局こういうことになって」 「…ええ」 何とも言いようがない。小さなお子さんがいたら今頃旦那さんと両方のお世話で大変だったでしょう、とも考えるけど。 一方でその成長が心の支えになっていたかもしれないし。仮定の話になるから正直どっちともいえない。 彼女は見繕った何枚かのドレスを広げてみせて代わるがわるわたしの身体に当ててみせながら、ふと思い出したように口を尖らせた。 「結果子どものいないお互い忙しい夫婦だったし。独身時代も長かったからか、あの人はその頃の癖が抜けなくて。結構気軽に女の子に声をかけて遊びに行っちゃうのよね。もう結婚したんだからそれはやめてよ、って何度も言ったのに。食事やデートくらい浮気のうちに入らないよとか何とか言い訳して。ほんとにそれだけだったのかどうかも怪しいと思ってた、あの頃から」 「はは。…そりゃ、おモテになりそうですもんね。見るからに」 実情も知らない身で簡単にそんなことないですよ、とも言えず。いかにも爽やかで渋い、って顔立ちの鳴沢さんを思い浮かべてつい正直な感想を漏らしてしまう。今の自由が利かない身体になったあとの彼としか会ってないわたしではあるけど、それでもあの人がさぞかしモテたんだろうなあってのは想像に難くない。あの見た目で才能溢れる世界的に高名な指揮者だったんだもん。そりゃ、女性も寄ってくるよね。 「でも、こんな素敵な奥さんができたら。それはそのあと浮気はなさらないでしょ。だって、浮気は男の甲斐性とかいって諦めて黙認したりはしないでしょ、香那さんみたいな方なら?大人しく受け入れて我慢したりしないんじゃないですか。そしたら旦那さんだって嫌われたくないから。そこは自重なさるんじゃないでしょうか」 「やだ。そんな、負けん気強いように見えてる?わたし。本性出ちゃってるかな」 可愛らしく両頬を押さえる香那さん。いえいえ。 「遊びの浮気は許したくないって、勝気とかいうより至極まともな反応って気はしますが。きっと香那さんなら、きちんとプライド持ってて妥協はしないんだろうなぁって思っただけです。本気でよその女性と恋に落ちたならならそれはそれである意味仕方ないと思いますが…。でも香那さんみたいな奥さんが既にいるなら。それより上の女性なんか世の中にそうそういるわけないもんね」 色とりどりのドレスに視線を走らせながら思わず独り言のように呟くと、彼女は頬をやや紅潮させながら頭を横に振った。 「そんなことない。わたしなんか、全然面白みも色気もなくて…。結婚するまでほとんど音楽とか、仕事のことしか考えてなかった。だからかあんまり恋愛経験もなかったの。あの人がわたしを誘った時もどうして?って。声楽家と指揮者でご飯食べて、何の打ち合わせするんだろう。わざわざ時間作って夜会うんですか?って大真面目にみんなの前で訊いちゃったくらいだから」 話を聞いてるだけで自然と顔がにやけてきた。そりゃまあ。さぞかし箱入り娘だったんでしょうね。幼少時から音楽一本槍のいいとこのお嬢さんって確かにそんなイメージ。変な虫も迂闊には近寄りがたいもんな。 そういう女性だからこそ。恋に全然免疫もなくて、この歳になって初めて抗いがたい本気の恋愛に嵌って身動きとれなくなったりするのかな、とそんな考えがちくりと胸を刺す。 「まあ結果そのまま結婚に至ったけど。女性と会って食事したり飲んだり、二人でお話したりすること自体がそもそも好きな人なのよね。香那がいるのにそれ以上他の女の子としたいなんて思わないよ、とかあっけらかんと言われても。どうかしらね、と思って正直腑には落ちなかったけど」 「香那さんだって男友達と会ったりしてもよかったんじゃないですか?それをもし鳴沢さんが嫌がったら。やっぱり本当に浮気してるんだろうなってわたしなら思ったかも。自分が食事だけなら相手もそうだろうって素直に受け取りそうなものですもんね」
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