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藪中を引っ張り連れて室内コートをあとにした誉だったが、すぐに帰宅という流れにはならなかった。着替えさせて欲しいと藪中が言ったのだ。二人はロッカールームへと向かった。
(――ここがロッカーだって?)
十畳ほどの広さの室内を誉は見渡した。
部屋は個人使用の造りとなっていた。シャワールームとトイレが完備されており、壁際にはクローゼットと黒のベンチが並んでいた。奥には簡易ベッドや冷蔵庫もあった。藪中はこのロッカールームを年間契約しているとの事だった。なんとも贅沢だが、彼からすれば普通の感覚なのだろう。そこはやはり御曹司様だと、誉はベンチに鞄を置いた。
「誉さん、急いでシャワーを浴びますので、少し待ってていただけますか?」
背後からの声に誉は肩をピクリと反応させる。嫌な匂いがしたからだ。
「……藪中さん」
ゆっくりとした動作で振り返った。そして、ランニングユニフォームを脱ごうとする彼へと距離を詰めた。
「っ……誉さん? 一体何をして……」
困惑気味の声が頭上から届く。それもそのはずだ。藪中の胸に顔を寄せた誉が、鼻先をスンスンと鳴らして彼の体臭を嗅いでいたからだ。
(やっぱり匂う……)
「……藪中さん、臭いです」
神経が逆立った瞬間には吐き出していた。
そう、匂うのだ。あまりにも不快な香りが藪中の体へと、しっかり染み着いていたのだ。
「えっ? そ、そんなに汗臭いですか?」
藪中が少し傷付いたかのように狼狽える。
「いえ、そうじゃなくて……あの……」
違うと、首を左右に振ったあと誉は口籠った。言いたいけど言えない。このまま口にしてしまうと、赤裸々な感情が止まらなくなると確信していたからだ。
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