第三話

2/2
576人が本棚に入れています
本棚に追加
/14ページ
ウガジンの私室に着くと、彼はドアを閉めるなり、カワシマの身体を抱き上げた。 「タカハラ」 付き人の名前を短く呼ぶ。 「ここに居ります。おかえりなさいませ」 膝をついて自分を出迎えるタカハラに、ウガジンは顎をしゃくった。 示した先には、カワシマの存在に困惑しつつも、好奇心丸出しで周りをキョロキョロ見回している「客」の青年がいる。 「お前に土産だ、そいつを連れていけ。今日はもう下がっていい」 いつもはホールに下りるときも連れて行くタカハラを今日に限り置いていったのは、このサプライズのためだったのだけれども。 タカハラは土産、と言われた相手を見て、僅かに眉尻を上げた。 「見学」するだけのはずの学生が、何故ノコノコと「雄」の種付け部屋に連れ込まれているのか。 しかし、ウガジンは、想定外にカワシマと遭遇してしまったから。 もうタカハラにも客にも、そのサプライズがもたらす結果にも全く興味を失ったかのように、カワシマを抱いたままズンズンと部屋に入っていく。 「アキ」 彼の名を呼ぶ声は甘い。 「あんな反応を外で見せるなんて、少しは妬いてくれたのか?」 ベッドの上にトサリ、と投げ出され、上から覆い被さるようにのしかかられる。 そのまま唇を塞がれそうになるのを、カワシマはそっと両手で押し返した。 「僕はまだ仕事中だから、リュウ」 そのひとをファーストネームで呼べるのは、カワシマと、そして父親であるカブキタウンの首領(ドン)、あとは楼主のナガセだけだ。 もっと言えば、ベッドの上でこんな体勢にまで持ち込まれてるのに、そのキスを拒めるのなんてカワシマしかいないだろう。 この楼でも、いやこの街でも絶大な人気を誇る、万人を魅了するフェロモンを垂れ流しているはずの「雄」は、チッと舌打ちをして、カワシマの手のひらに代わりのように口づける。 「お前以外には勃たない、といつも言ってるのに」 疑っただろ、俺の浮気を? そのひとは、カワシマの恋人だ。 それを知っているのは、この楼の中では、カワシマの上司であるユサと、楼主であるナガセ、そしてウガジンの付き人のタカハラだけだ。 「でも、リュウ……僕をいくら抱いても、雄の義務は果たせないんだよ?」 カワシマは僅かに表情を曇らせて、そう呟く。 彼は元々感情表現がほとんど表に出ないから、内心どんなに哀しく思っていても、その顔はいつもとほぼ変わらない。 「義務を果たせなきゃ、いつまでもここにいなきゃいけない」 幼なじみで、恋人。 カワシマとウガジンはそういう関係だ。 ウガジンは自身が「雄」で遊郭に入らなければならないとわかったとき、カワシマを番にして、国に義務づけられている数の子どもを全部カワシマに産ませる、他の奴に種付けなんかできるか、と言い張った。 彼は種付けができるはずの「雄」なのに、カワシマ以外には勃たない、と言ったのだ。 実際、何度かタイプの違う相手を選び試したけれども、ウガジンは勃起することはなく。 国の役人も根負けして、さすがに一人の相手だけだと産める数には限りがあるだろうから、と規定の数よりも少なくてもいいという特例措置まで適用して対応してくれようとしたのだ。 だが。 毎日毎晩どれだけ抱き合って愛し合っても、カワシマが妊娠することはなくて。 検査の結果、カワシマはそれほど珍しくはないけれど大多数というわけでもない、妊娠できない身体であることが判明した。 それにはさすがに国の役人も目を瞑るわけにはいかなくなったのだろう。 そうでなくても「雄」は貴重なのだ。 規定より少ない数でもある程度は産ませられるなら多少のことは許されても、一人の子どもも産ませずにその貴重な種を無駄にするなんてことは、看過できない。 どうしても他の人には勃たないと言うのなら、二度と二人を会わせなくすれば、いずれ恋人を忘れて「雄」としての機能を果たせるようになるのではないか、と脅しにも似た提案をされ。 ウガジンは、折れた。 カワシマを側に置くことを条件に、遊郭に入ることを承諾したのだ。 どうにかして種付けも規定数こなすから、と。 こんなにも誇り高いひとを、カワシマは他に知らないのに。 その誇りを折ってでも、カワシマを手放す選択だけはできない、と宣言してくれたのだ。 そしてそれはたぶん、ウガジンがカワシマと離れることを耐えられないのではなく、カワシマがウガジンと離れることに耐えられないだろう、とわかってくれたからだ。 そこまで想ってくれることが、嬉しくて嬉しくて、哀しいほど嬉しくて。 ウガジンがそこまでして自分を側に置こうとしてくれているのだから、カワシマも彼が他の人に種付けするのを横で黙って見ていなければいけないのに。 それなのに、それを見ているのは心が壊れそうになるほど辛くて。 だから、ウガジンの付き人にはどうしてもなれなかった。 ウガジンはカワシマのそんなワガママさえも許してくれたのだ。 彼はカワシマを自分の付き人にせず、自分と同じぐらい力を持つ相手に委ねた。 どこまでもカワシマを想ってくれる恋人に、カワシマが返せるものはこの出来損ないの身体と、他にどこにも行き場のない重たい想いしかない。 本当はさっさと規定数をこなして、こんなところを出たいはずなのに。 ウガジンにカワシマという枷さえなければ、あっという間に達成できるはずだ。 彼の種を欲しいと思っている人は星の数ほどいるのだから。 それでも彼が、あまりホールにも下りずにのらりくらりと過ごしているのは、カワシマの受ける心の傷を少しでも緩やかにしてくれようとしているのだ、ということも、もちろんカワシマはわかっている。 そして、カワシマ以外には勃たないソレを、なんとか勃たせようと恐ろしいほど神経をすり減らしているために、一度種付けをしたらしばらくはインターバルを置く必要があって、連日の種付けはできないのだということも。 「それで、ユサは俺に何の用だって?」 さっさと仕事を済ませて、カワシマを仕事モードから恋人の立場に戻したいのだろう、ウガジンはカワシマの上に覆い被さったまま、指でその頬を撫でながら訊いた。 この誰をも魅了する男は、それなのにカワシマ一人だけをずっとずっと溺愛している。 「ウガジン様にではなくて、タカハラに用事だったのですが」 仕事モードである、と強調したくて、あえて敬語を使ってカワシマは答えた。 「今夜、ここに見学に来た学生の一人をユサ様が部屋に呼ばれたので、お連れの方に先に帰るように伝えて欲しい、と」 「学生を?あのユサが?……ふうん?」 面白がるように、ウガジンは少し言葉を止めて。 そして、フン、と笑った。 「その学生のツレなら、今タカハラのところにいる」 だから、伝言は必要ないだろ。 カワシマは、僅かに顔の筋肉を強張らせた。 ウガジンが連れてきたあの子、か。 「種付けするために連れてきたんじゃない」 カワシマの微々たる変化を、本当によくそのひとは見ている。 「珍しくタカハラが気にしていたから、な……ちょっとしたサプライズを仕掛けただけだ」 そう言って、彼は少し悪い笑みを浮かべた。 「俺が抱きたいと思うのはお前だけだ、アキ」 だから、もう、お預けは無しだ。 伝言する必要がなければ、お前の仕事は終わりだろう? 今戻っても、ユサもお楽しみの最中なんだから、ここで時間を潰して行け。 ダメ、と制止する声は、奪うようなキスに呑み込まれた。 ウガジンは燃え盛る炎のように激しい男だ。 カワシマの体温の低い身体にも、そして氷のように固く閉ざされた心にも、易々と火を点けることができる。 「心配するな、今はお前が一度戻ってユサに報告できるぐらいの余力は残しておいてやるから」 キス一つであっけなくカワシマを籠絡してしまう男は、まだ微かに抵抗を見せる恋人の生真面目さに苦笑しながら、そう囁いた。 「その代わり、仕事が終わったら覚悟しておけよ?」 今日はお前を喰らい尽くさないと眠れそうにない。 滅多に見られないお前の可愛いヤキモチが見られたからな、アキ。
/14ページ

最初のコメントを投稿しよう!