第一話

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このところ、キッペイたちのような学生の間では、遊郭を覗きに行くことがちょっとしたブームになっている。 どうせ、いかにも遊郭に慣れていなさそうなおのぼりさん的な学生は「雄」に選ばれることなんてないし、万が一選ばれるような奇跡に恵まれても、提示される金額を払えるはずもない。 それでも、今のうちから遊郭の雰囲気を肌で学んで今後の役に立てよう、ということらしいのだが。 「冗談だろ?カブキタウンに行く?」 案の定、弟のコウヘイはそれを切り出すなり、眉を顰めて苛々と言った。 家族、という形態を失ってとうに久しいこの時代にあって、キッペイとコウヘイは正真正銘、同じ父と母から産まれた血の繋がった兄弟だ。 二人の父は「雄」で、遊郭での務めを果たしてそこを出た後、母と知り合い「番」になった。 両親がいて子どもがいる、という旧時代でいうところの家族の形態を持てるのは、遊郭での務めを終えた「雄」がそれを望んだ場合に限る。 両親、つまり二親が揃って子どもを養育しているというスタイルは、「雄」が人類に占める割合よりももっと少ない。 通常、種付けによって産まれた子どもについて、「雄」はもちろん父親であるという責任を負わない。 産んだヒトが男女問わず一人で親の責任を負う。 しかし、責任を負うとはいっても、手元で育てる義務はない。 子育てにかかる費用は全て国持ちだし、親は親であるという愛情を、与えたいときに与えるだけでいいという都合のいいシステムが完成しているのだ。 大抵のヒトは、普段は国が管理する専用の施設に子どもを預けて、触れ合いたいときだけ面会或いは帰宅させるというスタイルを取る。 子どもを作ることはできなくても、惹かれ合う相手がいれば、「雄」ではないヒト同士で配偶者(パートナー)を設けるのは普通のことだ。 その際、子どもが配偶者との間でトラブルになることを避けるために、ほとんどのヒトはそういうスタイルを取るのだ。 それに次いで多いのが、週の半分は施設で残りは手元で育てるというスタイルだ。 それは、配偶者のいない独身(ひとりみ)の親が希望する割合が多い。 稀に手元でずっと育てたいと希望する親にはそれが認められることもあるけれども、それには親としての資質や収入、その他の厳しい審査を経なければ認められることはない。 そして、それでも日中は施設に通わせなければならないという決まりがある。 少子化が深刻な問題である今、子どもは親のものではなく、社会全体の大切な宝物なのだ。 ましてや、一人親で子どもを育てなければならないこの世の中では、虐待や育児放棄などを防ぐために、そうしたシステムが出来上がった。 親元での養育が認められても日中だけでも施設に預けなければならないのは、虐待などの痕跡を見つけるためでもあるのだ。 そんな中、父親が優秀で模範的な「雄」であったキッペイとコウヘイの兄弟は、特例措置で両親とともに暮らすことを許され、二人から惜しみない愛情をかけられて育った。 日中は施設に通う必要があったものの、その日の教育過程を終えれば毎日両親の待つ自宅に帰れたし、休日は丸々家族で過ごすことが当たり前という、今の世の中では割と稀少な箱入りお坊っちゃま、とも言える兄弟だ。 それは、高校までの義務教育の過程を終え、大学生となった今でも変わらない。 大学生ともなると、施設を出て一人暮らしを始めるのが通例だが、二人は未だに両親の元に住んでいる。 自宅からでも通える距離の大学だからだ。 そのためか、キッペイもコウヘイも若干、若者間での世相や流行りに疎い傾向がある。 キッペイの友人、タカフミはそれを面白がりつつも心配してくれ、時にこうして流行りの物事をキッペイにも体験させてくれようとしてくれるのだ。 友人のそんな気遣いを知っているキッペイは、だから、できうることなら誘いを断りたくない。 しかし、そういった事情もあり、恵まれた兄弟は同年代の子どもたちからは微妙に仲間外れにされたりいじめられたりということもよくあったので、コウヘイは兄のキッペイに幼い頃からベッタリで、キッペイと仲良くしているタカフミにもあまりいい顔をしない。 「うん、社会勉強になるしさ……コウヘイも一緒に行かねぇ?」 キッペイは、そう言って弟を見る。 兄のキッペイは、すらりと背は高いが細身過ぎてどこか頼りないイメージがある。 「コウヘイも一緒なら、俺も心強いんだけど」 その兄の、お前を頼りにしてる、的な台詞に、実はコウヘイはとても弱い。 両親が揃っている、二親に愛されて育っている、それだけのことで、理不尽なイジメを受けなければならない、そのことに正義感の強いコウヘイは幼い頃から非常に憤りを感じて育ってきた。 そして、そんな理不尽なイジメから、おっとりしてどこか頼りない兄を守らなければ、というのが、彼の人生最大の使命なのだ。 まだコウヘイが小さくて何もわからなかった頃は、兄がいつもコウヘイを庇って、心にも身体にも代わりに傷を負ってくれていたから。 チッ、とコウヘイは小さく舌打ちした。 そんなに不安なら行かなきゃいいだけだろうが、と呟きつつ、彼は仏頂面で返事をする。 「わかったよ、一緒に行けばいいんだろ?」
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