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螺旋の階段を上る。
一歩踏み出すと、ほんの少しだけ高度が増す。一歩踏み出し、また上がる。それを延々と繰り返しているうちに、建物が回っているのか、それとも自分が回っているのか判らなくなる。
フェカは鉄の欄干から顔を出して、下を見てみた。
階段は渦になって、薄い闇へと消えていく。
光が足りないのだ。
光源となるのは、螺旋二周につき一つずつ設けられているアーチ型の窓だけなのである。しかも、それらには時々蔦が覆っているから、なお暗い。
フェカ達は今、メロに連れられて塔屋へ向かっている。
先頭を歩くメロの淡褐色のコートの背中には、あの犬だか猫だか猿だか判らない生物——ウェースターがぶら下がっている。
ウェースターと目が合った。
生きているのに意思が汲み取れない、物のフリをしたようなあの眼——。
——気持ち悪い。
「あの、メロ……さん」
フェカは視線をメロの後頭部へ逃した。
「メロで良い。何だい?」
「その……万華鏡がある部屋って、何階なんですか?」
フェカはずっと抱いていた疑問を漸く口にした。
「さっき——この屋敷を外から見た時には、窓は三つ——塔屋を含めても四階分でした。でも……」
ここに来るまでの間に、それよりも多くの窓を通過した。そして上にもまだ螺旋は続いている。
けれどもメロは、さあねと言って肩を上げるだけだった。
「その……」
「外を見ててみてはどうかな。大凡の高さくらいは判るだろうね」
言われるまま、フェカは丁度訪れた窓を覗いた。
覗いて——違和感は更に肥大化した。
フェカは今、庭の仏像をやや見下ろせられる高さにいる。
——怪訝しい。
もう随分と歩き続けているのに、その程度の高さしか登っていないのだ。
フェカは再び欄干から顔を出す。
既に歩いた階段は、確かにずっと——フェカが登ったと認識している長さと同じだけ——下へ続いていた。
窓の景色の標高と屋内の標高に、明らかなズレが生じている。
「どういう——事?」
メロの答えは、さあの一言だけだった。
はぐらかしているのか、それとも本当に知らないのか。メロの横顔からは読み取れない。
——これは。
ここの空間が圧縮している——フェカはそんな、非現実的な事を想像してみる。
例えばこの螺旋階段の空間が縦方向に圧縮されていて、だからどれだけ階段を上っても実際の標高には届かない。だとすれば——。
——違う。そうじゃない。
フェカは馬鹿げた考察を頭から排除した。
——もっと。
もっと現実的な現象の筈である。
例えば。
そもそも自分の認識が間違っている——というのはどうだろうか。
実はフェカが認識しているほどには階段を上っていなくて、通過した窓の数も勘違いで、欄干から見下ろす景色が異様に深いのも錯覚か何かでそう見えているだけで——。
——それなら。
辻褄は合わなくはない。自分の認識違いなら、客観的に真実を確かめる術は無い。
そう決着をつけたところで、先頭を歩くメロの足が止まった。
階段の続きは無く、上から蓋をするように木の板で塞がれていた。天井——である。
ただし、行き止まりというわけではないようである。
能く見ればそこには簡素な——けれどもやはり取っ手には薔薇が装飾されている——天井扉があった。
メロは扉を持ち上げてから、
「レディファースト」
と時代遅れな台詞を言って、時代遅れなポーズでフェカとメッカを天井裏へ促した。
先に上がったメッカが、おおッと声を発した。
フェカも上がる。
そこは部屋だった。
塔屋に被さっていたあの真っ黒な円蓋——その裡である。
半球状の天井にたった一つだけある丸い窓。そこから差す一筋の陽光が、この部屋の中央に置かれている物体を、スポットライトのように照らし出していた。
——これは……?
三脚の上に、円筒形の物体が乗っている。一見すると時代錯誤な兵器のようにも見えるそれは、唯一ある丸窓へ向けられている。
筒は窓へ行くほど太くなっていて、両端にはそれぞれレンズらしき物が嵌っている。
だからそう。これは兵器なんかではなく——。
「ボーエンキョーだろ。これ」
「望遠鏡?」
星とか遠くを見るやつなと補足しながら、メッカは小さいレンズの方に立つ。
それを聞いてメロは、ふ——と笑った。
「覗いてごらん」
「ん? ああ」
訝しがりながらメッカはレンズを覗き込む。そして、何だこりゃと声を上げた。
「どうしたの?」
「何も無え」
空だ空空と連呼して、メッカはフェカに場所を譲った。
「空?」
フェカも覗いてみる。
青。
もう少し詳しく分類するなら水色である。
黒い視界に、ぽっかりと水色の穴が空いている。ただそれだけである。
その色の正体は言うまでもなく、この円筒の先にある丸窓——の、遥か向こうにある空である。
フェカはレンズから顔を外した。
「これは……何ですか?」
ふ——と、メロがまた笑う。
「これは、万華鏡だよ」
「マンゲキョーだあ?」
「知らないのかい、万華鏡」
「知ってる知ってる。キラキラするやつだろ。見た事はねえけど」
これがかァ——とメッカは万華鏡を繁々と観察する。
「どう見てもボーエンキョーだろ」
「これは特殊なんだ。そこに箱があるだろう」
メロがフェカの背後を指で示す。そこには木箱が一つ、無造作に置かれていた。
木箱の中には、フェカの顔と同じくらいの大きさの円盤が三枚入っていた。
円盤の表は透けていて、裏面は半透明。三枚はそれぞれ違った色のきらきらした細かい粒が中に入っている。液体で満たしてあるようで、傾けると粒が舞い上がった。
「これは……?」
「万華鏡の——太い方の部分に溝があるだろう。横から入れてごらん」
フェカは指示されるまま、溝に円盤を一枚刺し込んだ。覗いてごらんとメロが言うのでフェカはレンズを覗き込む。
「わ……凄い」
幾つものきらきらとした浮遊物が筒の中の鏡面に反射して、縦横無尽に、様々な方向から視界に降り注ぐ。
それらはしかしすぐに勢いを弱め、やがて沈殿してしまった。
「右にハンドルがあるだろう」
「えっと……」
フェカはレンズを見続けながらハンドルの位置を探った。何かの出っ張りに指が触れる。
「これ、ですか?」
「そう。それをゆっくり回してごらん」
フェカはハンドルを回す。
すると視界に沈殿した粒がまた舞い上がり、今度は先ほどとは違ったバリエーションの動きで煌めき始めた。
「おい、次私にも見せてくれ」
「うん……」
本当はもう少し見ていたい気分だった。フェカが渋っていると、メロがメッカを呼んだ。
「その窓の蓋を下ろしてくれるかな」
「何で私なんだよ」
「そう言わずに。もっと面白いものが見られる。壁際に紐が有るだろう。それを引いてくれれば良い」
「ちぇー」
メッカは不承不承、窓の蓋を閉める。半球の屋根裏部屋が闇で満ちた。
「フェカ君」
闇が呼んだ。
「フェカ君はハンドルを充分に回したらそのまま手を離して。それから横のスイッチを点けてみて」
「え……あ、はい」
フェカは指示された手順を手探りで行い、最後にスイッチを押した。
途端。
万華鏡がぼんやりと光を放った。半球の天井に、煌めく星空が現れる。それらの星は縦横無尽に動き回り、突然現れたり消えたりする。
「これって……」
綺麗だろうと、メロが言った。
「これは万華鏡が透けて、中身を映し出しているのさ」
フェカが目で追っていた赤い煌めきが、円蓋の中心で消えた——かと思うと、次に青の煌めきが出現する。青が消えれば黄色に、黄色が漂うと銀色に交わった。
綺麗だ——とフェカはただ思った。
これほど綺麗なものを、フェカはこれまでに見た事が無かったと思う。
現実の夜空は、街の明かりが強すぎて、等級の高い僅かな星しか目視する事ができないのだ。例え満天の星空を端末機のスクリーンに映し出したって、ここまでの感動はないだろう。
「凄いね、メッカ」
「ああ。凄え」
凄えよ——メッカは何故か声のトーンを落として繰り返した。
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