「影踏み」

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…私は今、どこにいるのか? 思わずそんな言葉が口をついた。 目の前は白い霧のようなモヤが立ちこめていて、腰に力が入らない…。  果穂は、右手で左肘を支える格好のまま、壁にへたりこんでいる。 壁かな…いや、壁じゃないや、だって背中が冷たいもん…何でかな…、 何で、冷たいんだっけ? 頭ごと壁をなぞりながら後ろを確認する。 冷蔵庫…そうか、ここは、コンビニだっけ…私、仕事終わって、打ち 上げして…千春とも別れて、帰る…途中、なんだっけ。 そして、そして…。  果穂は、記憶を巡らせる…頭を働かせると視界の白いモヤの中に、 強い光を見たあとのくすんだ暗闇がチラついてくる。 何だっけ…何だっけ…。 すると突然、目の前に黒い物体と、青い物体が飛び出してきた。 「大丈夫ですか?ケガは、ないですか?もう大丈夫、警察です」 「こちら、救助班。二名の人質を確保。」  ひとりは、刑事のようだった。 中肉中背で、四十代くらいだろうか…低い野太い声で、私の状態を確認 しながら肩をかしてくれた。 もうひとりの男は、黒づくめの上下で目と鼻の部分だけが、かろうじて 見えた。 ライフル銃のような物を構え、刑事と背中合わせに、辺りを警戒しなが ら、口元の通信機で状況を報告しているようだ。  果穂は、刑事に肩をあずけながら、ようやく立ち上がると足が震え膝 をくずしそうになる。 「大丈夫ですか?立てそうですか?」 慌てたように刑事が、果穂の顔を覗きこむ。 「大丈夫です。すいません。」 あらためて両足を意識し、腰をあげると、すぐそばで倒れているコンビ ニ店員の男性に気がついた。 男性も意識があるようで、うつ伏せ気味ではあるが、もうひとりの黒づ くめの声かけに返事をしている。 頭を打っているようだ…右手で頭頂部を抑えながら応えている。  まだ、はっきりしていると言えない感覚の中、私は散らかった店内の 通路をぬけ、自動扉をくぐった。 自動扉が開いた途端、遠めから、いくつものフラッシュの光と私に向け ているであろう声が響いた気がした。 「大丈夫ですかぁ。ケガはありませんかぁ」  “ただでさえ、目の奥がチカチカするというのに勘弁してほしい” 果穂は、心底思った。  「このまま、一旦、病院の方で一応の検査を受けましょう。あなたは今、 興奮状態にあって、痛みの感覚などが麻痺しているはずです」 「いえ、大丈夫です。でも、少し休ませてください」 果穂は病院行きをこばんだ。 だって、ついさっきまで、私は、その病院で泥のように忙しく仕事をして いたのだ…やっと解放されたのに、病院の空気なんて吸いたくもない。 そんな思いが強かった。 「…わかりました。では、一旦、お家まで送らせましょう。後日、今回の 強盗事件に居合わせた被害者ということで、お話をお伺いしますので、 宜しくお願いします」 「強盗…事件、ですか?」 「はい、やはり…まだ混乱されているようですね。あなたは、コンビニエ ンスストアーで、強盗事件に遭遇したんですよ?犯人は…ほら、あそこの 車に乗っている年配の男性です」  果穂は、その顔を見てハッとした。 そうだ、私は、残業を終えたあとに寄ったコンビニで、知り合いにあった んだ…有村さん、有村さんだった。 「ああ…、有村さん…、何てことを…」 果穂は、ガクガクと震え、その場にへたりこんで泣いた。 あとから、あとから、涙が溢れて止まらなかった。 両手で顔をおおい、嗚咽を漏らした。 刑事が背中をさすり声をかける。女性警官が駆け寄って来る。 果穂は、泣いた。それでも泣いた。泣くことでしか、自分の無力さを実感 できる痛みが、そこには存在しなかった。  そんな果穂を有村 耕造は、視界にとらえていた。 うつむきながら、両手に掛けられた手錠の冷たさと重みを噛みしめながら、 有村の額には深い皺が刻まれていた。 両隣で刑事が耕造の身分を確認する言葉が飛び交っていた。 耕造は、ぽつりぽつりとソレに応えながら、小さく小さく聞こえないよう に、果穂に届くようにつぶやいた。 「…果穂さん、ごめんよ…こんなことになるのなら、ワシは、あんたと、 出会わなければ、良かったよな…」
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