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村上に宛てられた手紙
俺は、死にたい――――
そんなことを思い始めたのはいつからだろう「死にたい」そう言っても周りは真剣に受け止めてくれない。笑って受け流す人や、それに軽い同意だけをしてくる人、皆、冗談か愚痴にしか聞いてはいないのだろう、もし俺が今日、この場で死んだら、このオフィスビルの屋上から飛び降り、入口に内蔵をぶちまけて死んでいたら、出社した社員はどう言うか、それは分かりきっている。
「そんな人には見えませんでした」
妻と中学生になった娘がいる、警察やマスコミは彼女達にも聞くだろう、だが答はこうだ。
「悩みがあったなら、話してほしかった」
さすがに涙は流してくれるだろうとは思う、それくらいはしてもらいたいものだ。一度は愛した妻、娘なのだから――――
◆◇◆
広告代理店のオフィスには俺しかいなかった、節電のため明かりは俺のデスクの上だけ、真っ暗の中、スポットライトを浴びているかのようだった。
ネットで調べればいくらでも出てくる、だがそれを行うことは出来なかった、自殺検索サイトを閉じた後、ため息をついた。結局のところ自殺する勇気がない、だから誰にも言えずにまだ生きているのだ。
明日の会議までに新規プロジェクトの原案をまとめておかなければならないのだが、とても一人では終えそうにない。大量の資料と時計を交互に見る。隣にある定時で退社した上林の席を睨み付けると、夕方のことを思い出す。
「村山さん、お先っス」
「おい上林、資料まとめ終わったのか」
「明日やりますよ、今からデートなんスよ、今の彼女待たせたらマジでヤバいんですって」
「お前、会議明日だぞ」
「だから、デートなんッスって、会議昼からでしょ? だったら午前中にやればいいじゃないっすか」
そう言って上林は俺を見て鞄を持ち上げ、席を立った。彼の眉間に、少し皺がよっていることが分かった。
俺は十以上歳の離れるこいつとチームを組んでいる。殺風景なレイアウトの俺とは違い、上林のパソコンの周りには小さなフィギアが並ぶ、最近流行っている漫画のキャラクター、作者の情報が全て謎ということで話題をよんだ。その食玩をコンプリートしたらしく、休憩時間に得意げに話しているのを聞いたのを覚えている。
「ったく、最近の若者は......」
午前中で出来る訳がない、仕事を先輩である俺に押し付けて帰る、俺ならできないことだ、ましてや会議を取り締まる部長は厳しいを通り越して、皆からの嫌われ者だ。間に合わなければ確実に俺が怒られるばかりか、新規プロジェクトからも外されかねない、そうすれば昇給もなくなり、俺は家でも会社でも居場所が無くなる。
「やばっ」
手を止めている暇は無い、資料を開く、時計の針は11時を回っていた。キーボードを打つ手が早くなり、独り言が声になった。誰もいないから独り言を言っても恥ずかしくはないのだが。
オフィスを出たのは終電に間に合うギリギリの時間だった。やれるところまではやった、これでダメなら上林のせいだと言ってやろう。先輩らしからぬ態度と言われてもかまわない、俺はそんなにできた先輩ではなのだから。
駅までダッシュ、同じように走る人が何人かいた。改札を通った時に、足が止まる。
どうせ、帰っても――――
俺を邪魔者としか思っていない妻と、今月になってまだ口を聞いていない娘、俺が帰った所で「おかえり」の一言もないだろう。
それでも家に帰りたい、そう思うのはこの仕事が嫌いだからなのか、昔みたく心のどこかで家族の「おかえり」を期待しているからなのだろうか。
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