【5】絡流

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【5】絡流

「何で親指かと言うとやなあ。知ってるか、小指を詰めると、拳を握った時に上手く力が入らんのや。なあ、分かるか、試してみ」  既に日の暮れた夜道を、銀一、竜雄、和明の三人が歩く。月の出ている明るい夜だった。  三人の後ろから、先程店で別れた筈の志摩が付いてくる。  垂れている講釈はつまり、なぜ藤堂義右が小指ではなく親指を詰めたのか、である。  雷留を出た三人は繁華街を出て赤江へと戻って来た。平日の夜であり、翌日銀一の朝は早い。竜雄も午前中には仕事でトラックに乗って街を出る為、浴びるように飲みたい夜ではあったが、諦めて帰路についていた。 「何でお前、付いてきよんじゃ」  明らかに嫌そうな声で、和明が言う。 「護衛だよ、護衛」  笑って志摩がそう言うと、三人は立ち止まって一斉に振り返った。 「そんな怖い顔すな。冗談じゃろが」  狼狽える志摩に舌打ちした後、三人はまた歩き始める。 「藤堂さんに付いとらんでええんかい。あの人こそやばいやろ、何度も何度も黒黒言うとったじゃないの。攫われてもしらんよ、俺ら」  意地の悪い声で和明が言うと、志摩は少しだけ怖気づいた顔で、 「おま、お前そういう事言うなよ。俺はお前、兄貴が付いてろって言うからよお」  と、しどろもどろだ。 「何で俺らに付く必要がある」  振り返らずに銀一が尋ねると、志摩は鼻から溜息を逃がして、こう続けた。 「俺はまだ、そこまで考えとらせんけども。…どうやら兄貴は危機感持っとるみたいよ。赤江、やばいんじゃないかー、言うて」  三人がまた立ち止まって、志摩を振り返る。 「赤江が?」  竜雄は全く理解が及ばないという顔で銀一達の顔を見、そして志摩に問いかける。 「どういう意味」 「まあ、まだ全部は言えんけども、うちの組も隣街言うたって実際は我が街くらいには思うとるからな。ここがやばい事になりでもしたら、そら平気ではおられんよな」 「だからお前は、何の話をしとんだって」  と竜雄。 「なあ、春雄はどこにおるん?」  きょとんとした顔を斜めに傾けて志摩がそう言うと、 「お前、ええ加減にせえ! 話す気がないんならついて来るな、クソが!」  竜雄がそう怒気を吐いて、志摩の襟元を掴み上げた。  酒の席とは打って変わって、今の志摩にはやり返すだけの意気込みは感じられない。 「もしよ。春雄と連絡取れるんならよ、しばらくは、帰ってくるなて、言うとけ。そいで、…響子をちゃんと見とけて、言うといてや」  三人は顔を見合わせ、首を捻りながらも内心は納得していた。わざわざ志摩が付いて来た理由はこれだと思ったのだ。志摩太一郎の妹響子は、銀一達の幼馴染である神波春雄と恋仲である。普段は肩で風を切るように街を闊歩するこの志摩が、本来なら年が近いというだけで銀一達に気を許したりはしない。可愛い妹と彼らの関係があってこそ、堅気とヤクザ者がこうして肩を並べているのである。  だがそうなると、雲行きはますます怪しくなってくる。 「お前、マジで知ってる事があんなら吐けや」  竜雄が言うと、志摩は片目を瞑ってせせら笑い、 「ヤクザみたいな物言いすんなや」  と言った。 「お前が言うとほんま、シャレに聞こえんのよ」  志摩の話はこうだ。  時和会としては殺された西荻平左と今井という警官の関係までは把握していないものの、バリマツこと松田三郎と西荻平左の間には繋がりがある事を以前から知っていた。それもその筈で、松田の姉は名を静子と言い、平左の息子・幸助の女房である。つまり西荻と松田は姻戚関係にあたる。  昔から赤江の裏事を取り仕切っているのは志摩が席を置く時和会だが、その赤江の地主である西荻の家には隣県に事務所を持つ四ツ谷組の身内がいる事になる。これは西荻にとっては悩みでもあり、見ようによっては大きな後ろ盾とも言えた。  時和会と四ツ谷組は敵対組織ではない為表立って衝突する事はないが、お互いの看板を巡って牽制する程度の睨みは、普段から効かせ合っている。  志摩は言う。 「四ツ谷にしてみりゃあ面白くはないわ。バリマツと言えば俺らの世代じゃビッグネーム、大スターや。そのスターの身内が、うちの息のかかった赤江におる言うだけでも話ややこしいのに、その身内の親が殺されて、おまけにバリマツ自身もいてこまされた。初めは息巻いてうち(時和会)に突撃掛けたろう思たらしんやけど…」  言葉を切る志摩に、今井か、と思い立ち、銀一達は息を呑んだ。 「せや。もう一人、オマワリまで消された。これは正直、アカンとなった。分かるか?」  無言で三人は頷いた。むろん、分かる。  四ツ谷組の思惑としては、バリマツを殺した犯人を血眼で探すのはもちろんの事、この機に乗じて時和会へ攻め入る口実をでっち上げる事も出来たわけだ。だが、いつもならその先陣を真っ先に切るバリマツ本人が墓の下とあって、いかんせん勢いがなかった。二の足を踏んでいるうちに機会を失い、そして警察官が殺された。警察は組織の威信をかけ、身内の被害に対しては鬼のような初動で犯人を追う。  西荻平左が死に、その姻戚である松田が死に、さらにそれらと関わり合いを持つ警察官が死んだとあっては、四ツ谷組も後先を考えずに抗争をおっ始めるわけにはいかない、というわけだ。  尚も志摩は続ける。 「例えその警察の今井何某が、西荻となんら関係のない男やったとしてもや、四ツ谷にしてみりゃ誰よりも先にバリマツ殺った相手を探し出したいはずやでな、周辺をオマワリなんぞにウロウロしてほしないわいや。そこへ来てお前、殺された警官まで西荻と繋がりがあったと知れてみい。西荻、バリマツ、今井が一本で繋がるんじゃ。お前そんなもん…」  もちろん警察とて無能ではない。捜査のどこかの段階でいずれは各人の繋がりには気が付くだろう。そうなった場合、警察組織にしてみればこの件に関して一番怪しいのはどう考えても時和会なのである。殺された登場人物達と関係者を並べてみた場合、唯一被害を出していないのは時和会だけなのだ。  時和会にとっては今の所、自分達の縄張りで殺しがあった、ただそれだけである。  世にも恐ろしいものを見るような顔で話をする志摩に、銀一は飲みの席にいる間からずっと気になっていた疑問を投げかけた。 「いつなんじゃ」 「え?」  呆けたような顔で志摩が聞き返す。 「その、平助ん所へ現れたオマワリが死んだのは、いつの話や」  志摩ははっとした顔で息を呑んだ。  西荻平左が殺されて、既に一年が経つ。もちろんこの一年の間で、他にも殺された人間がいた事を銀一達は今日初めて知ったわけだが、ここへ来て急にそれらの情報が耳に入って来た事に、偶然とは思えないキナ臭さを嗅ぎ取っていた。  藤堂は先程「四ツ谷は今大騒ぎや」と語った。その口振りから察するに、バリマツが殺されたのはごく最近の事だと思われる。四ツ谷が時和に対して抗争を起こさなかったのが、志摩の言うとおりタイミングの話であるならば、今井という名の警官殺しもまた、最近という事になりはしないか。だがもちろん、そんな重大な事件は誰も聞いた事がなかった。 「いつや?」  と竜雄が同じ質問を口にする。 「絶対に言うなよ」  と志摩は言う。夜だからか、志摩の顔が真っ青に見えた。 「…おとついや」  おとつい?  嫌な汗が銀一達三人の背中を滑り落ちていく。  いくら何でもそこまで最近の話だとは、誰一人思ってもみなかった。  雷留に向かう道中、竜雄は銀一達に対して、平助から聞かされたという話をしてみせた。  その中で最も謎に包まれ薄ら寒い気持ちにさせられたのが、平助の父親・幸助がうわ言のように繰り返す、「次はワシの番や」であった。  今井という警察官が殺されたのが一昨日だとして、竜雄が平助から相談を受けたのは昨日だ。平助の口ぶりから察するに、幸助が塞ぎ込んでおかしくなり出したのがここ二、三日とは考えにくい。ならば、幸助は忠告に現れた今井という警察官が殺される事に、予測がついていたのではなかろうか。あるいは今井自身が、幸助に身の危険について語って聞かせた可能性もある。  そして、和明が漁港で仕入れて来たという噂話もある。 『西荻平左を殺した犯人が、またこの街に来ている』。  これらのパーツ一つ一つが何を意味しているのかは全く分からない。その事が却って三人を気味悪がらせた。まだ目の前に時和会のドンが仁王立ちしている方が、何倍もマシだと感じていた。 「平助の所には行ったんか?」  と銀一が尋ねる。 「西荻の家か? いや、今はよう行かん。それこそオマワリがわんさとおろうが」 「なんで」 「今井っちゅう男と西荻に関係がある事は、そら足取りを追えばそのうち警察も勘付くやろ。ただでさえ今うちはなんやかんやで監視の目厳しいからな。よう行かんわ」  銀一がそれとなく竜雄を見やると、竜雄は彼を見返す事なく頷き返した。昨日竜雄が平助から相談を受けている間も、何人かそれらしい人間の出入りを目撃していたのだ。 「勤務外やったろうに、わざわざ夜中に制服着たまま西荻の家に現れたんやろ? そんなもん、ワシ警察ですねんて宣伝してるやんけ。…まあ、あえて目撃させたんかもしれんな。備えとったらほんまに憂いがやって来た、ってな所かの」  志摩の言葉には説得力があり、銀一は思わず感心しながら頷いた。 「ただー、やっぱりー、行かんわけにはー、いかんなぁ」  芝居がかった志摩の言葉の真意を測りかねて、三人は黙った。 「なあ。明日にでも、なあ」  と、尚も志摩は言って銀一の顔を見た。 「…仕事じゃ」  勘付いた銀一がそう返事をすると、巻き込まれたくない和明が間に割って入る。 「お前、ヤクザもんのくせして堅気に危ない橋渡らせるつもりか?」 「そやかて、と場は朝早いけど、日によっちゃあ昼で終わる事もあるそうやないの」  志摩ははぐらかすように見当違いな答えを返し、そのまま、 「ほな和明は? 明日は何?」  と矛先を彼に向ける。 「…マグロ」  そっぽを向いて和明が返事をすると、志摩は明後日の方向を向きながら声を張り上げる。 「遠洋漁業かい! ひと月かい! 一年かい! 経済成長てほんまやのお!儲かりまんなあ!」 「うっさいのう!」  思わず和明は志摩の膝を蹴り上げる。 「いた! なんやお前はさっきから、荒んどるのお! わしがヤクザでお前ら堅気じゃろが! ちったー、大人しいせえよ!」 「銀ちゃん付き合う事ないぞ、こんなもん、放っとけ放っとけ」  漫才のような掛け合いの後、和明は真顔で銀一にそう言った。顔が、本気で心配していた。銀一は苦笑いを浮かべて頷いて見せたが、実際この時点では関わり合いになる気など毛頭なかった。相手が悪すぎると、この街で暮らして来た人間なら誰もがそう思う。もしも藤堂の懸念が本当だった場合、相手はヤクザ者さえも振え上がらせる地下組織だ。二十歳そこそこのチンピラ風情が粋がった所で何が出来るわけでもないし、それこそ目を付けられては命がいくつあっても足りない。  銀一は黙って竜雄の横顔を見た。子供の頃からの付き合いだ。口数の少ない彼が何かを抱えている事は、なんとなく分かっていた。
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