悪文

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 祖父は何十年も前、それこそ母が生まれてすぐに祖母と離婚した。  ぜんたいどんな修羅場があったものやら、祖母が祖父について口にするのを耳にした記憶がほとんどない。  そんな男とよりを戻すだなんて。  本当ですかと尋ねると、  「もちろん。御本人から聞いたんだもの。ああ、でも旦那さんと直接会ったことないのよ。なんでも足腰が悪くって、ほとんど二階で寝たきりだそうよ」  はあ、と私は曖昧な返事をした。  二階はまだ手つかずだったので、もしかすると祖父の起居していたあとが残っているかもしれない。  それにしても、と私は首をひねった。  葬儀の過程で、祖父がどうという話はまったく聞かなかった。  あるいは、祖母が亡くなる前に、介護施設へでも入居したのだろうか。  女性のとりとめない四方山話に適当な相槌を打ちながら、私はひとまず母に報告しようと考えていた。 「そういえば、一度だけ声を聞いたことはあったわね」  ふとした一言に、私は興味を引き戻された。 「回覧板を回しに行ったときにね。ちょっと上がらせてもらってお喋りしてたのよ。そう、そのあたりで」  女性は、上がり框を指差した。 「そうしたらね。上で音がするのよ。なんて言うのかしらねえ。引きずるような、ずり、ずり、ずりっていう感じの」  上り口のすぐ横には、二階へと続く階段がある。  音はそちらのほうから聞こえてきたらしい。 「気になるじゃない。旦那さんのことは聞いてたから、あら大丈夫かしらって」  会話を続けながらもこっそり耳を傾けていると、這いずる音はそのうちに止まってしまったという。  しかし、続けて今度は声が聞こえてきた。 「えらく擦れた声だったわ。甲高いっていうのじゃないけど、こう、喉の奥から絞り出してるような」  声は同じ言葉を何度も繰り返しているようで、やがて女性にも聞き取ることができた。  声は祖母の名を呼んでいたのだ。  ところが、祖母はなにも聞こえないかのように会話を続けた。 「耳が遠いのかもしれないから、すぐに伝えたわよ。旦那さんになにかあって、助けを呼んでたら大変でしょ」  それに対する祖母の反応は、理解に苦しむものだったという。  ――耳を貸したらあかん。  ぴしゃりと切り捨てるなり、女性を追い立てるようにして家から追い出してしまったそうだ。  さきほどまでの上機嫌が嘘のような、冷たい態度だった。  困惑しながらも、女性は「なにかお困りでしたら手を貸します」と申し出た。  しかし、祖母は首を横に振った。  ――自分のことは自分で始末つけなあかん。  結局、それ以降、祖母とそのことについて話すことはなかったという。
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