第八連鎖 「会議ハ踊ル」

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第八連鎖 「会議ハ踊ル」

沖縄に猛威を振るっていた台風が、九州に手を掛けてきた。 今年最大との噂もネットを賑わせ始めている。 日本列島を台風が覆っている写真が拡散されていた。 テレビも常に画面の一部で台風情報を流し続けている。 他のニュースは、台風の中継画面にテロップで流れるのみに。 その中に、同じクラスメイトの少年二人の死亡のニュースが流れる。 イジメによる自殺と、自殺の可能性が高い転落死。 学校名は伏せられていたものの、現場の地区名は出ていた。 つまり、当事者達には分かるのである。 そのニュースを見ていた青年は、我が目を疑ってしまった。 …二人? あの少年の他に、もう一人のクラスメイトが自殺だって…? イジメの被害者が、もう一人いたって事なのか…? それとも…。 そんな思いを巡らせているのは、自殺した少年の第一発見者である。 少年と同じ団地の同じ棟の住人でもある彼。 彼は少年の最期の表情を、イジメの加害者に送信していたのだ。 その相手が一生を掛けて苦しむ様に、と。 もう一人の、自殺の可能性が高い転落死って…。 いきなり動悸が速まった、動揺で身体が震え始めている。 もう一人…まさか、まさか、まさか。 …まさか。 今年配属されたばかりの新人巡査は疲れ果てていた。 昨日までは何一つ変わり映えしない日常が続いていたのである。 テレビドラマとは違って毎日の巡回が繰り返される日々。 彼は国家公務員の意味を噛み締めていた。 それが、たった一日で引っ繰り返されたのだから。 イジメによる少年の自殺とイジメ加害者の転落死。 その現場対応に駆り出されて、食事も満足に取れていない。 遺体を見るのも初めてだというのに、いきなり二人。 それも普通の状態ではない。 何を据え膳されたとしても、味が判る状態ではなかった。 そんな彼が、やっと駅前の交番に戻ってきた所である。 強くなってきた風の中で、彼は憔悴していた。 しかしそこで巡査を待っていたのは、やはり憔悴した女性であった。 彼女は巡査にすがる様に事情を説明し始める。 「娘が家にいないんです!  こんな天気のこんな時間なのに!」 留守番をしていた筈の彼女の娘が家にいない。 電車事故で遅れると連絡したラインには返信が在った。 それなのに家で待っていなかったという。 財布とスマホは持って出ている。 娘を捜し出して欲しいとの要望であった。 母親がスマホを差し出して見せた写真を見て驚く。 ショートカットの可愛い女の子であった。 これでは母親としては、心配になるのも無理はない。 巡査は本署に連絡して情報照会を行ってみる。 その上で捜索願を準備しながら悩んでしまっていた。 新学期開始直前の学生の失踪という事になる。 只の一般家出人か、それとも特異行方不明者なのか…? 本署には彼女の情報は何も無かった。 今の所では、事故でもないし事件性も無い。 …その時である。 もう一人の男性が交番に入ってきて巡査に話し始めた。 やはり彼も少し疲れている様子である。 「こんな台風のこんな時間なのに、息子が家にいないんです!」 自殺した少年の第一発見者の青年はニュース番組をハシゴして見ていた。 転落死したもう一人の情報が知りたかったからである。 もしそれが彼が写真で復讐した相手…ボスと呼ばれる生徒だったら。 そしてそれが罪の意識による自殺だったら…。 間接的にでも殺したのは彼という事になる。 ぐらぐら揺れ始めた彼の頭の中に、通話で聴いたボスの声が囁いた。 …ヒトゴロシ。 新人巡査は驚いた後で腑に落ちた。 家にいない二人の男女が同じ学校の同じクラスの生徒だったからである。 夏休み最後の日、新学期直前の前夜。 二人揃って同時刻に行方不明になっている。 住居も同じ団地の同じ棟。 男子の方はスマホを放り投げて外出しているのだ。 最後の履歴は明日の休校の報せである。 巡査は家族の方々に、二人は一緒ではないか思われると伝えた。 捜索願は一応、受理したものの…。 このケースは一般家出人だと考えていた。 家族には互いの友人宅に連絡して欲しいと依頼。 お互いの生徒の家族は渋々帰宅していく。 男子生徒の方がスマホを置いて出ているので近くだと思われたからだ。 女子生徒の母親は娘について、もう別の心配をし始めた。 アイドルを目指しているのに…、何て事してるの…。 巡査の状況判断は、かなりの部分で的確ではあった。 確かに彼等は直ぐ近くにいたのである。 二人が一緒だろうという推理も当たっていた。 直ぐ近くの彼等の住居でもある団地で、確かに二人は一緒だったのだから。 …上半身は屋上エレベーターホール。 …下半身は地下駐車場の故障点検中のエレベーターの中。 間違い無く一緒に見付かる事になる。 台風情報番組と化したニュースの中で、青年は違うニュースを探していた。 少年の第一発見者だった彼は、二人目の詳細が知りたかったのである。 そんな中で踏切事故の被害者の氏名も公表された。 名前の後には…と思われる、と書かれている。 自転車の防犯登録の照会から氏名を割り出したのだろう。 だが遺族が待てど暮らせど身元確認に来ないのである。 その青年はその名前には心当たりも無かった。 …彼はニュースを見続けた。 学校関係者は蜂の巣を突いた様な大騒ぎとなっていた。 イジメが関係していると思われる二人の生徒の自殺。 そして更に衝撃的なのが、学校教職員の事故死。 彼女もまた自殺の可能性が高いという警察の発表。 しかも自殺した生徒達のクラス担任であるという事実。 一度に三人もの自殺。 学校にとって、こんな不名誉な事はない。 それを受けての緊急招集。 学校創立以来初めての緊急職員会議が開かれる事態になった。 それは翌日に設定された。 会場は台風で休校となった学校の会議室。 いつでも重要な会議を録画できる様に設備も整っている。 開始時刻は普段なら授業開始の時刻に合わせられた。 学校にとって史上最も長い日が、やっと暮れていく。 一連の事件の関係者にとっても最も長い日であっただろう。 …亡くなった者を除いては。 だがそれは、これから更新されてしまうものでもあったのだ。 …ごうごう、ごうごう。 だんだん台風が近付いてきていて、どんどん風が強くなってきている。 だんだん夜が深くなってきていて、どんどん闇の暗さが増してきている。 まるで忘れていたのを思い出したかの様に夜が明けた。 だがしかし荒天の為に、いつもの朝には似ても似つかない。 頭上の雲の流れが速くて怖い程である。 昨日よりも長くなる一日が始まりを告げたのだ。 雨が本格的に降り始めていた。 傘が校門を通る度にたたまれていく。 皆、重い足取りで校舎に吸い込まれていった。 それも両手で数えられる程の人数である。 台風の影響を考慮しての休校なのに、登校可能な教職員は参加必須。 朝八時半にチャイムが鳴り、会議室の鍵が開けられた。 学校に来る迄に、既に全員が疲れ切って憔悴していたにも関わらず。 会議は開始された。 学校経営陣にとっては生徒の自殺の方が大問題。 教職員達にとっては同僚教諭の自殺が信じられない。 だが情報が少な過ぎて打つ手が無い事だけは、両者に共通していた。 警察関係から公開されている情報は限られている。 生徒二人は因果関係は伏せられたままイジメによる自殺。 担任教師も理由不明の突発的な自殺の可能性が高いという発表。 もちろん三人の身元は会議参加者全員には伝えられていた。 教頭からモニターを使って一通り経緯が説明される。 校長は元々の心臓の弱さと、心労による緊急入院で不参加であった。 生徒や同僚の死に涙が止められない教諭も散見されている。 交通機関への台風によるへ影響の為に、総勢は僅か一桁だった。 父兄への事情説明も困難を極めるのは火を見るよりも明らか。 自殺した同級生の事を、生徒達に伝えるのも重過ぎる仕事になる。 学校側のマスコミへの対応も淡々と説明されていた。 質疑応答も意見も殆ど出る事は無かったのである。 そんな沈痛過ぎる空気が支配している会議室。 そこに参加者全員が驚愕する人物が、突然入室してきたのである。 教頭には通知されていたが、半信半疑だったのだ。 自殺した生徒ボスの母親である、PTA副会長が喪服で現れた。 通夜は本日、親族のみで執り行われるとの事である。 そんな状況で、こんな状態で一体何故…。 会議室の外の廊下には巡査が一人で待機していた。 彼女の夫の兄が国会議員の実力者であり、その人物からの要請である。 どうしても職員会議で話したい…と譲らない本人の意向を汲んだ。 その上で精神的に不安定であり、自殺の可能性も考えて警察への依頼。 それを受けて現場検証に立ち会った新人巡査を派遣した。 事情説明を要請された時の対応を含めて、である。 喪服のPTA副会長は、全員の横を通ってモニター前に立った。 その両目は既に潤んでいて、紅くなっていたのである。 息子を亡くしたばかりなのに、何を伝えたいのだろうか? 何て気丈な方なのかしら、立派だわ…。 その場の同情と注目を一身に集めていた。 「私が本日参りましたのは、どうしても皆様にお話ししたい事が在りまして。  無理を言って伺ったという次第で御座います…。」 話し始めた彼女は少し震えている様であった。 それは悲しみによるものにも、武者震いによるものにも見えたのだが。 彼女の話は続いた。 「…私の息子は、イジメなんかに加担しておりません。  私の息子は、まだ帰宅しておりません…。」 彼女はハンドバッグからハンカチを取り出して、目頭を押さえた。 涙が溢れ出て止まらなくなっている。 それを見て泣き出してしまう教師もいた。 「…私は息子の為に、夕飯の支度をしなければなりません。  ビーフシチューを作らねばならないのです…。」 次に彼女がハンドバッグから取り出したのは、包丁であった。 いつも夕飯の支度に使っていたものである。 それでモニター前のテーブル上を叩き始めた。 何が起きているのか理解出来ず、唖然としている参加者達。 とんとんとんとん、とんとんとんとん。 何も載っていないのに、千切りから微塵切りにと叩き続けた。 それはまるで、生き急いでいる心臓の鼓動にも聴こえる。 とんとんとんとん…。 「ふっ…ふっ…、副会長!」 モニター横で控えていた教頭が、その行為を止めようとした。 目前に展開され続けている狂気の沙汰を見ていられなかったのだ。 テーブルを叩いている手を、そっと押さえたのである。 「料理の邪魔をしないで…!  息子の好きなものを作ってあげるのよ!」 彼女はその手を振り解いて、包丁を振りかざした。 教頭の手の平を包丁が滑って切り裂いたのだ。 テーブルに血飛沫が降る。 「いっ、痛いー!」 教頭は転んで床に倒れ、這って副会長から逃げた。 這い伸ばしている手からは、血の手形が量産されている。 呆然と見ていた他の参加者が我に返って叫び出した。 「えっ、えっ…!」 「きゃあああ、いやあああ!」 「にっ、逃げろー!」 全員が一斉に後ろを振り返って、入り口に向かって殺到した。 廊下で待機中の巡査が悲鳴に気付いて入り口に向かう。 飛び出てきた関係者達を掻き分けて、室内に駆け込んだ。 その眼に飛び込んできた光景は理解しがたいものであった。 這って逃げる教頭を追い掛けて、その背中に包丁で斬りつける副会長。 高級な背広が切り裂かれて血飛沫が飛び散った。 「止めなさい、凶器を捨てなさい!」 叫んだ巡査を振り返って睨んだ眼は常軌を逸していた。 瞳孔は開ききっていて、紅く濁っていたのである。 彼女は包丁を振りかざしたまま、彼に近付いてきた。 足許に倒れている教頭からは多量の血が流れ出ている。 一刻を争うな…。 彼は腰脇のホルスターから拳銃を初めて抜いた。 もう何を言っても彼女には無駄であろう事は承知している。 包丁を振り回してくるので手を狙うのは難しいだろう。 利き腕側の肩を狙えば、凶器を持ち続ける事は出来なくなる筈。 右肩だ…。 拳銃を構えた彼に近付いた副会長は突如として俊敏に動いた。 …まるで何かに乗っ取られたかの様に。 最初の包丁の振りかざしを避けた彼は、肩を狙って発砲した。 ぱんっ。 彼女の予想もつかない速い動きの為に、弾丸は狙いを逸れた。 肩口に当たる筈だった弾丸は、左顎から頭部を貫通していった。 頭部右上から弾丸と共に飛び散った血が、モニターに模様を描く。 それはまるで花火の様でもあった。 先刻まで野生の獣の様に暴れ回っていた副会長は崩れ落ちる。 それはまるで糸の切れたマリオネットの様でもあった。 巡査は自分が撃った彼女の遺体を見て、唖然呆然としている。 彼は初めての発砲で、初めて人を殺した。
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